☆第4章 最後の夏休み☆ 第20話
目次へ
朝一にWINSへ行くと
全部のテレビ画面は「音声テスト中」と表示され、
2007年のJRAのテーマソングが流れる。
まだ人がまばらのフロアーで私はいつも成田さんを探す。
壁際のテーブルに向かって真剣に新聞を見ていたり、
中央のテーブルの横にしゃがみこんで考え込んでいたり。
「具合悪いの?」
しゃがみこんでいた時に聞いてみた。
「ちがうよ。新聞の下の方見れないでしょ。」
確かに。狭いテーブルの上に新聞を置いても、
馬柱の下の方はたれさがってしまう。
いつも、私が成田さんの横に行き、テーブルに新聞を置くと、
成田さんは「はい」って、缶コーヒーを渡してくれる。
なぜかいつも照れくさくて目を合わせずに「ありがとう」って受け取る。
1回受け取った後、もう一度缶を差し出すと、プルトップを開けてくれた。
開けて渡してくれればいいような気がするけれども、
もう週末の朝の決まった流れ。
ごくたまに、私が先についた時、
成田さんの真似をしてしゃがみこんで新聞を見てみた。
急に頬っぺたに冷たい感触。
成田さんが笑顔で後ろに立っていた。
缶コーヒー・・・
振り返って、私も笑う。
その瞬間が幸せで。
そうして、予想して、マークシートを塗って買う。
穴ばっかり狙うからいつも外れて。
でも外れることなんてどうでもよかった。
私の突拍子の無い予想を面白がってくれる成田さんが見たかった。
成田さんは自分の選んだ馬と、
私が独自の理論の元に見つけた幻の穴馬を組み合わせた馬券を
必ず買ってくれた。たいてい10万馬券か100万馬券。
「当ったらどうしようか?」
メインまではメールでそんな話をする。
あんな素敵な馬券で何時間も私を楽しませてくれる人は他にいない。
☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜
夢の中を泳ぐような虚ろな毎日。
重力は可変。
体中を押さえつけるように重くなったり、
空を飛び回るように軽かったり。
これからのこと、難しいことを考えるのは明日にしよう。
そう思いながら、一日が終わる。
ひたすらそれを繰り返す夏休み。
甘い水曜日、木曜日、金曜日。
日曜日の重賞予想と、上の空のラブラブメールが続く土曜日。
ふと、土曜日の夕方でメールが途絶えた。
それっきり、その日はずっとメールが来なかった。
夜、9時を過ぎても、10時を過ぎても、11時を過ぎても
あってもおかしくない。
普通の会社に勤めているOLさんが
気兼ねせず遅くなってもいいのは土曜と、よくて金曜?
そういえば、土曜日に私と遊んでくれたことは
ほとんどないなぁ、と思い当たったり。
まぁ、どうでもいいんだけど・・・
どうでもいいのに、ウダウダと頭が回るのもいまいましい。
連絡がないことを、あまり気にしないようにしようと
意識的に決めていたところがある。
どこへ行っていたとか、何をしていたとか、
私が言う筋合いの話でもないし。
でも、もう堪えられなかった。
あんなに私を愛してるあの人が、平気な顔をして、別の女の人に愛を囁く、
そのことを少しでも想像したくなかった。
本心を言えば、
実はあの彼女とは終わっていく方向に向かっているのでは?
そういう可能性に期待していたところもあった。
杞憂の反対。有り得ない展開を妄想する、これも女子の特権。
それくらい、成田さんに迷いや戸惑いの陰はなかったから。
火曜日に仕事と言って、連絡がなくなるのも本当に仕事なのかな?
とか、
結婚とか、なんなんとか、そんなのみんな放り出し、
あの人は私だけに向かってきてはいないかな?
とか。
でも、杞憂と期待じみた妄想が女子の特権であるならば、
悔しいくらいに研ぎ澄まされた直感と洞察力も女子の持ち味。
本当は最初から、ほとんどが直感でわかっている。
そんなことはありえないと。
妄想に過ぎないと。
だから、12時まで待って、耐え切れずに睡眠導入剤を飲んだ。
低下していく意識レベルの中、1通だけメールを打った。
Subject: もういいや
To: 成田
おやすみなさーい
もういいや、って。何がいいんだかわからないけれど。自分でも。
もう今日はメールくれなくていいや?
もう全部終わりでいいや?
3時頃に、ふと目が覚めた。
目が覚めて携帯を見たけれど、
メールありのお知らせランプは光ってなく、
もうこのまま朝まで何も言ってこないんだなって、また眠った。
ダメかもしれない。
また思った。
もうダメかもしれない。
ランプが光っていないことにたいして
悲しさはなかった。
絶望感もなかった。
ただ、諦めだけが心に広がる。
私の心はもう決まっていたのだと思う。
離陸していたでしょう。
あとはどこにどう着地するかだけ。
どうにか正常に着陸できるのかな。
胴体着陸か?
それとも、炎上したまま突っ込んでやる?
遠い海まで飛んでいき、そこで力尽いて墜落?
☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜
もういいやって眠ったくせに、
朝は7時には目が覚めた。
やっぱりメールはこない。
それで、空気が甘くなった自転車に、
炎天下の下で汗をかきながら空気を入れた。
私はWINSへ行くんだ?
まだ凝りもせずに京葉道路を走るんだ?
自分の行動に自分で苦笑い。
馬券を買いにいかなくてはいけないし、
成田さんが何か言ってくるかこないかは別の話だし。
自分の行動に自分で突込み。
今日も、相変わらず攻撃的な夏の日差しの下、私は自転車を漕ぎ出す。
暑さで朦朧となりながら、
成田さんに会いたいなと思った。
今朝会えなかったら、このまま全てが終わってしまうような気がした。
もし、WINS西館の2階に成田さんがいなかったら・・・
そう思ったら、心が潰れそうに痛くなる。
全く情けない話で。
自転車を走らせたまま、パンツのポケットから携帯を出した。
手早く短いメールを作成し、送信。
Subject: 小倉
To: 成田
1 7 9 10 11
3連BOX
それだけ。
おはようの挨拶も、昨日の話も一切無し。
私はいつも通り、WINSへ行って競馬をするからね。
そして、1 7 9 10 11の3連複ボックスを買うからね。
ただそれだけを伝える文字列。
返事はびっくりするぐらい早く来た。
From: 成田
Subject: Re:小倉
おはようさち。
玉子サンド食べる?
早い返事と、あれだけの内容から全てを理解して返す文章。
成田さんはちゃんとわかってるんだ。
私が昨日の夜何を悟り、怒り、何かを決めたか決めかねていることを。
でも、もう、なんで玉子サンドなのよ。この人は。
おかしさと愛しさで、思わず笑ってしまう。
Subject: Re:小倉
To: 成田
いらないょ
はやくきて
私は自転車のギアを3速に上げ、京葉道路を駆ける。
☆北九州記念
久しぶりに、京葉で赤いスクーターに抜かれた。
ゆっくり走ってたから。
もちろん、成田さんに抜かれたくて、
成田さんが靴の踵を触るところ、見たくて。
成田さんはやっぱり長い手を伸ばし、靴の踵を触っていた。
私はそれを見て、嬉しい。
私に気づいて、私を見ている。
「照れ隠しだよ」
前にそう言っていた。
いつまでたってもあの人は照れる。
そんな人が大好きで、嬉しい。
WINSの2階へ上がると、すぐに成田さんは見つかった。
嬉しそうに、歯を見せて笑った。
「はい」
渡された紙袋を除くと、パックに入った玉子サンドと缶コーヒー。
「ありがとう」
そう言って成田さんの顔を見た。
気のせいか、前より一層、頬がこけた感じがする。
いつもの、夢を見ているような目は、
健在だけれどほんの少し濁っているように見えた。
「今日は荒れるねー」
新聞を広げながら。
「カノヤザクラでいこうかなぁ」
私は言う。
成田さんは、うーん・・・としばらく考え込んでから
「軸はアストンマーチャンでしょ?」
と、マークシートを塗った。
「穴だったらねー」
私は新聞を指差す。
「これ、これ」
キョウワロアリング。
思いつきなんだけどね。
きょえー!とびっくりした顔をする成田さん。
「買わないけどねー」
ボールペンでシートを塗りながら、
私は何気ない感じで言ってみた。
「もう来ないと思わなかった?」
顔は見ない。
ひたすら下だけを向いている。
「昨日は、配達が12時過ぎまであって・・・
千葉の方と世田谷の方と・・・」
しどろもどろで、今にも転びそうな成田さんの説明。
堪えられず「もう、いいよ」と遮る。
「何をしていたかなんて知りたくないよ」
絶対に知りたくない。
「ごめん。でも、もういいやって言うから、来ないのかなと思った」
困ったような、悲しいような成田さんの声。
私は顔を上げ、書き終わったマークシートと、
たたんだ新聞をかかえる。
「1-6-9馬券、買うの?」
笑う。
成田さんも笑う。
「もちろん」
マークシートをヒラヒラと振った。
成田さんは今日も1-6-9馬券を買って
エレベータではキスしてくれた。
短いような、長いようなキス。
でも、玉子サンドと私を残して、
いつものようにお店へ帰って行ってしまった。
だから私は、高速道路の下、
公園のベンチに座って玉子サンドを食べた。
嬉しいけどね、考えたらわからないかな。
公園で一人で食べる玉子サンド。
そんなのちょっと寂しすぎるとは。
わからないよね。
夢見る人には。
☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜
あてずっぽうで指さした、キョウワロアリングがまんまと穴をあけた。
単勝7300円、馬連38000円、3連単150万円越え。
なんともなぁ・・・やるせない。
夏の日差し最高潮。
外に出る気にもなれず、競馬中継をはさんで家でゴロゴロしていた。
穴だったら・・・って言ったキョウワが来たこと
成田さんに言いたかったけれど、
忙しい日曜日の午後にメールが来ることはほとんどない。
代わりのようにまりこからメールが来た。
From: まりこ
Subject:
昨日のヤツの日記見た?
