☆第1章 Boy Meets Girl☆ 第1話
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「人の家庭壊して楽しいですかぁ?」
電話越しに、あの女から言われて4年がたつ。
最初の1年は、そこまでもめても神谷君が不意に戻ってきてくれるんじゃないかと、
真剣にそんなこと期待しつつ、過ぎた。
次の1年で、やっと自分のしたことと、自分の周りで起きたことの重大さを理解し、
その挙句、反省するどころか行き場の無い憤りにかられ、ひたすら腹を立てていた。
腹を立て、その怒りを何故か仕事にぶつけワークホリック並みの仕事っぷり。
資格も次々とって、気が付けばいっぱしのキャリアウーマン。
いいんだか、悪いんだか・・・
またその次の1年で、長い間躊躇していた結婚に踏み切る決心をした。
今でも頭から離れない。いつも神谷君は言っていた。
「家庭を持つ責任なんて、幸乃ちゃんには絶対判らないよ」
”何度言わせたらわかるんだよ・・・”って、付けたり付けなかったり。
そこまで言われた「家庭」っていうものを、完璧に作ってやろうじゃない、と思った。
思い立てば一気に突き進むの、私。
男並みのハードワークの合間にブルドーザーのように結婚準備。
「あのお転婆娘がやっと片付いたのね。」
親も親戚も大喜び。
いかにも都会的な共稼ぎ夫婦が住みそうなマンションを見つけてきて、
洗練されたリビングにさりげなく、結婚式のウェルカムボード。
何度も連れ込まれた、神谷君ちの寝室と一緒。
絵に描いたような結婚式、新婚生活、新居。
週末はお惣菜作り置き、冷凍上手は賢い主婦。残業してもいつでも手料理。
お掃除、お洗濯は手際よく。
主婦業もなんなくこなす、スーパーキャリアウーマン、目指したけど3ヶ月で挫折した。
旦那は「またブームが去ったか。」と笑っただけ。
17年付き合ったタカキは、私がその時々、夢中になる対象にたいして集中し、
すぐに続かず、また次の対象へ移っていくことをよく知っている。
だから、私が、ある日突然全ての主婦業を放棄し、
連日10時過ぎまで残業しては、トースターに食パン放り込み夕食完了
もしくは終電過ぎまで飲み歩きという生活を始めても
「さちはしょうがないなぁ」と愛しそうに言った。
周りから、「子供はまだなの?」と聞かれると
「さちは俺の娘のようなものだから。」
だからもう子供はいなくていいと、冗談交じりに答える。
本当は欲しいこと、私は知っているけれど仕事は段落付かないし、
旦那にチヤホヤされながら、子供のように無邪気に生活する毎日は楽しかったし、
まだまだ周りの男達はそれなりにちやほや扱ってくれてたし、
このまま子供なんて生まなくていいや。と無責任に思っていた。
それが4年目。
4年前に私がしていたこと?
バカバカしいくらいにありふれた不倫。それだけ。
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2007年3月
年末の健康診断でまんまとひっかかった。
「10cmの筋腫。やっかいかもしれない。」
婦人科検診。内診が終わって、年配の女医は言った。
ざんぎりオカッパにメガネ。やっかいなのはお前のナリだよ、
と心の中で思いながら紹介状を書いてもらう。
子宮筋腫。まぁよく聞く病名なので、そんなに気にもせず。
生理が重いとか、貧血がひどいとか、自覚症状はアリアリだったから
「やっぱりね。」程度の。
生死にかかわるわけじゃないし、
知り合いのおばさんの妹が薬で小さくしたとかそういう話聞いてたから
まぁどうとでもなるだろうと。
紹介状をもらっても病院に行く気はなく、そのまま会社に戻った。
ところが1週間後、やっかいなナリの女医から会社へ電話がかかってきた。
「浜本さん、あなたねー癌検診が疑陽性なの。今すぐ検診センターへ来れますか?」
はぁ?行けるかバカと怒鳴りつけてやりたかったけども
さすがに「癌検査疑陽性」の響きには参った。事実よりも言葉の響きがね。
会社に電話してくるものだから、周りの同僚や上司が
「すぐ行きなさい」と騒ぎ立てる。
