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2008年12月

2008年12月25日 (木)

☆第4章 最後の夏休み☆  第27話

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2009年某日

季節は巡る。
私は相変わらず毎週競馬をする。

マイミクになった男の子や男の人達は
「一緒に競馬へ行こう」
すぐに誘ってきた。

毎週、毎週中山へ出かけていく。
毎週、毎週違う人と。

でも私の景色は戻ってこない。

「何を足掻いたって、あの男はもう戻ってこないよ」
まりことは相変わらず毎週のように呑みに行っている。
突然広がった私の交友関係がお気に入りらしい。
私が拾って歩く、つまらない男達を採点してはダメ出しを繰り返す。

「もうやめなよ。くだらないよ」

そう言いながらも楽しそうだ。

知らない人と競馬場へ行って、
知らない人と毎晩飲んで歩く。
でもあの人はいない。
あの人に似た人もいない。

夏の前の私に戻りたい。
でも戻れない。
私が嘘だけで塗り固められた、ゴミのような存在だということを
もう知ってしまったのだから。
あの人は私に現実だけを付きつけた。

私は誰にも求められていない。
私は誰にも大事にされない。
私は一生幸せになれない。

会いたいとは思わない。
会ったところでこれ以上なにも起こらないことは重々承知している。

毎週、馬柱にあの人の残骸を見る。
あの人の好きだった馬。
あの人が本命にしていた馬。
あの人が馬券を取った馬。

そして私はあの人が買ってくれたお誕生日馬券を買い続ける。
1-6-9の3連複。
おまじないのように買い続ける。
あの人はもう買ってはくれないだろうから。

秋の天皇賞、3連複は1-6-9。
3万5千円だった。
ほら、やっと来た!
あの人に教えてあげたかった。
気が付いているかな?
お誕生日馬券。

何かを期待しながら日曜日の朝、
京葉道路を走るのはもううんざりで、
馬券はPATで買うようになった。

マイルチャンピオン、ジャパンカップ、
大盛り上がりのようで、うつろで、上の空。
まるでのぼせているよう毎日がすぎる。
有馬記念に当然カイシュウタキオンなんて出はしない。

私の時間はそれからもしばらく止まったままだった。

相変わらず、中途半端にちょっかいを出してくる神谷君や、
今日に続く明日は淡々と踏み続けるミナちゃん達。
周りを通り過ぎていく男の人、たくさん。
何故かみんな同じような顔をして、同じようなことを喋った。
タカキとは、前と変わらぬ日常が戻ってきた。
また熱が冷めたのか、と飽きれているような、
安心しているような空気を感じる。
言葉には出さないけれど。

全ては何も変わらない。

でも私は知ってしまった。
私が本当に欲しいもの、私が本当になりたいもの。
そんな余計なものを、私は一生抱えて生きていくのだろう。

どうして私が今、こんなものを書いているのか私にもわからない。
愛されていると、確かに私はあの人の一番大切なものであると、
そう信じていたあの夏から、もう1年以上がたった。
所詮は愛されてなんていなかった。
目の前に降って来た幸運を、掴んでおかなきゃ損をする、
でもそのために無くせ無いものは死守する。
そんな打算と期待に溢れたあの人の気持ち、
今ならば手に取るようにわかる。

どうしてあんなものを愛だと呼んだのか?
あの人も私も。
特別な夏だと、どうして思ったのか?

私にはメッセージなんて何も無い。
世界を動かすような力なんて私には無いし、
私のしたことを反省もしていなれば、後悔もしていない。
ただ、私はあの夏のことを、
一刻も早く忘れたくて、でも一片たりとも忘れたくない。

みのらない恋、背徳行為、
そんなものに酔うような
くだらない人間にだけは絶対なりたくない。

こんなことはしちゃいけないと、
言葉では繰り返しながらも続く関係
そんな黴臭い感情とは一生無縁でいたかった。

不倫はいけない、とあの人は言った。
私はわからなかった。
なにがいけないのか。
ばれなければ誰も傷つかないんでしょう。
ばれたとしても、心に正直に恋をして何がいけない?

「人の道だけは外れられない」
そう頑なに言い続けたあの人を不思議に見ていた。
人の道よりも、モラルやルールよりも、
人間には大切なものがあるんじゃないの?

あの人の言った意味
私が知るのはまた次のお話になる。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


2008年8月26日


☆新潟記念

中央競馬開催中は、何週間にもわたるかもという懸念もありながら
翌週、無事平常通り開催されることになった。
一度止まったカレンダーは動き出す。
当たり前の週末が当たり前にやってくる。

子供たちの夏休みは残り後少し。
世間一般の夏はまだまだ猛威をふるっているらしく、
日差しの攻撃力は衰えてはいかない。

朝、私は自転車に空気を入れた。

朝まで迷った。
朝一番で錦糸町まで走っていくことにいったいどんな意味が?

でも結局は自転車で京葉道路を走ることに決めた。
これで最後にしよう。
二度と朝、この道を自転車で走ることはやめよう。

京葉道路で成田さんのスクーターに追い抜かれるのが大好きで、
時間が早めだとゆっくり自転車をこいだ。
焼け付くような日差しすら、私には優しかった。
胸が騒ぐ。
条件反射?
もう何も起こりはしないのに、
何かが起こりそうな錯覚、妄想、白昼夢。

赤いスクーターが追い抜いていく。

追い抜く時の成田さんは何故かいつも靴の踵を触ってた。

何故だろうって、不思議で聞いてみた。
「テレ隠しだよ。」即答した。
意味不明だけどなんとなく分かる気もした。

だから、最後に京葉から錦糸町に行こうって決めたあの時、
今までどおりに赤いスクーターが私を追い抜き、
あの人が靴の踵に触ったら、
何もなかったような顔をして、いつものWINS西館2階へ行こうと決めていた。
成田さんはきっと缶コーヒーを買って待っててくれるって。

とんだ夢物語。
夢を見ていたのはどっちだった?
本当は私の方だった?

帽子を深くかぶり、日差しをできるだけ防ぎながら
私は京葉を走る。

三つ目通りの交差点、信号の手前。

追い抜いていく
赤いスクーター

間違いなく、私に気づいた。
不安定に、少しだけ左右に揺れた車体。

追い抜いていく時間は一瞬のはずなのに、
なぜか数分にも思えた。

手が、下に伸びた。

私は見つめる。

息を止めて私は見つめる。

そのまま、足元まで伸びていきそうに見えた手は、
行き場の無いことに気づいたように、膝の上で止まった。

見えたわけもないけれど、
その手が膝をぎゅっと鷲づかみにしている。
そんな気がした。

長くて、骨ばって、冷たいあの人の指。
私に触れることはもうない。


私は四つ目通りを曲がり、東館の駐輪場へ入った。


家に戻る途中、京葉道路に出る前に自転車を停め、
成田さんへメールを打った。


Subject: 新潟記念
To 成田
びっくりしたでしょ?
でももうあの時間にWINSへは行かないから、安心してね。
あなたのそばには二度と現れない。
全部忘れます。無かったことにします。


あの人を、これ以上脅かしても仕方がない。
忘れると、それだけ伝えたかった。

私はまた、あの人に会う前のさちに戻るだけ。
何も変わらない。すぐに取り戻せる。

でも、私は忘れない。忘れられない。

初めて手をつないで帰ったときのこと。
ダービー、駆け抜けるウォッカの馬体。
病院の庭に座ってメールを打った毎日。
花火、見慣れた荒川が別世界に見えた。
船堀タワーの前、この世の終わりのような雷。
お盆の夜の街、夜空がすっごく低くて木が大きく揺れていたこと。


もしも時間が戻るとしても、
あの夏のどこへも戻りたくはない。
やり直したところで、うまくやれた道は今でも思いつかない。

戻れるならば

“大好き”
それだけで、全てが語れた中学生に戻りたい。
そしてあの頃、存在すら知らなかったあの人を探すの。

来年も再来年も10年後も20年後も、
私は甘い思い出を
サトウキビのようにかじって生きていく。

自転車を力いっぱいこいだ。
日が照りつける京葉道路を必死で走る。



これが、あの夏の全て。
 
 
 
 
 
 
 
 
                         「最後の夏休み」完
 
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第26話

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待ち合わせの時間が
江東の花火大会の終わりと重なってしまったことがある。

いつもの、荒川沿いの道は
繁華街並みの人ゴミになっていた。

見つけてくれるかな?

不安になりながら、人の間から成田さんの車を探していた。
しばらくして、近づいてくる赤い車。

躊躇も見せず、私の目の前でピタリと止まった。

「すごいね。あんなに人がいたのに」

車に乗りながら、私が聞くと、
成田さんは車を発車させながら言った。

「僕は100m手前からでも、あなたを見つけられるよ」

そして、

「どんなにたくさん人がいてもね」

と付け足し、照れたような笑顔で前を見ていた。

100m手前きから、人ゴミの中の私を見つけられると言ったあの人は
もしかしたら知っていたのかもしれない。

私のこの気持ちが、箱庭のような守られた空間の中でだけ
成立するものだということを。
箱庭の中に彼を引きいれ、
さんざん遊んで飽きたら捨てればいい、くらいでいることを。

私もそうだと思っていた。

今がよければいいんだと、
先のことなんてよくわからないし、
それで誰も傷つかない、自分も、あの人も傷つかない。

そう思っていた。

成田さんが作ったあの水槽で
私は泳がされていると仮想していたあの日々。
でもそこから出たとしても
私の暮らす海は海に似た大きな水槽。

安全圏から、恋をしたり、その恋が破れたり、
そんなことを楽しもうとしていただけ。
そんなくだらない自分。

知っていたのかもしれない。
その程度の私の思いを、あの人は。

私が一番好きだと言ってほしかった。認めてほしかった。
私の旦那のこと、
結婚すること、
彼女のこと、
そんなことはどうでもいいことだったのに。

ただ私が一番好きだと、その言葉だけが欲しかった。

一度も私をまっすぐに見てくれなかった。
溺れた人のような目で私を見ていた。

「自分のしていることは悪だと思っている。」

また言った。それだけは言って欲しくなかった。
私は悪じゃない。あなたも悪じゃない。

私はあなたが好きだった。あなたも絶対に私が好きだった。
どうしてそれじゃいけないのか?
どうして最後まで私をちゃんと見てくれなかったのか。

私には、明日へ続く今日がない。
今までもない。
これからもやっぱりない。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜



突然私の夏休みは終わった。
お盆の終わりと一緒に。

なのに、外では狂ったような蝉の声。

あんた達バカなの?
とっくに夏は終わったのに。

成田さんの日記は全部消え、
お盆が明けたらその痕跡すら根こそぎ消えた。

やっぱりただの残骸。

あんなものに縋るだけの価値もない。

私の世界で成田さんは死んだ。
存在は全て消えた。

私が何をしでかしても、
世界に何が起こっても、
そんなことはありはしないと思っていたのに。


お盆が終わって、日常が戻ってくる。
でも、何ヶ月も続いたおはようメールはもうない。
私は携帯の目覚ましの音で目覚める。

壊したのは自分だから
失恋の感傷に浸るとか、そんな権利はなさすぎる。

動くしかない。

なくなってしまったものを求めて立ち止まったところで
有り得もしない希望という名の、妄想。
囚われて、でも現実に引き戻されて、絶望する。
考える暇があれば、止まる隙をなくすこと。

嫌ってくらいしてきた恋で知っている。
嫌ってくらいしてきたんだから、
もう今度こそ本当に嫌になればいい。


「競馬解禁します」

日記でそう宣言した。
マイミクだけに公開していた日記を、全体公開にした。

「私と一緒に競馬をしてくれる人、マイミクしてください」

来るもの拒まず。
そんな軽薄な罠にかかるような、クズのような男たち。

それでも何百何千も集めれば、あの人に似た人がいるかもしれない。

おもしろいくらいマイミクが増えていく。
仕事もろくにせず、次から次へ来るメッセに返事をする。

「競馬大好きです。色々お話しましょうね」
「中山開催始まったら一緒に馬場へ行きましょうね」

今をしのぐだけならば何とでも言えるんだ。

汚く自分勝手な私には、こういう毎日が似合っている。
こんなふうに続けていけば、いつかはあの人のことなんて忘れる。

「今週は札幌記念です。みんなで予想大会しましょう」

たった1日、2日で2倍近くに増えたマイミクに宣言をする。

あの人のいない日曜日。
あの人のいない競馬開催。
それをどうやって遣り過ごすのか、私はそれに必死だった。

ところが、金曜日のニュースで、
全ては余計な心配になる。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


☆札幌記念

2007年8月16日、日本中央競馬会(JRA)の美浦・栗東の両トレーニングセンターで
36年ぶりに馬インフルエンザに感染した疑惑のある競走馬が20頭確認され、
その後の検査により陽性反応がでる競走馬が多数発見されている。
中央競馬を主催するJRAは当初、ワクチン接種を全頭に対して実施している事から
影響は小さいと考えており、16日の記者会見では8月18日・19日の中央競馬
(札幌・新潟・小倉)を開催すると発表していた。だが、翌17日朝に週末出走予定の
競走馬から163頭を検査したところ29頭が陽性反応を示した為、一転して開催を中止した。
馬インフルエンザで開催が中止になるのは、1971年12月から37年ぶり。


Webの競馬ニュースで、開催中止の速報を見つけた時、
PCの画面を眺めながら苦笑い、止まらなかった。
だって可笑しいでしょ?