なんとか温泉の予想日記
日記っていうかコメント!
また何が・・・
と想像するよりも早くログイン。
ゴロゴロしている日曜日。パソコンはいつも手元にあるから。
タイトルは瀬波温泉特別
確かに昨日の朝の競馬日記。
土曜新潟メイン。1000万下のダート1800m。
どうということもないいつもの予想で
見るには見たけどそれっきり、印象にも残らず。
数個ついているコメントと、それにたいするコメント返し。
一番下から2番目のコメントで、スクロールする手が止まる。
花魚のコメント。
七夕賞以来、コメントなんて見かけなかったのに。
ざっと読んで、私は苦笑い。
笑うしかない。
花魚 2007年8月12日 19:05
炎さんに会いに行こうと思ったのに、夕方から頭痛が止まらず
先ほど薬を飲みました。
ロキソニン。私のパソコンではなぜか露基礎人と変換されます。
おかげで頭痛はおさまりましたヽ(^0^)
炎の男 2007年8月12日 20:25
花魚様
頭痛?心配です。
大事になさってください。
競馬日記のコメント欄に、競馬と全く関係のないコメント。
おまけに、「会いにいこうと思った」ときたもんだ。
とりなすような、精一杯当たり障りのない成田さんのコメント返し。
露基礎人のんで、頭痛が治って会いに行ったのね。
それで深夜まで、あの人と一緒にいたわけね。
また苦笑い。
タイミングを見計らったようにまりこからメール。
From: まりこ
Subject:
見た?
あの女、宣戦布告だね。
薄々感づいてるんじゃないの?
かもね。七夕賞以来、全く動きが見えなかった。
でも、成田さんのこれだけの日常を思えば、
何も気づかない彼女なんてありえない。
かと言って、私が怒るにはあまりに非道理。
悲しむにはあまりに身勝手。
怒るに怒れず、泣くに泣けず、苦笑い。
ただ、昨晩あれだけの時間を過ごして
それでもまだ、もしかしたらただたんに深夜まで仕事をしていた?
と縋るように思っていた自分が嫌で嫌で。
たまらず、今日の日記を開いた。
北九州記念の予想日記にコメントは無し。
さち 2007年8月13日 17:01
だからぁ~
キョウワって言ったじゃない!
もう数ヶ月、成田さんの日記にコメントをつけることはなかった。
でも、小さな抵抗。
あまりに小さすぎて自分が情けない。
仕事が終わった頃、コメントが返された。
炎の男 2007年8月13日 21:06
さち様
本当に。角田Jびっくりです。
買っておけばよかったのに!Σ( ̄Д ̄;)
昨日の夜と今日、突然な人のコメントばかりで
さぞ心中穏やかでないことでしょう。
その直後、瀬波温泉特別の日記にまたコメントがついた。
もうまがうことなく宣戦布告。
花魚 2007年8月13日 21:50
昨日は素晴らしい時間をありがとうございます。
仕事なのに、遅くまでごめんなさい。
家に帰っても、嬉しくてしばらく眠れませんでした。
まるで子供ですね(。。lll)
明後日も楽しみです。
なりふり構わず?
苦笑を通り越し、一人爆笑。
必死じゃん!この女。
本心を隠した、ネット越しのやりとり。
ヤジのように飛び込んでくるまりこのメール。
まるで戦場。
明日から世間はお盆休み。
家の会社は残念ながら通常営業。
明後日は成田さんの定休日。
お盆休みの花魚ちゃん、1年に数回しかないデートにウキウキ。
私は成田さんへメールを送った。
もちろん何も知りませんよ。何も見ていませんよって風でね。
Subject: Re:お疲れ様です
To: 成田
明日遊ぼうー
遅くてもいいよ
ダメ?
返事はわりとすぐにきた。
若干躊躇気味。
From: 成田
Subject: Re:ありがとう
ありがとう。
でも火曜日は朝から輸入で早いんです。
まぁ、ある種想定内の回答。
Subject: Re:
To: 成田
じゃあいいよ。早く寝たほうがいいもんね。
会いたかったな。夏休み半分しかないから。
軽く圧力をかける。
「夏休み」成田さんへの魔法の呪文。
この言葉で成田さんは夢の世界へひっぱりこまれる。
効果てき面。
From: 成田
Subject: Re:
ごめん、二人の夏休みなのに
変なこと言って。
明日終わったら連絡します。
私は一人でほくそ笑む。
恋する私なんてもういらない。
ずるい私だけが、私を救ってくれる。
あの女の夏休みより、私の夏休みの方が
成田さんにとって魅惑的で素敵なこと、わからせてやる。
楽しい夏休み、目の前にいる彼が、
上の空で別の女のことを考えている
そんな時の絶望感を味合わせてやる。
あの女が叶うわけなんてないんだ。
だって1度きりだから。
1度きりで最後の夏休みだから。
次へ
目次へ
| 固定リンク


コメント