大概の人間は、自分はもちろん人の健康診断結果というものを気にかける。
何か大事にならないかとワクワクしてるんじゃないかと
ヒネくれたことも考えたくなってくるくらい。
年末の、冷たい雨が降る中を山王の検診センターまで行った。
忙しい中に呼び出しやがってと怒りつつ、
内心の小さい恐怖心を怒りで誤魔化していたことは、実は否定できないかも。
子宮頸がん、中度異形成。
婦人科検診の合間に、例の女医がたんたんと結果を説明する。
今すぐどうこうという症状ではないこと。
おそらく経過観察(長期間にわたるけれども)で問題ないこと。
仮に進行していくとしても、円錐切除という日帰りの手術で除去が可能なこと。
なんだ、それくらいのことでわざわざ呼び出したのか、と安心する反面少し腹が立つ。
それを見透かしたかのように、女医は鬼の首を取ったように(私がそう感じだだけだけど)
「それよりもやっかいなのは筋腫。血液検査の結果が重度の貧血だから・・・」
だからぁーやっかいなのはお前のナリだ・・・しつっこいね。もうやめよう。
筋腫とガン検査の結果を合わせて、新しく紹介状を書いてもらった。
その足で向かった病院で、内診の後「全摘の可能性が高い」
というようなことを言われた。
貧血の症状が激しく、早急な治療が必要だけれど場所が悪い上に大きく、
おまけに取ったとしても再発の可能性が高い。
子宮頚部の異型成に関しては、円錐切除を行うかもしれず、
子宮の下と横から切開しては妊娠は難しい。
後々のことを考えたら全摘が一番とかなんとか。
「あっ、そうですか。」と適当な返事をした。
何も思わなかった。
その時は。
一通りの検査と、さらに詳細な検査の予約をして、
後は来年ですね、という感じで帰ってきた。
帰り道、ふと気が付く。ゆっくりとしか歩けない自分。
あれ?と気がついたら両膝がガクガク震えていた。
怖かった。
心は、本当に衝撃を受けた時、体より後に気付く。
「子供は産めなくなる」という可能性が見えたとたん、急に欲しくなった。
いつだって、そう。いつでも手に入る物に関心をしめさない。
手に入りにくいと言われると執着する。
そこそこ好きにお金が使える生活、着飾ってよその男の人と出かける小さなスリル、
旦那に愛されて大事にされている毎日。
そんなものが急に色あせた。どうでもいいことに思えてきた。
家に帰り、タカキに「子供が欲しい。」と泣き喚いた。
自分が子供のくせに、ちゃんちゃらおかしいけれど。
タカキは私の頭をなでて、
「大丈夫、いい病院を探してあげるから、何も心配しなくていいよ。」
と言った。
年が明けてから、タカキが人づてに探してくれた、
腕がいいと言われると医者を訪ね、国立病院まで行った。
待合室はお腹の大きな女の人達でいっぱいで、何故かみんな、
遠慮無く人のお腹周りに視線を走らせる。
「何ヶ月かしら?」とでも思ってるのかな。
産科と婦人科が一緒になっている病院は行きたくないと、毎日タカキに訴えたけど、
「ちゃんと治療をすれば、産めるじゃん。産科を避ける理由ないよね」と諭された。
精密検査の結果、子宮頸がんの疑いは、経過観察で。
筋腫は鉄剤による貧血改善と数ヶ月のホルモン治療の後、核出手術と決定。
そのへんでエンジンがかかり出す。
調子に乗った私が、バカに緻密にたてた計画は
「37歳出産計画」
36歳になる今年に、手術。半年の妊娠回避期間を経て、今年の終わりから
37歳になる来年の初めに妊娠。37歳のうちに出産。そんなうまくいくかっつーの。
でも、産まれて初めて、母になってもいいと思えた。
少しは大人になったのかと、嬉しかったり。
とりあえず、手術して完治してから考えればいいものを。
いつだって私は先走りする。
手術は5月の終わり頃。そこまで決まり、ホルモン治療が始まった。
リュープリン。
女性ホルモンを停止する。副作用は更年期障害。
これといって副作用も出ないままに、2回目の注射完了。
初めての結婚記念日で、タカキと食事に行った次の日、
神谷君からメールがきた。
初めて会った日からちょうど4年目。
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