何もかもできすぎ。

毎週、毎週、土日になれば開催されるのが当たり前と、
誰もが信じていた競馬が突然中止。

それがなぜよりによって今週に?
37年間も起きなかったことが、なぜこの今週に?

ずっと私のそばにいると、信じていたあの人がいなくなり
毎週開催されると信じていた競馬も、今週はない。

可笑しすぎる。

せっかく盛り上がっていた札幌記念は9月の最初まで延期が決まった。
いつもいつも、馬のことしか考えていないようなマイミク達は
開催の無い土日、何をして過ごせばいいかと不安がっている。

私は安堵する。
でも実は少しだけ消沈。

実は少しだけ期待していた。
日曜日の朝、自転車で京葉道路を走っていけば
あの人の赤いスクータを追い抜いていくかもしれないって。
そして、WINSの2階でコーヒー持って待っていてくれるかもって。
まさに有り得もしない希望。
そういう名前の妄想。

新たな絶望に立ち向かわなくていいのだから
結局私は安堵する。

溺れるような日が、一日一日。
手足を動かさなければ沈んでしまう。
軽くて薄っぺらい男達も、私にしてみれば命綱。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


花魚は退会していなかった。

何かを待っているんだろう。
真実?なのかな。

これだから嫌になるよ。

真実なんて、全部知ろうとしないほうが幸せなことたくさんあるのに。
自分に与えられた愛が、突然砂のように崩れること
それを想像もできない人は、安易に全てを知りたがる。
爆風のように自分を吹っ飛ばす
そんな太刀打ちもできないような真実が
そこには埋まっているかもしれないのに。

まだ存在はしているけど、
私のところへ足あとはついたりはしない。
今まで書いた日記も全部消されていた。

でも、のぞきに行けば常にログイン1時間以内。
朝も夜も。
だから私は執拗に足あとを付け続ける。

2人揃って、私という存在を、
抹消して、無視して、消えていくのは堪えられない。
2人揃って、私を夢の中の登場人物だったと、
忘れて、放って、幸せになろうなんて許せない。

私を見てよ。
ちゃんと見てよ。

足あとを付け続ける。


花魚が動いたのは、月曜日の深夜だった。

競馬のない、緩慢で手持ち無沙汰な日曜日。
やっと終わって戻ってくる1週間。
そんな境界線だった。

寝室で、PCを開いていた。
もう癖のように、花魚のトップページを開く。
ふと目に留まった、ログイン5分以内。

今、いる。

何をしているんだろう?
そんなことは私にわかりようもないし、
わかったところでもう何もしようもないし、する気もない。

それから、何の期待もせず、何気なく開いた自分の“足あと”

心臓が壊れそうなくらい跳ねた。


最近の足あと
2007年8月20日 01:05 花魚 


ついに来た。
今更何をしにきたんだろう?
今更何か報復をすべく乗り込んできた?

頭の芯、逆上せたように熱くなる。
足あとのページでIEの更新をかけると、画面が変わる。


2007年8月20日 01:10 花魚


今、現在もまだいる。
私のところに。

私とあの女は、今同じところにいる。

何故か私は息を潜めた。
私の存在に気が付けば、あの女は逃げていってしまうかも。

くだらない。
LAN回線のずっと向こうに私の気配が伝わるわけもない。

トップに戻ってみても、
新着メッセージも、コメントも何もない。
ただ、足あとだけが、静かに更新されていく。


2007年8月20日 01:15 花魚

2007年8月20日 01:21 花魚

2007年8月20日 01:27 花魚


見ているんだろう。
私の今までの日記と
それに付けた成田さんのコメント。
そしてその裏に存在した事象、感情。
隅々見ているんだろう。


2007年8月20日 01:33 花魚

2007年8月20日 01:37 花魚

2007年8月20日 01:42 花魚 


やっぱり私は浅く息をする。

深夜の寝室で、身動きすら躊躇われる程に、
張り詰める空気。

私の家の中へそっと入ってきた花魚。
隅から隅まで物色する様子を、
見つからないように、物陰で息を潜めてみつめる私。

もう出て行って欲しい。
あんなに私を見て欲しいと願ったけれど、
擦り切れてしまいそうなくらい、研ぎ澄まされたこの空気。
こんなものにはもう堪えられない。

全部に目を瞑れば、
あなたには約束された、延々と続く未来。
うんざりするくらいありふれた未来。

何を知ろうとする?
何をこれ以上負おうと?

祈りのような私の心の声も、届くわけもなく
さらに新しくなっていく時間。


2007年8月20日 01:45 花魚

2007年8月20日 01:51 花魚


想像してみる。
あの女の心の中。

悲しい?悔しい?憎い?

あたりまえのように、必ず来ると、
思っていた今日が見えなくなったこと、どう思う?

これから何を信じるの?
何に縋っていきていく?

私にはわからない。
私には全くわからない。

あの女の気持ちも、
自分のしたことの意味も、
私と成田さんの間にあったものの意味も。

涙が出た。

懺悔の涙なんかじゃもちろんない。
後悔の涙なわけもない。
憎しみの涙なんて今更出ない。

わからない自分がただ悲しかった。
何に縋るか、見えないのは私自身。

もうこれ以上、私に私を突きつけるのはやめてください。

あの女へか、成田さんへか、或いはいわゆる神なんてものか、
何かもわからぬ対象に向かい、私はひたすら祈る。

私は見失った私のことなんて知りたくない。


2007年8月20日 02:05 花魚


これを最後に、足あとは更新されなくなった。
IEの更新をしても、画面は変わらず。

花魚のトップページへいってみれば、
最終ログイン時間は10分になり、15分になり、30分になった。

私は彼女が完全に去ったことを確信し、
自分のPCを落とした。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


朝、会社へ行き、再度足あと帳を開いた時は
花魚の足あとは消えていた。

花魚退会。

これでなにもなくなった。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第25話

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「ちょっと混乱してるから、切るね」

もうあと数言でも
成田さんが発する言葉を聞くのは嫌で
私はそう告げた。

「はい」

成田さんはそれだけ言った。
じゃあまた後で、とも
続きはメールで、とも
そんな話は一切無く。
またいつもの、言葉にしない暗黙の了解みたいなもので
それで全てがおしまいと、
そんな空気があからさまにあった。

たとえ数ヶ月の、何の裏付けもない関係であったとしても
こんなやり取りだけで、ハイおしまい
なんてことは出来るわけでもないのに、
それでも成田さんはこれっきりにしようとしている。
それくらい私にもう関わらないようにしている。

手に取るようにわかる。
言葉よりも、全ては明瞭。
嫌になるくらいね。

言葉の裏に隠れている本音や状況
空気の間を漉くように読んできた数ヶ月。
そんななんの足しにもならないスキル身に付けてどうする?
こんな時に余計な空気を読んでどうする?

ちゃんちゃら可笑しいね。

私は電話を切った。
電話を切って、後悔も焦りも喪失感も、
何も見えないふりをして
鼻歌すら歌いかねない感じで家までの道を歩いた。

もう蝉は鳴いていない。
寝たのかな?

生暖かい空気が纏わり付くような熱帯夜。
とりあえず私も寝よう。

家のある高層タワーマンション群まで戻ってきて、
中庭に入ったら、背後でまた蝉が鳴き出した。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


朝、7時ちょうど。

目覚ましもかけていなかったのに、勝手に目が覚めた。
いつものくせで携帯を開く。
何もなかったかのように、おはようメールが来るかと若干期待していた。
あるわけもない。

頭が重くて、ズキズキと痛みすらあった。
目を開けているのが億劫。
とにかく今日は家を出たくない。

体調不良で休みます。
会社にメールを入れてまた目を閉じた。
どうせお盆中、急ぎの仕事もないし。

朝9時過ぎ、ようやくはっきり目を覚まして、
とりあえず枕元のPCを引き寄せ起動、ミクシィログインをした。
何か変化があるのじゃないかと、若干期待をしていた。
あるわけもない。

お盆真っ只中、ログインしている人も少ないのだろう。
日記更新情報も、足あとも、あまり変化がない。

もちろんあの人はいない。
どこにもいない。
いるわけもない。

虚ろな頭に、なんども浮かぶ。“いない”

あの人はいない。
どこにもいない。
もういない。
最初からいない。

いない。いない。いない。いない。いない。いない。

手持ち無沙汰で、何気なく「最近コメントした日記」の
「もっと見る」をクリックした。

息が止まった。
いない、と思っていたあの人がそこにいた。

2007年8月12日  北九州記念 ( )

上から数行目。
名前のところが消えている。
でもこれは、あの人が日曜日に書いた競馬日記。

データ同期の関係で、半端に残ってしまったのだろう。
クリックすれば「データがありません」それだけの話、
思いつつ一応クリックをした。

日記が開いた。
日曜日に戻った。

の日記
北九州記念

名前だけが消えて、後は全て前のまま。コメント欄も生きている。
もちろん私のコメントもそのまま。


さち                  2007年8月13日 17:01
だからぁ~
キョウワって言ったじゃない!


なんなんだろう?これは。
時間が戻った。まさかね。
だって名前はもうない。「炎の男」はやっぱりもういない。

でも、もうその気配すら感じることもできないと思った、
その人が、ここに確かにまだ存在している。

私は興奮気味にマウスを動かした。
左側の「過去の日記」をクリックすれば、
過去のどこへでもいける。
どの日記も開く。

どうしてあんなことが起きたのか、今だにわからない。

あの後、退会していくマイミクを何人も見たけれど、
同じことは一度も起きていない。
お盆中でサーバーがいくつか落とされていたのかもしれない。
それで、同期に時間がかかり
退会したユーザーの、IDだけ削除したものの
その他のデータはしばらく残ってしまった?

世界は所詮パケットに構成されている。
そこに”いる”と見えるあの人は、
ただ、処理しきれない情報のクズ。

それでも私はクリックをし続ける。
情報の宇宙の中に潜っていく。

クリックしたのは、瀬波温泉特別の日記。

降り立った、そこは荒野だった。

もう誰にも忘れ去られたような数日前の日記。
かつては人で賑わっていたのに
もう忘れられてしまった廃墟のような

もちろんまだある。
花魚のコメント。


炎さんに会いに行こうと思ったのに、夕方から頭痛が止まらず
先ほど薬を飲みました。


私に頭痛が襲うってば。
頭の芯がズキズキするよ。
鼓動に合わせてズキズキ、ズキズキ。

あんなに私を好きだといったあの人は
投げ出すように私を捨てて、一目散に逃げていったよ。
満足でしょ?これで安心でしょ?
予定通り、残りの人生2人で歩んでいったらいいよ。

私達に何も問題はありませんでした。
平凡だけど幸せです。
質素だけど豊かです。

なんとでも言ったらいいよ。

ゴミのように捨てられたのに、
こんな情報の欠片に縋り
お盆の朝にパケット滓の荒野を彷徨う。
そんな自分の状況に吐き気がして、
でもPCの前から離れられない自分にもっと吐き気がして、
私はまた自分を見失う。

ふと思いつき、IEの別画面で自分のトップへ戻る。
辿っていき確認。

やっぱり花魚は退会していない。

成田さんが退会して、花魚は退会していない。
状況はつまり、成田さんが花魚へ謝罪と説得を続ける最中?

ほんの出来心でした、と平謝り?
心から愛しているのはあなたですと?
ちょっとだけ、心が揺れてしまったのですと言い訳?

何を想像しても情けない。

ケジメをつけると、ミクシィ退会した成田さん
それでも残っている花魚。
つまりは、真実を求めている。
多分それで間違いないだろう。
その証拠にログイン1時間以内。

なにもかも想像に過ぎないのだけれど。

成田さんの荒野に戻る。

瀬波温泉特別の日記をまた上から眺めて、
私はふと思いついてコメントを入れてみる。


さち               2007年8月15日 9:15
なにこれー?
まだコメントできる?


「書き込む」を押せば、普通に表示されるコメント。
自分のトップを更新すれば、「最近コメントした日記」
の一番上に上がってくる、
2007年8月11日  瀬波温泉特別 ( )

これって、この日記にコメントつけてた人、
みんなの履歴の一番上に上がってくるってことでしょう?
つまりは、花魚のところでも。


さち               2007年8月15日 9:20
コメントできるじゃん!
退会して、逃げたつもりで笑える~


私は次々コメントをつけていく。


さち               2007年8月15日 9:25
>炎さんに会いにいこうと思ったのに
こういうのって、パブリックなところに書くことですか?
よっぽどみんなに自慢したいのね。
私は炎さんの彼女ですよーって。
自慢するような彼氏ですかぁ?
浮気がバレて、突如ミクシィ退会して逃げた気になってるのに。


今更自分のしていることに、なにか意味があるとは思えない。
ただ、溢れ出す怒りだけで私は続ける。

私を捨てた。
何もなかったことにしようとした。
一生忘れないって言ったのに。

頭の中が真っ黒な淀みで満杯になる。
物をまともに考える場所は残っていない。

私はただひたすらコメントを付ける。

七夕賞の日の日記にもコメントをつける。
つまりは花魚のコメントした日記全て

これで、彼女の「最近コメントした日記」の最新欄は
名無しの日記でいっぱいになる。
彼女以外にも、あの人の日記にいつもコメントをつけていた人は
名無しの日記で埋め尽くされる。

時間を自由に飛び回るように、
遠い過去や近い過去、行ったりきたりしていたら、
ふと第三者のコメントが入る。
突然「最近コメントした日記」にあまりに古い日記が上がって、
なんだろう?と覗きにきたのだろう。


TATSU               2007年8月15日 9:39
なにがどうなってん?
名前変更中?


私はすかさずまたコメントを付ける。


さち               2007年8月15日 9:41
違うよ!退会したんだよー
彼女に浮気がバレて逃げたの♪


ほとんど勝手に手だけが動く。

また別の日記にコメントを付けようと、一旦トップに戻って、
瀬波温泉特別のコメント記入数に違和感。
すぐにクリック。

さっき書いた私のコメントが消えていた。

カッと頭に血が上る。

あの人も入っているんだ。

過去の日記の直接リンクとか、多分そんなところから
自分の日記がまだ人から普通に見れて、
おまけに私が荒らしていることに気が付いたんだ。

その時、枕の横に置いてあった携帯電話が震えた。
すぐに開く。


From: 成田
Subject: おはようございます 
おはようございます。


なにこれ?
様子を見ている?
私が何かを言ってくることを待っている?

卑怯者。
こんな人は私が知っている成田さんとは違う。
こんな人、私は大嫌いだ。

携帯メールに返事をせず、
私はまた瀬波温泉特別の日記へコメントを付ける。


さち               2007年8月15日 9:50
消したってまた書くもん。
消すってことはやましいことがありますって
これ見てるみんなに宣言しているようなものですよ?
全部ないことにして、それですんだと思ったのに残念ですね。


さち               2007年8月15日 9:53
全部全部ないことですね。
あんなにたくさんメールをくれたのに、写真も送ってくれたのに、
愛してるって言ったじゃないですか?
WINSのエレベータでキスしてくれたじゃないですか?
あんなことしておいて、全部ないことですか?


私の指は狂ったように動く。
どんどん酷いことを打ち出す。

これが一番いい。

あいつは酷い女だったと、
まるで食虫植物のような女だったとでも、
そう思ってもらえるのが本望だ。
一生忘れないなんて、感傷のオカズにはされたくない。

だってあんなに愛してた。

続けてコメントを入れようとして、
瀬波温泉特別の日記をクリックしたら突然、
「データがありません」になった。
日記ごと消したんだ・・・

私はすぐに、その前の日記へ飛んだ。
そしてまた、コメントを付ける。


さち               2007年8月15日 9:57
今度は日記を消しますか。
全部消しちゃうんだねー
まさに全てはなかったこと?


その日記も、次の瞬間には「データがありません」になった。
LAN回線の向こうで、必死になっている成田さん
想像したら突然涙が出た。
今必死に彼がしようとしているのは私の排除。
昨日の夜から初めて涙が出た。止まらない。
私は声を上げて泣きながら、携帯に手を伸ばした。


Subject: Re:おはようございます
To: 成田
早く全部消してよ
何もないようにしてよ


全部消したらいい。
もう全部無かったことでいい。
空がきれいだったことも、花火の火薬の匂いも、
ぼんやり光る船堀タワーも、たくさんの甘い言葉も。
全部全部無かったことでいい。

成田さんは、私の願いを忠実に守った。
私だけの願いでなく、成田さんの願いでもあったからね。

日記が消えていく。
ページの更新をかけるたびに、新しい日付から消えていく。
ゆっくりと、1日1日消えていく。
それを先まわりするように、私はあの人の日記を開いていく。

8月、7月、6月
私達が辿った日々を巻き戻していくように。

5月、4月、3月
病院のベッドで読んだ成田さんの日記、
今は懐かしくさえある。

でもこれも最後。みんなみんな最後。

2月、1月、12月
また、携帯を開く。


Subject: Re:おはようございます
To: 成田
こっちから見てるとね、カレンダーから1日1日消えていって、
時間がもどっていくみたいだょ
12月まできたね。


11月、10月、9月
そうして私達が初めて知り合った8月。

7月、6月、5月
私が知らない成田さんの日々も消えていく。

人の記憶もこんなふうに消せたらいいの。
タイムスリップしながら、削除ボタンで全てを消せれば
あの人のことなんか知らないで、今まで生きてこれたのに。

もう涙は出なかった。
LAN回線の向こうにあの人がいる。
あの人は私達の日々を全部削除した。
私はただそれを見つめる。

それは意外なくらいに静かな時間で。

向かい側にあの人がいて、
丁寧に、1日づつ、私達の日々を消していく。
私は黙ってそれを見つめている。

最初から、ここに着地をすることが決まっていたかのような
そんな気すらするくらい、心は落ち着いていた。

最後の日記が消えた。
 

Subject: Re:おはようございます
To: 成田
ごくろうさま。
ありがとう。


返事はこなかった。



夏休みは終わった。
 
 

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☆第4章 最後の夏休み☆  第24話

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From: 成田
Subject:
電話できますか?


混乱と後悔と興奮。

そんな物たちに包まれて、
私は私の立っている場所すらわからなかった。

別にどうということもない、いつもの家の玄関。

続けてきた、成田さんのメールを読んで、
咄嗟にリビングでPCの前に座ってるタカキへ言う。

「ちょっと煙草買ってくる」

背中でわかる。タカキは少し不機嫌だった。
明け方帰ってきて、顔も合わさずに会社に行き、
戻ってきてこんな時間まで寝てる私。
どう考えても尋常ではない。

でもそれも多分もうおしまい。

「気を付けて」
こっちを向かないまま、棒読みのように言った。

私はビーチサンダルをつっかけて表に出て、
万が一タカキが探しに出てきても、絶対に通らない
コンビニとは逆方向の道へ行く。

歩きながら成田さんへ電話をした。

「もしもし」

すぐに出た、声は穏やかだった。

穏やかすぎるくらい。少し眠そう。

「どうして?」
私は聞いた。


ずっと僕のそばにいてください。

そう言った。この人は。
それだけは嘘ではないと、そう思っていたのに。

たとえ何の関係もない、ただの知り合い同士になったとしても、
いつもいつも、私の見えるところに存在している、
そう信じていたのに。

あれだけのことをしでかして、私はまだそんなことを嘆く。
何をしたとしても、この人が目の前から消えることはない。
ひたすらにそれだけを無邪気に信じていた。

「ちゃんと退会できてました?」
ため息をつくように、言葉を吐き出す。

私は何も言えず、ただ本物のため息を吐き出す。

Tシャツの背中が汗で冷たい。
もうすぐ日も変わろうとしているのに、
夏は深夜まで侵食している。

夏休み。

まだ夏休みだよ。
お盆が終わっても、まだ夏休みは残っているのに。

「花魚さんって知っていますよね?」

静かに、成田さんは切り出した。

私はしばらく黙る。

人のあまり通らない、マンションとマンションの間の道。
立っているのがつらくて、とりあえず地面に座った。
座ってから答えた。

「知ってるよ」

「どうして、まりこさんとさちさんは、
彼女のところにあんなに足あとを付けたんです?」

「そんなにいっぱい付けてないよ。
でもいけないの?気になるじゃん。
気になって足あと付けちゃって、それがそんなにいけないの?」

言いながら、私の頭は、成田さんがどうして敬語なんだろう?
ってことに苛立つ。
それに、さちさん。

そんなに親しい間柄でもないんですよと、主張しているように見える。

誰にたいして?

もちろん成田さん自身にたいして。

「毎日足あとを付けたのはまりこさんかもしれません。」

そう訂正した後に、成田さんは続けた。
「花魚さんのところにメールがきたんです。忠告かな?
僕たちのこと。なんでも知ってるって。」

「僕たちって?」

「僕とさちさんのこと」

私はまた黙った。
どう答えていいかわからない。
沈黙の後ろを時間が流れる。

「さくらこさんって知っていますか?」

今度はそう聞かれた。
それはそうだろう。
普通に考えて、私に関係のある人って考えなきゃ、
とんだ間抜けでしょう。

まさか、なにもかも全て、私が一人きりでやっていることなんて
そこまでは思いもしないのだろうけど。

「知らないよ。誰?それ」

私は予定調和的にとぼける。
問い詰められはしないことを知ってたから。

「さくらこさんっていう人が、
僕とさちさんのことをなんでも知っているって。
今朝、朝まで一緒にいたことも知っているそうです」

っていうかなんで敬語なわけ?

我慢できずに突っかかりそうになる。
何もかもおもしろくない。

こんな場所でこんな内容の電話、
おもしろくない。
あー、おもしろくない。

というより、今までおもしろかった?
成田さんと過ごした日々、そんなに楽しかった?

疑問に気をとらわれ、私はしばらく黙る。
成田さんも黙る。
何か、言わなくちゃいけない、聞かなくちゃいけない、
と頭をめぐらせる。

「それと退会することとなんの関係がある?」

やっと、聞けたのはそれ。
他にも聞きたいことが山のようにあったのだけれど、
山のようにあってもみんなひとつに固まっていて
やっと切り出してこれたのはそれだけ。

「僕は・・・」

今までと違う質の声。
私は目を閉じる。
きっとこれから、私が絶対に聞きたくない言葉をこの人は発する。

「花魚さんと結婚するんです。秋に。」

ビンゴ。

「知ってるよ。知ってることわざわざ言わないでよ」

私は吐き捨てるように言う。
こんな喋り方を、この人の前でしたことは数度しかない。

「どうして知ったんですか?さちさんは」

「なんとなくだよ。コメントとか見て、そうなんだろうなって」

全くの真実。

なんでわかるのか、その感覚をうまく説明することはできないけれど。

「花魚さんのところにメールがきて、
彼女はすぐに相手がさちさんだってわかったみたいです。
足あとと、今までの日記のコメントなんかからかな。」

今までずっと、暗黙のルールだった。

私達の間で花魚はいない。
気配を予感する発言すらしてはいけない。

それが今易々と越えられて、はっきりと発音されている。
それが嫌だ。

成田さんが「花魚さん」って発音する度に、
ガラスを引っ掻くような、脳の芯まで届くような深いな響き。

「たくさん悲しませてしまった。泣かせてしまった。」

感情の無い声。

泣かせないように、悲しませないように、慈しまれている彼女。
慈しまされすぎて、鈍感で穏やかに為り過ぎた彼女。

そんな女、不幸になればいいのに。

何も努力をしないで、悲しいこともしらないで、
自分の地位は完璧なものだと信じている。

泣いたらいいのに。

手に入らない物を諦めきれず、
悔しくて、歯軋りしながら泣いたらいいのに。

自分の思いをどうにもできず、
切なくて、叫んだり喚いたりしたらいいのに。

「決めたんです」

ふと、鳴き始める蝉の声。
こんな夜中に。

「僕は彼女を幸せにすると」

静かで、冷たい声。
“さち、大好きだよ”
って何度も囁いた、あの声は面影すらなく。

世界で一番私に優しい人が口にする、
世界で一番私に残酷な言葉。

「なのに、今日あんなに悲しませてしまった」

言葉の羅列の中、
やっと見つけた成田さんの感情は
悔恨。

「僕はどうかしていたんです」

そして侮蔑。

どうもしない。あなたは夢を見ていただけ。
夢の登場人物に、現実を浸食する力があることに
なぜかずっと気がつけなかった。それだけのこと。

成田さんの言葉は、銃撃のように私を痛めつける。
だから黙っていた。
これ以上、無意識の攻撃を誘発しないように。

眠かった。
会社が終わってから、あんなに寝ていたのに
なぜか今眠くて眠くて仕方がない。

「だから退会しました。」

一連の話と、退会することに、全く繋がりは見えなかったけれど
要はもう私と一切かかわりたくないということなんだろう。
50人のマイミク一気に切り捨てても
そんなことは厭わないくらいに逃げ出したいのだろう。

成田さんもしばらく、何も言わなかった。
そのまま電話を切ってしまおうかと思った。
もう話なんてしたくない。

あんなに素敵な言葉が沢山生まれた成田さんの口からは
私を痛めつける言葉しか出てこない。

“お前なんて死んでしまえ”

と、私はそう聞こえすらする。

だから切ってしまおうかと思った。
なのに、タイミングを計っている内に、
見えない向こう側の空気が動いた。

成田さんは息を吸って、吐き出す勢いで言った。

「僕は自分のしていることを悪だと思っています」

また、言った。
この人は何度同じことを口にした?

「悪じゃない!私は悪なんかじゃない!」

私は叫んだ。
生活感のない小奇麗な団地の暗がりで
私は叫んだ。

悪なんかじゃない。
悪なんかじゃない。

どうしてこの人はいつも悪だと片付けるの?夢だと片付けるの?

「さちさんは悪じゃない。悪は僕なんです。」

言い訳のような、諦めのような、
そんな口調で成田さんは言った。
つまりは、どうでもいいような口調。

「私は悪なんかじゃない。
私達は悪なんかじゃない。」

一人ごとのように何度も呟いた。
涙は出てこなかった。
悲しくはない。
だって全ては自分で仕込んだこと。
それでメソメソ泣いてちゃ世話もない。

ただ悔しかった。

尚も、全ては悪だと言い放つ成田さんを
私はどうしても許せなかった。

「ずっと僕のそばにいてください」

そう言ったくせに、私の目の前から
存在さえも隠そうとしていることが
私はどうしても許せなかった。

たとえ夏休みが終わっても、
その夏休みが途中だったとしても、
私が何をしでかしても、
これからどんなイベントが起きても、
あの人はずっと、私のそばにいる

根拠もなく、頑なにそう信じていた。

言葉を交わさなくても、姿をみせなくても、
存在だけはずっと近くに感じていられる。

私は子供のようにそう信じていた。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第23話

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2008年某日

成田さんとのことが全部終わって、しばらく経って、
私はタカキと別れることを決めた。

別居を決断するまで、
毎晩毎晩、話し合いと罵りあいと暴力の繰り返しだった。

「何度浮気されたって、見逃してきたじゃないか」
「また新しい男ができたんだろう?どうせうまくいかないよ」
「いつまでそんなこと繰り返すつもりなんだよ」

最後は必ず殴られたり、蹴られたり。

暴力で一日はようやく終わる。

顔も腕も足も青アザだらけ。
そんな嵐のような毎日の合間に、ふと流れる凪の時間。
いつものように、PCの方を向いたままタカキは話し始めた。

「去年の夏、何度も朝帰りして、携帯ばっかりいじって、
あの時絶対男がいたよな?」

私は答えなかった。

「別に責めてるわけじゃないんだ。
ただ、あの時のことだけは不思議で仕方ない。
怒られても、殴られても、“あともうちょっとだから、
数週間だから見逃して”って」

胸が痛かった。

何ヶ月経っても、あの時のことを思い出すと
キリキリ胸が絞めつけられる。
だから何にも言えなかった。

「適当に言い逃れしてるだけだと思ってたけど
お前本当に2,3週間で、ピタッと朝帰りも止まったし、
携帯見向きもしなくなったよな?」

頷いた。

不思議でしょうね。
ぴったりくる答えはきっと思いつかないでしょう。
自分の妻がどんな馬鹿げた恋をしていたかなんて、
想像もつかないでしょう。

「あれは一体なんだったんだろうなぁ
今だにあの時のことはわからないんだ」

別に答えを期待している、という風でもなくタカキは
独り言のように言って首を傾げた。
その証拠にそれ以上私には何も聞いてはこなかった。


その何日か後、私はあの川沿いの家を出た。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


2007年8月


10時頃、おはようってメールがきた。
仕入れの仕事が終わったので、これから出かけますって。
どこに出かけますとは言わない。
ただ出かけます。それだけ。
つまり言いたいことは、

出かけるのでメールはしばらくできません。

そういうこと。

おかしなところは何もなかった。
花魚の足あとの件、
日記もあるし本人から話も聞いているんだろうけど
おそらくただの迷惑メールと認識しているね。
花魚本人はどうか知らないけれど。

ずれたおはようメールに私は返事をせず、
ひたすら仕事に集中していた。
正確には、しているふりをした。

仕事は仕事、プライベートはプライベート。

念じるように戒め続けたけれど、思考の軸はぶれていく。

お昼過ぎ、たまらなくなりメールをした。
多分今頃、海だか山だかどこかの街だかへ
向かって車を走らせているんであろう時間。
 

Subject: Re:大丈夫?
To: 成田
具合悪いんじゃないかと心配になっちゃった
今日は忙しいって言ってたから
昨日はちょっと会えたらいいやって思っただけなの
でも夏休みだから許して
一回だけ、大好きってメールして?
それで夜まで頑張るから。
お願い


送るだけ送って、
送った内容に後悔しつつ、
返事なんて一切期待しないでいたのに
30分もしないうちに携帯が震えた。


From: 成田
Subject: Re:大丈夫? 
大丈夫。
大好き\(#⌒0⌒#)/さち


いつもは絶対にメールなんてこない。
夢の世界からは到底届かない、彼の現実。
私のメールに何か違うものを感じたのでしょう。

この時、初めて、
私の住む夢の世界と現実が繋がった。

メールなんて無視してくれたらよかったのに。
いつものように、大丈夫、だけで誤魔化したらよかったのに。

どうしてなんだろう?

大好き\(#⌒0⌒#)/

って、そう返事が来た時、
私の心の中、
蓋をして、蓋をして、
それでも抑えきれずに垂れ流されていた様々な感情、
それらが一気に溢れ出した。

夏休み?なにバカ言ってんの?
人はそんな期限付きで恋愛なんてできないんだよ。

愛してるって何回言った?
裏切りも嘘も認められないって、
あんなに何度も何度も言ったくせに

あの人は何度嘘を付いた?
両目でさちのことを見るようにします。
そう言ったくせに、
あの人の両目はいつも夢を見ている人の目だった。

触らなければ大丈夫、水槽越しに愛で続け、
たまに水の中に入ってきては溺れた人の目をし、
挙句の果てに私を夢の登場人物と片付けた。

夢の中に住む私は傷付かない、怯えない、泣かない。

いくら好き放題にふるまっても、夢から覚めれば全ては消える。
そう思っていたでしょう?

自分の罪悪感や責任感に折り合いをつけるため、
夢や妄想だと私を片付けた。
あの人の折り合いのためには、
私に心なんてあってはいけなかった。

好きな時に弄んで、連れて歩いて、戯れて、
そんなことのために私を必要とした男たち。
何年も私を離せなかったタカキは、
私を、庇護し、愛でるだけの存在として必要だった。

誰も私の心なんていらない。

成田さんだって、みんなと同じ。

私のことなんて、誰も愛してくれない。
私のことなんて、誰も必要としてくれない。
先に続いていく未来なんて、私には何もない。

だって私の全ては夏休みが終わるまで、と決めたのだから。

これは余りだ。

私は気づく。
私が蓋をして隠していたのは、
溢れ出してきたのは無限の余り。
割り切れない割り算を、無理やりした挙句
押し込んで隠していた余り。

今、私は余りに潰される。

胸が痛かった。
心臓に異常があるんじゃないかと思うくらい。
ねじり上げるようにキリキリと痛みが増してくる。
息も苦しい。

でも涙は出なかった。
さすがに会社で・・・と、最後の自制心?

潰されないために、私が取った行動は1つ。

メールを書いた。
ミクシィメッセ。
もちろん、花魚に。
もちろん、さくらこのアカウントで。

まだ、心のどこかで期待をしていたのだと思う。

わずかでも、成田さんが秋になっても私を捨てきれない可能性。
夏休みが終わるまで、今のまま、続けていける可能性。
残りの火曜日までやり過し、あと何週間かの未来。
それをこなしていける可能性。

だから、一生懸命知恵を絞った挙句に、
あんな中途半端で姑息なメールを昨日送った。
決定打は何もない。今までと何も変わらない。

でも、やっぱり私はもう堪えられない。

私はもうなんにもいらない。
思い出も、今も、未来も
なんにもいらない。


宛 先 : 花魚
日 付 : 2007 年08 月14 日 13 時59 分
件 名 : お知らせ
度々失礼します。
日記を見て、どうも不特定多数に送ったと思われているようですが
昨日のメールはあなた個人に送っています。
あなたの彼氏は別の女性とお付き合いをしています。
今日も朝まで一緒にいました。
足あとを見れば、相手の女性が誰かすぐにわかると思います。
余計なお世話かと思いましたが
あまりに何も気がついていない様子なので。



躊躇も無く、「送信する」をクリックした。

何が起こるか?
何が始まって、何が終わるのか?

もう知らない。

私は終業時間まで、歯を食いしばるように仕事へ集中した。
定時になるとまっすぐ家に帰り、
着替えもせずにベッドに入り、ひたすらに眠った。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜



夜の11時過ぎ。

携帯の音で目が覚めた。
バイブにし忘れたんだ。
メールとは違う音に、慌てて起き上がり通話ボタンを押した。

まりこからだった。

周りを気にするかのような小声で話すまりこ。

「ねぇ、なんで?」
突然詰問された。

わけがわからず、一気に醒めていく頭を感じつつ聞き返す

「なにが?」
「見てないの?ミクシィ」
「知らない。会社帰ってからずっと寝てたから・・・」

そう、ずっと。6時過ぎから今まで、4時間以上も。

「退会してるよ」

やっぱりわけがわからなかった。
私はまだ寝惚けているんだろうか?

「誰?」
「成田君!退会してる。もういない。」

その状況を頭が認識するより早く、
枕元に置きっぱなしになっていたノートPCを引き寄せる。
PC起動し、立ち上げたIEからミクシィログイン。

「・・・ほんとだ」

マイミクが一人減っている。

慌てて、一番最近成田さんがコメントつけたと思われる日記を開き、
あの人を探しても、「炎の男」なんて字はどこにも出てこず、
見覚えのあるコメントは名前すらない。

状況はわかったものの、なにがどうなって退会って話までいくの?
あまりに早い展開に、私は戸惑う。

もちろん、私が昼間投げた爆弾が原因であることは
確かなのだろうけれど。

とりあえず、本人に聞いてみてまたかけるからと
まりこの電話を切って、成田さんへメールを送った。


Subject:
To: 成田
なんで?
ミクシィどうしたの?
意味わかんないんだけど


すぐに返事が来た。


From: 成田
Subject: お疲れ様です
ミクシィ退会します。


ようやく私は全貌を理解する。

躊躇もせずに私を切った。
あんな1通のメッセで、
なだめごまかす努力もせずに。

私はやっと自分のしたことの意味を知る。
私はやっと成田さんという人を知る。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第22話

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「夏の朝って、昼間とは別のようだと思わない?」

朝の光が穏やかに射す京葉道路。
車の窓から見るとは無しに眺めながら、私はふと言った。

「思うね」
前を見たまま、成田さんは何故かしかめ面。
別に機嫌が悪そうでもなく、たんに眠いのかな。

「真夏の朝が一番好きだなぁ
空気が透き通ってて、今ここにある空気の本物の形って感じがする」

そう続けた。

私が思っていたのと同じこと、口にしてくれたから少し嬉しい。
真夏の朝、冷たくも温くもない空気。何も色がついていない。

「でもさぁ」
ガラガラの道を、左に曲がりながら。

「6時までだよ。」

6時?
今は5時50分くらい。

「6時過ぎると、どんどん気持ち悪くなる。
空から何か変な物が降ってきて、空気を変えていくみたいに
ベッタリ体にまとわりつく」

“気持ち悪くなる”その表現が可笑しくて、私はしばらく笑った。

笑っていると、もうすぐに私の家。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


赤い車で送ってもらって、
いつもの川沿いの道へ着いたのは
結局6時少し前だった。

朝早くから出かけるくせに。
今日は大事なお出かけのくせに。

海へ行くんだか、山へ行くんだか、
そんなことはどうでもいい。

私が残してやったのは、
まともな思考を一日維持できるわけもないくらいの疲労感。
もちろんそれは私自身にもたっぷりとね。

朝までおしゃべりとじゃれ合いの繰り返し。
目いっぱい気持ちよくしてあげて、
目いっぱい気持ちよくなる言葉を囁き続けた。
翌日一日、私のことで頭がいっぱいになるくらいに。
私のこと以外何も入りこむ隙もないくらいに。

それでもそれは無駄な足掻きだということは、
充分すぎるくらいに知っている。

夢を見ていたと、あの人は目を覚ます。
何か夢を見ていた。甘くて楽しい夢。
いい夢だったなぁ、と思うかもしれない。
目が覚めなくてよかったと思うかもしれない。

でもそれはそれ。

現実は現実で、伸びる別の線。
その線上を迷うことなく進んでいく。

車が停まる。

まだ6時前。空気は透き通っている。
気持ち悪いものが、落ちてこないうちに、
早く家に入ってしまおう。
そしてとりあえず少しだけ眠ろう。

私はあまり躊躇なく車を降りた。

「ありがとう」

来てくれて、朝まで一緒にいてくれて。
窓越しに言った。

「こちらこそ、ありがとう」
無邪気な笑顔。
歯を見せて成田さんは笑った。

ありがとうに他意はなかったのだろう。
明日も明後日も、夏休みは続いていく。
そのことになんの疑問も持っていない、
そんな目をしていた。

でもね、この時見た成田さんの笑顔、
私が、最後に見た成田さんの顔。

あんなに愛して、
あんなに憎んで、
あんなに焦がれた。

最後まで夢を見る人の顔。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


タカキは寝ていた。
だから、私は少しでも多く眠れるように、リビングで眠った。
座椅子をいっぱいまで倒して。

1時間ちょっとで目を覚まして、タカキが起きる前に家を出た。
起きてきたとしても、別に今更何も言わないのだろうけど。
言われたとしてもかまいはしない。
だって、こんなことがあと何度あるか。
その後はもなかったように静かになるしかないのだから。

会社に着くか着かないかのタイミングで、まりこからメールがきた。


From: まりこ
Subject: Re:ウケた
花魚の日記見た!
さちさん宣戦布告されてますよ(笑)
マジであなたおもしろいよ!


昨日の夜から、ミクシィには全くログインしていなかった。
とりあえず、会社の自分の席、着いた私はPCの電源を入れログイン。
成田さんのページから花魚のところへ飛ぶ。


本当だ・・・すごく久しぶりに日記書いてる。
昨日の晩?


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


花魚さんの日記


迷惑メール     全体に公開       2007年8月13日 23:35

ミクシィで、迷惑メールが多いとは聞いていましたが
初めて私のところにも迷惑メールが来ました。
不特定多数の人間に送っていると思われますが、
本当に不愉快な内容です。
あまりに不愉快だったので全文引用させていただきます。


あなたは自分のパートナーを信用していますか?
お互いマイミクもしているし、
相手の日記に何が書いてあるかも全部わかっているし、
安心♪と思ってはいないですか?
あなたのパートナーは日記やそのコメントでは見えないところで
あなたを裏切る行為をしているかもしれません。

ミクシィの機能に足あとってありますよね
知らない同性からの足あとが頻繁につくことはありませんか?
パートナーの日記コメントに、怪しげなコメントはないですか?

あなたの見えないところで、
あなたのパートナーは全く別の人間になっているかもしれない。
目に見えている幸せだけを信じますか?
全くの幻かもしれないと、想像してみるのはどうでしょう



以上です。
どういうつもりでこういった文章を送りつけるのか
私にはさっぱりわかりませんが、
忠告のつもりなら余計なお世話です。
私は、信頼できる大切な彼氏と幸せにしています。
世の中の男性がみんなあなたの思っているような人とは違います。
ご自分がどんな裏切りを受けたのか知りませんが
あなたの彼氏と私の彼氏は違う人です。
またこういったメールが来るのならば通報します。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


私が送った。

実は、昨日の夜、まだ会社にいた時に。

ずいぶん前から、ミクシィのアカウントを1つ持っていた。
会社用携帯を持たされた時に、
これでミクシィアカウントがもう1つ作れるな、と
本当に何気なく作った。
知っている人のいないところで秘密の日記を書こうかな?とか
人に見られたくないコミュ閲覧用に使おうかな?とか
色々考えつつも放置したまま。

この夏がはじまってからずっと、頭のどこかにはあった。
誰も知らない別アカウント。
HNは「さくらこ」
由来とか、そんなことは些細なことは覚えていない。
具体的にどう使おうかとか、そんなアイデアもなく。
でも何かを壊してしまうだけの武器には為り得ると、
薄々は感じていた。

姑息な手を思いついた。

意味不明なチェーンメール?広告メールとも取れる内容。
いかにも不特定多数に送ったかのような内容。

何も知ろうとしない、疑おうともしない、
そのくせいかにも裏ありげなコメントを
成田さんの日記に付けてきたあの女。
その態度が嫌で嫌で仕方なくて、
だからこんな中途半端にちょっかいを出してみた。

目的は足あとを見せること。
足あとを見れば、まりこと私の痕跡が、
尋常ではないほどに残っていることを知るはず。

全く狂ってる。

それにしても、たんなる迷惑メール、と
黙殺されるものと思っていたから
ここまでの反応は予期していなかった。
だって、この日記を一体誰に読ませようと?
ブロードキャストと思わせて、
ユニキャストで届いたことを勘付いている?

ふと思いつき、自分のトップへ行く。
私も最近はあんまり見なかった足あとをクリック。


最近の足あと
2007年8月14日 01:37  花魚


来た来た。

ほらね、今まで一度も踏み返してこなかったくせに、
くだらない迷惑メールと言いつつ、やっぱり気にしてる。

笑っちゃう。

深夜1:30にあんたが私のミクシィ足あとつけたその瞬間
自分の彼氏が何やってたか知らないでしょ?

笑っちゃう。

それで寝不足の彼氏と2人で、
1日一緒に過ごせる楽しい休日、満喫したらいいよ。

私はPCの前で笑いが止まらない。

何年も前、神谷君の奥さんが電話で、
「人の家庭壊して楽しいですか?」
って言ったあの時も笑いが止まらなかった。

私はそんな女で、そんな人間で、
心なんて持っていないのかもしれない。
だから誰にも愛されないのかもしれない。

築き上げていくべき物、信じる相手、
そしてどこまでも続いていく未来
そんなものつまらないものに縋って
生きていく人間達を理解できない。

理解できないから、私は笑う。
本人を目の前にして、笑ってやりたい。

あなたが一人で部屋で、
ページいっぱいの怪しい足あと見て、
疑心暗鬼(と自分では思おうとしたでしょう)に
獲り付かれている時に
あなたの彼氏は私の体に溺れて、
情けない呻き声を発していました。

それでもその彼氏が守ろうとした未来、
小さくてつまらない未来、
2人で大事に育てていくの?

笑っちゃう
笑っちゃう
笑っちゃう

そう、自分でもわかってる。
これは自虐笑い。

机の隅に置いてあった携帯が震える。


From: まりこ
Subject: 爆笑 
「あなたの彼氏と私の彼氏は違う人です。」
だって!ウケる!
全くの同一人物だよ!ばーか
ってコメントしてもいい?


まりこ的にはこの展開、楽しくて仕方ない様子。
まぁ、こんな見物はそうそうないよね。


To: まりこ
Subject: Re:爆笑
ダメだよ。
でも足あとついてたよ。
あんなこと言って本当は気にしてるんじゃんね


眠い頭を無理やり動かし、とりあえずは仕事をする。
こんなお盆中に、急ぎの仕事なんてないのだけれど
とりあえずはそうやって、逃避をするしかできない。

自分のしたこと、自分のしようとしていること、
見たことのないあの女の顔、声、しぐさ、
あの人の今日の予定、秋までの日数、
昨日のあの人の笑顔、私に触れる指先の感触、
発した言葉、薄暗いバスルーム、
湿ったようなベッドの感触、朝の空気、空の青色。

コマ送りのように次々浮かんでくる物に、
頭の中を占領されるわけにはいかない。
そんなことをしたら、私は私が見えなくなる。
このままじゃなんにも見えなくなる。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第21話

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あの夜のことは、今でも全部覚えている。

肌に触れた空気の感触
街灯に照らされて光る、木の葉の緑
ものすごい勢いで流れていく灰色の雲と
その向こうに広がる深藍の夜空
どこまでも続きそうな高速道路の灯り
公園から飛び出したら見えた、
何故か悲しげな船堀タワー

あの街から離れて、今日で4ヶ月。
あの街で暮らして、結局2年半。

それでも、
あの夜の私の目が一番に鮮明だった。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜



From: 成田
Subject: おはようさち 
おはよう


To: 成田
Subject: Re:おはよう
電車ガラガラだょ。


8月13日。
世間はお盆休みへと突入。

お正月やGWに比べれば、そうでもないものの
いつもの土曜日程度の地下鉄へ乗って、
お盆なんて関係ない方針の会社へ、私は向かう。

地方へ帰る人は有給を取ってるから
それでも会社は閑散としている。

別に有給はあるし、急ぎの仕事もないし、
無理に出勤することもなかったのだけれど
出かける当てがあるわけでもなく、
昼間から家にいたところで、余計なことをしたり考えたり。
無理やり蓋した様々な事象が、噴出してこないとも限らない。
実のところもう、蓋は蓋の役割なんてしていないのだけれどね。

明らかに何かが起きている、花魚の内面。
転びそうになりながら、つんのめりながら、
それでも前へ進もうとしている成田さん。
蓋をして歩くのも諦め、噴出するまま全てが壊れるのを願う私。

いわゆる歯に衣着せるというようなメールのやり取り。
どうでもいいような、当たり障りの無い内容だけが行き来する。
とりあえずここだけやり過ごせば、また9月まで進める?

何かが変わってきていること、私はちゃんとわかっている。
成田さんだって全部認識している。

でもそれは言わない。
暗黙のルールだから。
思えば成田さんと、はじめてリアルで会ってから
どれだけ暗黙の約束やルールがあっただろう?

腹を割る、なんて私達の間には通用しなかった。
腹を割れば、存在自体が成立しない。

朝からずっと、何かに追いたてられているような気分だった。
そう、まさにこれは夏の終わりの気分。

どうして夏の終わりはいつも、
何かやり残したような、何かど忘れしているような、
むず痒い、落ち着かない気分になるのかな?

せっかちな夏は少しづつ加速していき、
ついには私達を追い抜いた。
まだ8月も中場だっていうのに、暴走。

もう夏は後姿しか見えていない。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


9時過ぎまで会社にいたけれど、連絡は来なかった。

だから会社を出て、家の近所まで帰っていれば
仕事が終わった成田さんとすぐ会えると、
タイムカードを押して出た。

今までならば地下鉄に乗ってる間にメールが必ず来て
どこか途中の駅や、いつもの川沿いの道で会える。
だから地下鉄のドアの前で、ずっと携帯握り締めて立っていたのに。
結局東大島の駅に着くまで一度も携帯は震えなかった。
駅を降りて、ブラブラと時間を潰した。

なんとなく、来てくれなそうな感じがして、少し覚悟していたの。

どういう根拠かわからない。
たんなる予感。

心のどこかで、
今日来てくれたら、今日で最後。
そういう思いがあったのね。

もうこれ以上進めない。
悲しいけれど諦めていた。

でも、根拠のない予感は、
今日はあの人来ない?とささやいていて、
だからいっそ今日来ないでくれたら、
またお盆が終わって仕切り直しにならないかな?

淡い期待。

でも、あと10分、あと10分だけと待っているうちに、
悲しくなっていくでしょう。

お盆中の夜の街はいつもと全然違う。
歩いている人はちょっとだけ。
灯りのついてるお店も少な目。

無駄に輝く、ツタヤやマックの灯りが淋しく見える。
お店の中もいつもより少し静か。

生暖かい風が吹いて、街路樹がざわざわと揺れてる。
低い雲がすごいスピードで枝の間を通過していくのが見えたら
我慢していたのに、少し涙が出てきた。
まぁいわゆる状況に酔っているだけなんだろうけども。

1回涙が出ると、淋しくて止まらなくなる、
10分も歩かないで、ちゃんと待っている人のいるお家があるのに、
私は迷子みたく街を歩き回っている。

バッカみたい。

時計を見れば10時半。
もう来てくれたところで、
明日早いはずの成田さんとは、そんなに長くいられない。
でも、顔だけでも見せてくれたら、
それ以外何にもいらないのに。

そんな気分にすらなってくる。


Subject: お疲れ様です
To: 成田
来れるのか来れないのかくらいは
教えてくれてもいいような気がする。
これだけ待ってて「いけません」じゃ、
ちょっと残酷すぎ


返事はすぐに来た。
おかしいくらいすぐに来た。
こんなにすぐに返事ができるなら、
どうしてもっと早く連絡をしないんだろうと
誰もが訝しむくらいすぐに。


From: 成田
Subject: Re:お疲れ様です 
ごめんなさい
お袋の具合が悪くなって、先生が来てくれています。
痛み止めの処置をして終了です。
腕が上がらないし動かなくなってね。
前にも一度あったんだけど。
僕は残酷で駄目な人ですね、本当にごめんなさい。


何を言い出すんだ。この人は・・・

残酷な人で、ごめんなさいで、
結局どうするのかは明言せず。
取り込んでいたのはわかるけど、
どうしてその間簡単なメール一通入れることができないのか?
私から連絡したら即座に返信が来るのはどうしてか?

この日、成田さんが言った話が嘘だったのか、本当だったのか
本当は何が起きたのか、今でも全くわからない。

だけでも、この時は追求するのも嫌になるくらい
全てがつっこみどころ満載で、
見ないふりをしようと、言っていることを信じようと、
懸命に努力をしてもどうにもならない。


Subject: Re:了解です
To: 成田
大変だよね。仕方ないよ。
わかってるけど、町は人が全然いなくて寂しくて、
来てくれなかったらどうしようって不安で、
なんかもう悲しくてどうしていいかわかんない。
何時でもいいから待ってるって言ったら来てくれるの?ダメでしょ?
じゃあ明日代わりに会ってって言ったら?ダメでしょ?
私には何もない。
でも怒っても成田さんは困るだけ。


From: 成田
Subject: Re: 
おふくろは眠ったようです。明日はいっぱいだから、今から出ます。
少しなら大丈夫です。幼稚園に向かいます。


もう来ないで欲しかった。
私の目の前に二度と姿を現さないで欲しかった。
溺れた人の目をして、転びそうな嘘を並べて欲しくはなかった。

でも、会いたかった。

冷たくて、硬い指に触りたかった。

私は川沿いの道へ向かった。

公園から、道路へ出たら
目の前に船堀タワー
寂しげに揺れる灯り。

これも一生忘れないようにしよう。

なぜかそう思った。

どんなにこれから悲しいことが起きたとしても
今見ている全ては忘れないようにしよう。


私は走った。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜



来てくれたけど、私は顔をまともに見ることもできなかった。
やっぱり怒ってる気持ちがおさまらず。

予想通り、歯切れの悪い言い訳を並べる。
いつつまずくかとこっちが心配になるくらい。

はっきり言ってくれたらいいのに。今日は来る気がなかったって。

「もういいよ」
助手席の私は、目をそらして表を見たまま遮った。
「成田さん、転びそう。しどろもどろだよ?」
苦笑い。

成田さんは、それっきり言い訳をやめた。
それは肯定?
苦しい言い訳をしていると肯定?

「どうしてそんな顔するの?」
困ったように聞いてくるの。

「どんな顔?」
「悲しそうな顔。」
「かわいくない?」
「かわいいけどさぁ」

手を握ってくれる。またちょっと悲しくなるね。
「泣きそうだよ。そんな顔はじめてみたよ。」

「かわいくない?」
この人の前ではかわいいかどうかだけを気にしていようと決めたの。

「かわいいけど、いつものほうがかわいい。」
めずらしく強めに頬を押さえキスをする。

優しい。
唇の感触が好き。
官能的ではないけれど、優しくて心地いい。

「行こう」
成田さんは車のエンジンをかけた。
「明日、早いんでしょ?」
私は虚ろに言った。
頭の中が霧がかっている。

「大丈夫。朝少し寝たらもつから」

いいのに、私はいいのに。
そう言おうとしても声は出ず、もがくように手を伸ばした。

「大丈夫。」
成田さんはまた言った。

「夏休みでしょ?」

また言った。
その5文字は、私を突き落とす。
ほんのちょっと、踏ん張ってた足の先
その一言で、私は落ちた。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


特別な夏休み。
でも限りある夏休み。

明日早いからって言ったくせにホテルへ行った。

寝不足も、不埒も、夏休みには関係無いから。

ベッドの上、横になった成田さんに
私は覆いかぶさるようにキスをする。
何度も何度もキスをする。
唇も、舌も、千切れそうなくらいに吸う。

苦しそうに唸った後に、
成田さんは私の頬を両手で持ち上げ、少し強めに離す。
見上げて、長い間私の顔を見る。

黙ったきり。

「どうしてそんなに見るの?」

「このアングルで見るさちが好きなんだ」

私は成田さんの両手を無理やり跳ね除けて、
またキスをする。
もうめちゃくちゃにキスをする。

そうしたら成田さんは、私の腰を痛いくらいに押さえて、
仰向けに引っくり返らせた。

「好きだよ。さち」
囁きながら、まためちゃくちゃなキス。

「お風呂入らないの?」
唇の隙間から、呻くように私は聞く。

バスルームのお湯の音、さっきから止まっている。

「お風呂?入るでしょ?」
返事をしない成田さんから、無理やり離れて服を脱ぐ。

下着姿になったのに腕を引っ張られる。

「お風呂入るんでしょ?」
「いいの。見せてよ。」

またキスの嵐。

「きれい、さちきれいだよ。」
うなされたように囁き続ける。

きれいだよ。
愛してる。
好きだよ。

それは間違いないんだけどね。

でもね

あんなに愛してると言って、きれいだと言って、
愛される自分を誇らしそうにして、
それでも私はいらないと言う。つまらない女を優先にする。

だからめちゃくちゃにしてやる。

甘い囁き 蜜の時間 淀んだ空気
乾いた表皮 風も流れてこない

こんなところで、こんなことをするために
私はあの人に恋をしたんじゃない。

粘度を持って動いていく、緩やかな時間
逃れるように私は首を振る。

めちゃくちゃにしてやる。

私はあの人の名前を呼ぶ。

届かない。
あの人には聴こえていない。
水中から、いくら叫んでも
水槽の外にいるあの人には聴こえていない。

私は、まわした手で、成田さんの背中を掴む。

快楽の方へ、流れていく意識の中
ただひたすら朝を恐れる。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第20話

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朝一にWINSへ行くと
全部のテレビ画面は「音声テスト中」と表示され、
2007年のJRAのテーマソングが流れる。

まだ人がまばらのフロアーで私はいつも成田さんを探す。
壁際のテーブルに向かって真剣に新聞を見ていたり、
中央のテーブルの横にしゃがみこんで考え込んでいたり。

「具合悪いの?」
しゃがみこんでいた時に聞いてみた。

「ちがうよ。新聞の下の方見れないでしょ。」
確かに。狭いテーブルの上に新聞を置いても、
馬柱の下の方はたれさがってしまう。

いつも、私が成田さんの横に行き、テーブルに新聞を置くと、
成田さんは「はい」って、缶コーヒーを渡してくれる。
なぜかいつも照れくさくて目を合わせずに「ありがとう」って受け取る。
1回受け取った後、もう一度缶を差し出すと、プルトップを開けてくれた。

開けて渡してくれればいいような気がするけれども、
もう週末の朝の決まった流れ。

ごくたまに、私が先についた時、
成田さんの真似をしてしゃがみこんで新聞を見てみた。

急に頬っぺたに冷たい感触。

成田さんが笑顔で後ろに立っていた。
缶コーヒー・・・
振り返って、私も笑う。
その瞬間が幸せで。

そうして、予想して、マークシートを塗って買う。
穴ばっかり狙うからいつも外れて。
でも外れることなんてどうでもよかった。

私の突拍子の無い予想を面白がってくれる成田さんが見たかった。
成田さんは自分の選んだ馬と、
私が独自の理論の元に見つけた幻の穴馬を組み合わせた馬券を
必ず買ってくれた。たいてい10万馬券か100万馬券。

「当ったらどうしようか?」

メインまではメールでそんな話をする。

あんな素敵な馬券で何時間も私を楽しませてくれる人は他にいない。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


夢の中を泳ぐような虚ろな毎日。
重力は可変。
体中を押さえつけるように重くなったり、
空を飛び回るように軽かったり。

これからのこと、難しいことを考えるのは明日にしよう。
そう思いながら、一日が終わる。
ひたすらそれを繰り返す夏休み。

甘い水曜日、木曜日、金曜日。
日曜日の重賞予想と、上の空のラブラブメールが続く土曜日。

ふと、土曜日の夕方でメールが途絶えた。
それっきり、その日はずっとメールが来なかった。

夜、9時を過ぎても、10時を過ぎても、11時を過ぎても

あってもおかしくない。
普通の会社に勤めているOLさんが
気兼ねせず遅くなってもいいのは土曜と、よくて金曜?
そういえば、土曜日に私と遊んでくれたことは
ほとんどないなぁ、と思い当たったり。

まぁ、どうでもいいんだけど・・・

どうでもいいのに、ウダウダと頭が回るのもいまいましい。
連絡がないことを、あまり気にしないようにしようと
意識的に決めていたところがある。

どこへ行っていたとか、何をしていたとか、
私が言う筋合いの話でもないし。

でも、もう堪えられなかった。

あんなに私を愛してるあの人が、平気な顔をして、別の女の人に愛を囁く、
そのことを少しでも想像したくなかった。

本心を言えば、
実はあの彼女とは終わっていく方向に向かっているのでは?
そういう可能性に期待していたところもあった。

杞憂の反対。有り得ない展開を妄想する、これも女子の特権。
それくらい、成田さんに迷いや戸惑いの陰はなかったから。

火曜日に仕事と言って、連絡がなくなるのも本当に仕事なのかな?
とか、
結婚とか、なんなんとか、そんなのみんな放り出し、
あの人は私だけに向かってきてはいないかな?
とか。

でも、杞憂と期待じみた妄想が女子の特権であるならば、
悔しいくらいに研ぎ澄まされた直感と洞察力も女子の持ち味。
本当は最初から、ほとんどが直感でわかっている。

そんなことはありえないと。
妄想に過ぎないと。

だから、12時まで待って、耐え切れずに睡眠導入剤を飲んだ。
低下していく意識レベルの中、1通だけメールを打った。


Subject: もういいや
To: 成田
おやすみなさーい


もういいや、って。何がいいんだかわからないけれど。自分でも。
もう今日はメールくれなくていいや?
もう全部終わりでいいや?


3時頃に、ふと目が覚めた。
目が覚めて携帯を見たけれど、
メールありのお知らせランプは光ってなく、
もうこのまま朝まで何も言ってこないんだなって、また眠った。

ダメかもしれない。

また思った。

もうダメかもしれない。

ランプが光っていないことにたいして
悲しさはなかった。
絶望感もなかった。

ただ、諦めだけが心に広がる。

私の心はもう決まっていたのだと思う。

離陸していたでしょう。
あとはどこにどう着地するかだけ。

どうにか正常に着陸できるのかな。
胴体着陸か?
それとも、炎上したまま突っ込んでやる?
遠い海まで飛んでいき、そこで力尽いて墜落?


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


もういいやって眠ったくせに、
朝は7時には目が覚めた。

やっぱりメールはこない。

それで、空気が甘くなった自転車に、
炎天下の下で汗をかきながら空気を入れた。

私はWINSへ行くんだ?
まだ凝りもせずに京葉道路を走るんだ?
自分の行動に自分で苦笑い。

馬券を買いにいかなくてはいけないし、
成田さんが何か言ってくるかこないかは別の話だし。
自分の行動に自分で突込み。

今日も、相変わらず攻撃的な夏の日差しの下、私は自転車を漕ぎ出す。
暑さで朦朧となりながら、
成田さんに会いたいなと思った。
今朝会えなかったら、このまま全てが終わってしまうような気がした。

もし、WINS西館の2階に成田さんがいなかったら・・・
そう思ったら、心が潰れそうに痛くなる。
全く情けない話で。

自転車を走らせたまま、パンツのポケットから携帯を出した。
手早く短いメールを作成し、送信。

 
Subject: 小倉
To: 成田
1 7 9 10 11
3連BOX


それだけ。
おはようの挨拶も、昨日の話も一切無し。
私はいつも通り、WINSへ行って競馬をするからね。
そして、1 7 9 10 11の3連複ボックスを買うからね。
ただそれだけを伝える文字列。

返事はびっくりするぐらい早く来た。

From: 成田
Subject: Re:小倉 
おはようさち。
玉子サンド食べる?

早い返事と、あれだけの内容から全てを理解して返す文章。
成田さんはちゃんとわかってるんだ。
私が昨日の夜何を悟り、怒り、何かを決めたか決めかねていることを。

でも、もう、なんで玉子サンドなのよ。この人は。
おかしさと愛しさで、思わず笑ってしまう。


Subject: Re:小倉
To: 成田
いらないょ
はやくきて


私は自転車のギアを3速に上げ、京葉道路を駆ける。



☆北九州記念


久しぶりに、京葉で赤いスクーターに抜かれた。
ゆっくり走ってたから。
もちろん、成田さんに抜かれたくて、
成田さんが靴の踵を触るところ、見たくて。

成田さんはやっぱり長い手を伸ばし、靴の踵を触っていた。
私はそれを見て、嬉しい。

私に気づいて、私を見ている。

「照れ隠しだよ」
前にそう言っていた。
いつまでたってもあの人は照れる。

そんな人が大好きで、嬉しい。

WINSの2階へ上がると、すぐに成田さんは見つかった。
嬉しそうに、歯を見せて笑った。

「はい」
渡された紙袋を除くと、パックに入った玉子サンドと缶コーヒー。

「ありがとう」
そう言って成田さんの顔を見た。
気のせいか、前より一層、頬がこけた感じがする。
いつもの、夢を見ているような目は、
健在だけれどほんの少し濁っているように見えた。

「今日は荒れるねー」
新聞を広げながら。
「カノヤザクラでいこうかなぁ」
私は言う。
成田さんは、うーん・・・としばらく考え込んでから
「軸はアストンマーチャンでしょ?」
と、マークシートを塗った。

「穴だったらねー」
私は新聞を指差す。
「これ、これ」
キョウワロアリング。
思いつきなんだけどね。
きょえー!とびっくりした顔をする成田さん。
「買わないけどねー」

ボールペンでシートを塗りながら、
私は何気ない感じで言ってみた。
「もう来ないと思わなかった?」

顔は見ない。
ひたすら下だけを向いている。

「昨日は、配達が12時過ぎまであって・・・
千葉の方と世田谷の方と・・・」

しどろもどろで、今にも転びそうな成田さんの説明。

堪えられず「もう、いいよ」と遮る。

「何をしていたかなんて知りたくないよ」
絶対に知りたくない。

「ごめん。でも、もういいやって言うから、来ないのかなと思った」
困ったような、悲しいような成田さんの声。

私は顔を上げ、書き終わったマークシートと、
たたんだ新聞をかかえる。
「1-6-9馬券、買うの?」
笑う。

成田さんも笑う。
「もちろん」
マークシートをヒラヒラと振った。

成田さんは今日も1-6-9馬券を買って
エレベータではキスしてくれた。

短いような、長いようなキス。

でも、玉子サンドと私を残して、
いつものようにお店へ帰って行ってしまった。
だから私は、高速道路の下、
公園のベンチに座って玉子サンドを食べた。

嬉しいけどね、考えたらわからないかな。
公園で一人で食べる玉子サンド。
そんなのちょっと寂しすぎるとは。

わからないよね。
夢見る人には。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


あてずっぽうで指さした、キョウワロアリングがまんまと穴をあけた。
単勝7300円、馬連38000円、3連単150万円越え。
なんともなぁ・・・やるせない。

夏の日差し最高潮。
外に出る気にもなれず、競馬中継をはさんで家でゴロゴロしていた。
穴だったら・・・って言ったキョウワが来たこと
成田さんに言いたかったけれど、
忙しい日曜日の午後にメールが来ることはほとんどない。
代わりのようにまりこからメールが来た。


From: まりこ
Subject:
昨日のヤツの日記見た?
なんとか温泉の予想日記
日記っていうかコメント!

また何が・・・
と想像するよりも早くログイン。
ゴロゴロしている日曜日。パソコンはいつも手元にあるから。

タイトルは瀬波温泉特別
確かに昨日の朝の競馬日記。
土曜新潟メイン。1000万下のダート1800m。
どうということもないいつもの予想で
見るには見たけどそれっきり、印象にも残らず。

数個ついているコメントと、それにたいするコメント返し。
一番下から2番目のコメントで、スクロールする手が止まる。

花魚のコメント。

七夕賞以来、コメントなんて見かけなかったのに。

ざっと読んで、私は苦笑い。
笑うしかない。



花魚                   2007年8月12日 19:05
炎さんに会いに行こうと思ったのに、夕方から頭痛が止まらず
先ほど薬を飲みました。
ロキソニン。私のパソコンではなぜか露基礎人と変換されます。
おかげで頭痛はおさまりましたヽ(^0^)


炎の男                  2007年8月12日 20:25
花魚様
頭痛?心配です。
大事になさってください。


競馬日記のコメント欄に、競馬と全く関係のないコメント。
おまけに、「会いにいこうと思った」ときたもんだ。

とりなすような、精一杯当たり障りのない成田さんのコメント返し。

露基礎人のんで、頭痛が治って会いに行ったのね。
それで深夜まで、あの人と一緒にいたわけね。

また苦笑い。

タイミングを見計らったようにまりこからメール。


From: まりこ
Subject:
見た?
あの女、宣戦布告だね。
薄々感づいてるんじゃないの?


かもね。七夕賞以来、全く動きが見えなかった。
でも、成田さんのこれだけの日常を思えば、
何も気づかない彼女なんてありえない。

かと言って、私が怒るにはあまりに非道理。
悲しむにはあまりに身勝手。
怒るに怒れず、泣くに泣けず、苦笑い。

ただ、昨晩あれだけの時間を過ごして
それでもまだ、もしかしたらただたんに深夜まで仕事をしていた?
と縋るように思っていた自分が嫌で嫌で。


たまらず、今日の日記を開いた。
北九州記念の予想日記にコメントは無し。


さち                  2007年8月13日 17:01
だからぁ~
キョウワって言ったじゃない!


もう数ヶ月、成田さんの日記にコメントをつけることはなかった。
でも、小さな抵抗。
あまりに小さすぎて自分が情けない。

仕事が終わった頃、コメントが返された。


炎の男                  2007年8月13日 21:06
さち様
本当に。角田Jびっくりです。
買っておけばよかったのに!Σ( ̄Д ̄;)


昨日の夜と今日、突然な人のコメントばかりで
さぞ心中穏やかでないことでしょう。

その直後、瀬波温泉特別の日記にまたコメントがついた。
もうまがうことなく宣戦布告。


花魚                   2007年8月13日 21:50
昨日は素晴らしい時間をありがとうございます。
仕事なのに、遅くまでごめんなさい。
家に帰っても、嬉しくてしばらく眠れませんでした。
まるで子供ですね(。。lll)
明後日も楽しみです。


なりふり構わず?
苦笑を通り越し、一人爆笑。
必死じゃん!この女。

本心を隠した、ネット越しのやりとり。
ヤジのように飛び込んでくるまりこのメール。
まるで戦場。

明日から世間はお盆休み。
家の会社は残念ながら通常営業。
明後日は成田さんの定休日。
お盆休みの花魚ちゃん、1年に数回しかないデートにウキウキ。

私は成田さんへメールを送った。
もちろん何も知りませんよ。何も見ていませんよって風でね。


Subject: Re:お疲れ様です
To: 成田
明日遊ぼうー
遅くてもいいよ
ダメ?


返事はわりとすぐにきた。
若干躊躇気味。


From: 成田
Subject: Re:ありがとう
ありがとう。
でも火曜日は朝から輸入で早いんです。


まぁ、ある種想定内の回答。

 
Subject: Re:
To: 成田
じゃあいいよ。早く寝たほうがいいもんね。
会いたかったな。夏休み半分しかないから。


軽く圧力をかける。
「夏休み」成田さんへの魔法の呪文。
この言葉で成田さんは夢の世界へひっぱりこまれる。

効果てき面。


From: 成田
Subject: Re: 
ごめん、二人の夏休みなのに
変なこと言って。
明日終わったら連絡します。

 
私は一人でほくそ笑む。

恋する私なんてもういらない。
ずるい私だけが、私を救ってくれる。

あの女の夏休みより、私の夏休みの方が
成田さんにとって魅惑的で素敵なこと、わからせてやる。
楽しい夏休み、目の前にいる彼が、
上の空で別の女のことを考えている
そんな時の絶望感を味合わせてやる。

あの女が叶うわけなんてないんだ。
だって1度きりだから。

1度きりで最後の夏休みだから。
 
 

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☆第4章 最後の夏休み☆  第19話

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火曜日は午後だけ仕事をした。

定時過ぎにまりこからメール。
たまには呑みに行かない?って。

アイビスサマーダッシュの前の日、
あの台風の夜以来会っていなかったから
色々経過が気になったんだろう。

私は私で、火曜日夜はなるだけ家でメールを待っているような時間
できれば過ごしたくなかったから、すぐにOKした。

8時過ぎ、「ゆるゆる」で待ち合わせた。

「なんなの。アイツ、最近なんか調子づいてない?」
来た早々、まりこはそう息巻く。

成田さんの日記のことね。

前までとは違う、何か浮かれたような文章。
競馬日記を書いても仕事の日記を書いても。
多分それは誰が見ても気がつく違和感。

たくさんの人のいる隅で、
真面目に、堅実に生きていこうと
そう心に決めたポリシーが滲み出るようだった文章。
そんなもの今は面影もない。

自分に自信のある人の書く物。
おまけにその自信は根拠がなく浮き足立っている。
いわゆるどこにでもいる薄っぺらな感じの人。
今の成田さんはそんなふうになっている。
たったの数週間で。

「あそこまで入れ込んでるってことはさー」

言いかけて、ママが持ってきたジョッキ、掲げたまりこは
軽く“お疲れ”って。

「どうなったの?結婚しないんでしょ?」

そう思ってたんだ。
そんなふうに見えるんだ。やっぱり、はたから見れば。
私だけの思い込みなんかじゃなくって、
成田さんはそれくらい私に夢中だって、そんなふうに見えるんだ。

まぁ、確かに間違いなく「夢中」ではあるんだけどね。

「あー、結婚?するでしょ。」
私はママ特製ジャガピーをつつく。
なんのことはない、じゃがいもとピーマンの炒め物なんだけど。

「マジで?あんたは?するの?離婚。」
「しないってば。意味ないじゃん。」
「じゃあ、アイツのあの浮かれっぷりはなんなの?やったんでしょ?」

まだ呑み始めたばっかりなのに、実も蓋もないまりこ。
私は苦笑して、仕方なく「うん」って答える。

「よくやったねー。よくそんな度胸あったねー」
意外で仕方がないという風に、しきりに首を傾げる。

「実はさぁ」

もう、怒られようが呆れられようが、
どうでもいいやという思いで私は話す。

夏の間だけだってこと。
夏が終わったら全部なかったことにするってこと。
秋がくればあの人は予定通り結婚するってこと。

案の定まりこは猛烈に怒り始めた。

「ありえない!なんでそんな温いことするの?
アイツばっかりそんなにいい思いさせてどうすんの?馬鹿?あんた!」

火を点けた煙草を振り回して怒るから怖くて怖くて・・・

怒られても私は何も言えないんだけど。
自分でもそんなバカな話はありえないと、重々思っているわけだし。

しばらくまりこは怒ってた。
成田さんを最低だと言い、私をヘタレだと言い、
挙句の果てにはあの花魚のことを、何も気がつかないマヌケだと怒った。

怒りながら呑んでるせいか、
いつもの予定調和なのか、すぐに酔いがまわったらしく、
グラグラ左右に揺れながら語り始める。

「あの馬鹿、本当にできるのかねー?」
もちろん、夏が終わって私と別れられるかどうかってこと。

「できるのかねー?」

そう答えたものの、私は最近思っている。
あの人ならば、あっさりやってのけるかもしれないと。
あの無邪気な残酷さを持つあの人ならば。

「あの人はそう思ってるんでしょ。
一生に一度だけ、見分不相応な女と付き合って、
いい思いして、それで何ごともなかったように結婚できるって。」

「できないの?そうするつもりだよ?あの人は。」

「できるでしょ。あなたのことすっぱり切って、結婚するよ。」

わかっていたことでもショック。
そんなことはできるわけがないって心のどこかでは思ってたから。

少なくとも私はできない。

「でもさぁ、一度華やかな生活を味わったら、
人間絶対元には戻れないよ。」

「戻れない?」

「ぜーったい無理。あなたと別れて結婚して、毎日亀や金魚の世話をして、
家に帰るとあのつまんない女が“おかえりなさい”って
毎日待ってるんだよ。

つまんない女かどうかは分からないけれど・・・
でも多分、楽しい女でないことだけは確かだな。
勝手な印象であるけれど。

「結婚した後に気が付くんだよ。
もうこの日常が死ぬまで続いていくだけだって。
そんな瞬間堪えられないでしょ?」

「でも結婚はするじゃない。」

「だからーバカだから実際に結婚するまで想像もできないの。
で、心にでかい穴が開くよね。
その穴をかかえて一生生きるんだよ。
きっと気がついた後に、あなたに連絡してきたりするんじゃない?
もうそれしかできないもの。
でもそんな頃にはあなたあんな男に興味なんてなくなってるでしょ?」

確かに。

「踏み出した時点でどっちとっても地獄行きだよ?ヤツにとっては」

どっちとっても?私は聞き返す。
酔っ払い独特の虚ろな目で、
でも何故か今日は呂律だけはしっかりしているまりこは続けた。

「一生に一度の夢のような女との限られた毎日。
都合いいし、最高と思ってるかもしれないけど。
大穴かかえて生きていくか、
密会続けたまま結婚していつかバレるか、
全部を捨ててあなたと一緒になるか。
まっ、これが一番マシかもね。
いずれあなたに捨てられることになるんだろうけど、
悔いが残らないし、その後心に穴が開くわけでもないし。
どっちにしろ、何もなかった顔して結婚した時がヤツの一番の地獄だよ。」

いずれ私に捨てられるって・・・
何故そこまで断言されてしまうのかは疑問だけれど、
でもその可能性が高い気も確かにする。

根拠のないまりこの断言は、私の心を軽くしていく。

「あなたになんて関わらなきゃ、やつの人生なりに幸せで、
何の不満もなく生きていったのにね。もう絶対に戻れないよ。
それは断言する。」

心に穴を抱えて生きていくの?
それが本当だったら素敵すぎる。
一生私という名の穴を抱え、成田さんは生きていくの。

穴は血を流すかな?痛いのかなぁ?淋しいのかなぁ?
あの女には絶対に埋められない穴。

成田さんが私とずっと一緒にいてくれなくても、
私が空けた穴はあの人の心に一生残る。

大好きな人に幸せになって欲しいと、
そんなふうに思うような恋愛を、私がする時があるんだろうか?

今私は、成田さんの未来の不幸を想像し、心の底からわくわくしている。

それとも、私の心にあるこの気持ちは
愛なんて大層な物ではないのかもしれない。

私のいないところで幸せになるなんて絶対に許せない。
私じゃない人の横で笑ってるなんて絶対に許せない。

「夏休み」
とはしゃぐあの人を見るたびに、念を押されている気がする。
「夏の間だけだぞ」って。

だから私はあの人に目一杯の優越感を与えてあげる。
着飾って、キレイにして、そんな女を連れて歩ける優越感。
周りの男の人にちやほやされて、
それを足蹴にしている女を好きにできる優越感。

“あなただけが特別よ”“私に愛されているあなたは特別よ”

魔法のように囁き続ける。あの人の心にこの甘さを刻み込むの。
今は夢だと割り切られてても、
夢から覚めた後の現実に身も凍るような恐怖が待っているように。

血を流す穴、一生抱えて欲しい。
一瞬たりとも私を忘れないで欲しい。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


水曜も金曜も会った。

家の裏の道、車でお喋りしたり、いちゃついたり、
蔵前通り、新小岩に作っている新しい陸橋を見に行ったり。

何も変わらず、加速度を増しながら過ぎていく毎日。

虚ろな目をして私を求める、
そんなあの人にうんざりしながら、
私は最後の逆転がないかと、ごく低い確率にかけ、待ち続ける。

もう全部捨てるから。
もう全部捨ててさちと一緒にいるから。
夏が終わっても。秋も、冬も、来年の春も、夏も。

そう言ってくれないかと。

そう言って欲しくて必死に愛を囁く。

私といるこんな毎日、無くすのが怖いでしょう?

言う変わりに、囁き続ける。

幸せでしょう?
私といて、幸せでしょう?
ずっと続いて欲しいでしょう?

来週はお盆になる。
お盆が終われば、夏の加速度は最頂点。
あっという間に八月は終わる。
これは誰もが感じてる時計。

私は焦る。
 
 

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☆第4章 最後の夏休み☆  第18話

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朝、起きられなかった。

ひどい寝不足ってわけでもないけれど
無気力、何もしたくなくって、起き上がることができなかった。

指一本動かすのもつらい。
つらいけれど、携帯バイブ。
Eメール着信ランプを横目で確認しつつ、ゆっくりと手を伸ばした。


From: 成田
Subject: さち
おはよう
大好きだよ


それで決定打。
なぜだか、その文面が別のもののように見えた。

お前なんか死んでしまえと、
地獄に落ちろと。

悲しくて、腹ただしくて、でも感情が動くのすらだるかった。

もう絶対に起きれない。
そのまま、眠った。

途中何度かメールがきて起きた。
簡単な返信を返してまた寝て。

何もしたくない。
何も考えたくない。


成田さんはドジョウ狩り。
どこまで行くのか知らないけれど、朝早くから。
きっとそれは本当なんだろう。
ドジョウ狩りに行った後の行先は知ったことじゃないけれど。
だって今日は、ほら、火曜日。


Subject: Re:今日は
To: 成田
午前休します


9時になって、会社に休みのメールを送った後、
成田さんにもやっとそれだけ打った。

「どうしたの?具合悪いの?」
すぐにそう返事が来たけれど、
まともに答える気にもならず、一行だけ。

「悪くない。だるいだけ。」

だるい。
私はいったいどうしちゃったんだろう?

半寝でまどろんでいると、平穏を壊す爆撃のように蝉が鳴き始める。

泣き声は部屋の中を回転する。
右からも左からも上下からも蝉の声。
私は蝉の声に包まれている。

寝ているんだか起きてるんだかさっぱりわからない状態で涙が出る。
泣くだけの力すら使いたくないのに。
感情は動かなくても、ただひたすら涙が出て止まらない。

夏に追い立てられている。

全ては夏の終わりに向かって収束していこうとしている。
そんな風に思ったら、
全ては私のこの思いを終わりに向かって収束させようとしている。
そう展開した。

ひどい被害妄想。

ずる休みして家で一人本気泣き。
なんだかこういうこと、昔あったような気がする。
ガキじゃないんだからさ。いい加減にしようよ。

自分のやってることをわかってるんだろうか?
私は何もつらくないとでも。

疲れた顔の成田さんしか最近見ていない。
でも、疲れた顔して会いに来てくれるから、「会いたい」って
いつも言ってしまう。

私には時間が無いから。
時間が無いような恋を許容してしまったから。
ただ、自分の欲しい物は絶対に手に入れたいという欲求だけで。

1ヶ月後の自分を思うと血が凍る。真夏なのに全身が冷たい。
一緒にいる時間はあんなに甘くて優しくて、幸せに包まれている。
でも、一度さよならすると、1ヶ月後の自分を想像する。

全てが消えてしまう。今の私は死んでしまうんだ。

幸せな時間と、そうでない時間のギャップは日に日に大きくなっていく。
まるで天国と地獄。
それでもあの人の前では笑顔しか見せたくない。絶対に。

あの人は何も考えないんだろうか?
少しつらいけど、でも大丈夫って。悲しいけども仕方ないって。
それで元の生活に戻っていくのかな?

愛してる。
愛してる。
愛してる。

私は呟く。

助けて
助けて
助けて

助けてって、
誰が私を助けられる?


36年生きてきて、好き放題、自分勝手の挙句に嵌ってしまった。

夏の迷路。

あんなに欲しかった夏休みは、
全て終わるまで出て来れない迷路の入口だった?

今までの自分の生き方すら、
幸せの意味すら否定するような力で、
私の行先を見えなくする、迷わせる。

劈くような蝉の鳴き声、
包まれて私はただ怯える。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


しばらく眠った。
お昼過ぎに目を覚ました時には、
諦めか、開き直りか、わりと普通に体を動かせた。
もうこれ以上家に一人でいるのが嫌だったから、
虚ろな頭を持て余しながら、会社へ向かった。


Subject: Re:
To: 成田
どじょうとれた?


まだドジョウ狩りしているのかな?
とメール送ってみた。
すぐに返事が来た。


From: 成田
Subject: 採れてるよ 
暑いよ。
体大丈夫?


添付されていた写真は、どこか森の中の川。
本当に暑そうだ。

 
Subject: Re:本当だ
To: 成田
暑そうだね。
体は悪くない。ちょっとだけ落ち込んでた。
たまに不安で不安で潰れそうになるの。
もうダメかと今朝思った。ごめんなさい。
でも頑張る。
頑張るから、もっともっとさちを愛してね。


つらかった。
限られた時間を優先するあまり、
ぐちゃぐちゃになっている生活のこと。
期限が迫ってくる恐怖感。
今すぐにでもいなくなってしまうかもという強迫観念。

会ってない時間は地獄のよう。

だからつい
「もうダメかと思った。」
弱音を吐いた。

そんなことは言わない約束。
約束はしていないけれど、暗黙の了解?
すぐに来た返事。


From: 成田
Subject: 
なんでダメだなんて思うの?
夏やすみなのに?


また涙が出た。
もうダメなんだ。この人は。
いかれちゃってる。

心の底から不思議に思ってる風。
それともすっとぼけているのかな?
何も考えてないのかな?
何も不安じゃないのかな?

夢の中の登場人物。
私がダメだと思うはずなどないと?

私の中で、はっきりと理解した。
私が自分のものにしたかった、
あの成田さんは、やっぱりもういない。
夏休みなんて、ただの火遊び。

どうしていいかわからず、
でもこれから現実世界へ戻っていくであろう成田さんと
変な言い合いはしたくなかった。

 
Subject: Re:ごめん
To: 成田
そうだね。
もう大丈夫だよ。
夏休みだもんね。
海行きたいね。
夜でいいから。
お台場じゃないとこ。


来週は、お盆だから。成田さんの定休日、私もお休みだよって
本当は言いたかった。

でも言えない。

成田さんの定休日は成田さんの彼女のもの。

あの人には、これから残りの夏全部、独占していく権利があるのに
どうしてこの夏しかない私が、たった一度の定休日すらもらえない?


返事はなかった。
いつもの火曜日と一緒。

夜遅くなるまで、それっきり成田さんの返事はなかった。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第17話

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夏らしい週末が終わった。

でも、成田さんのいない私の夏なんて
今年は存在しないも同然。

やっとこなした土曜、日曜。
また私達の夏休みが戻ってくる。

夕方には家についたけれど、
疲れ果てた頭と体で、寝たり起きたりの繰り返し。

とりあえず、成田さんに会いたかった。
だから帰ってきて、メールをしてくれること、ひたすら待っていた。

明日会いたい理由は、月曜日だから。
つまりは明後日が火曜日だから。
火曜日になる直前に会いたい。
それだけ。

9時過ぎに、帰りましたってメールをくれた成田さん、
明日は忙しいの?って聞いたら
明後日が朝早いって。ドジョウ採集だって。
なんだかよくわからないけれど・・・


Subject: Re:ドジョウ?
To: 成田
じゃあ明日あそべないね。


半ば怒り気味で。
でもそんな微妙な感情はメールで伝わるわけもないから。


From: 成田
Subject: Re:ドジョウ狩り 
勝どき橋だって
ありえない位置から
届いたんだけどな


ありえないことの連続だから、
火曜日早いことなんてなんでもないと、そういうこと?

 
Subject: Re:
To: 成田
うん。そうだよね。
ありがとう。


From: 成田
Subject: Re:だから
いつでも全力で体当たりが基本です。
さちに体当たりするとね、甘くてとけるんだよ�T�P�P


嬉しい。
でも、ちょっと悔しい。
口ばっかりのくせに。とけたりなんかしないくせに。

ともかくは、消えてしまう火曜日の前に、あの人を独占できる数時間。
私はそれで充分機嫌がよくなった。

明日はちゃんと仕事をしよう。
ちゃきちゃき用事を片付けて、ちゃんと生活立て直していこう。
毎週毎週、日曜日の夜はそう思う。

私を、ちゃんと見つけないと。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


成田さんは、私に甘いものを食べさせるのが好きだ。

ホテルに行く時はいつもドーナツを買ってきてくれる。

ドーナツの、長方形の箱を開ける瞬間が好き。
私が甘いドーナツを食べて幸せな時、
好きな人がずっと見ててくれる時が好き。

「一番好きなのはエンゼルクリーム。」
甘いし、柔らかいから。
「オールドファッションやポンデリングは美味しいけど、
色気が無いよね。すきがない。」
そう言って、彼の口にクリームがいっぱいついたトコロ、入れてあげる。

「言いたいことは分かる。」
苦しそうな顔。そういう目で見たら若干セクシー。

口の端に白いクリーム、舌の先でなめてあげる。

成田さんはうつぶせになり、お茶を取る。

「なんでお茶飲むの?」
「甘いじゃん、口の中が。」
「ふーん。無駄だよ。」

飲み終わった成田さんの頬っぺたを押さえつけキス。

もう無茶苦茶にキス。

「甘い・・・」
苦しそうに囁く。

「だから言ったじゃん。」

不埒な時間。私は成田さんとHしたいのか。
それとも一緒にラブホでドーナツ食べたいのか?

両目で私を見るようになった成田さんは、
流された人の怯えた目をしなくなった。
戸惑いなく「大好き」って言ってくれる。優しく囁いてくれる。

でも、何かに獲りつかれたような顔をしている。
追い立てられるように「あいしてるよ」と言う。
私の話をあまり聞いてくれなくなった。

いつも上の空になってる。
私の挙動や表情や体を見て、上の空。

キスしたり、抱き合ったり、セックスする時間が増えた分、
色々なことをおしゃべりしたり、笑ったりする時間は減ってしまった。


明日が早い、って成田さんが言うから
1時過ぎにはホテルを出た。
私にしても、まだ適当な言い訳でごまかせる程度の時間。

でも、一緒にいた時間があまりに短くて、
帰り道は少し不機嫌だった。

どうしてもっと一緒にいられないんだろう?

そんな、ダメな理由のわかりきっているわがまま。
口に出したところでどうにもならない。
だから、少し怒ってた。
何かしゃべるのもだるかった。

いつもの川沿いの道まで送ってくれて、車が止まる。
「怒ってるの?さち」
不安そうに成田さんが言う。

私は笑って、「大丈夫だよ」と答えた。
でもその顔は完全に作り笑いだったかもしれない。
だからまだ不安に覆われた成田さんの顔を
両手でそっとはさんで軽くキスした。l

「さち、好きだよ」
囁く成田さんは

また、夢を見る人の顔。

私は頷くだけで車を降りた。

「じゃあね。」

走り出す車。ゆっくりと走って行く。

最後に見た顔が、少し躊躇しているように見えたから、
戻ってきてくれるような気がした。

戻ってきて何が起きるんだろう?

戻ってきて、
もっと一緒にいようと言ってくれても明日の朝がつらくなるだけだし。

戻ってきて、
愛してるよと言ってくれてももうそんなことは良く知ってるよと答えるだけ。

戻ってきて、
やっぱりもう会えないと言われたら、それもそれでありかと思う。

戻ってきて、
一生一緒にいようと言われたら私は満足?

両目で私を見てくれるようになったら成田さんは、優しくて、
私を精一杯愛してくれるけれど
何を考えているのかわからなくなった。

両目は愛しか語らない。それはそれで甘くて素敵だけれど、
どうしょうもなく不安になる。

私は、また自動販売機の横にしゃがみこむ。

戻ってきて
戻ってきて

どにもならなくても
悲しい知らせでも
なんでもかまわないから

戻ってきて
戻ってきて
戻ってきて


私は祈り続ける。
   
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第16話

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土曜日は江戸川花火大会。
日曜日はサクヤと妹と、茂木にレースを見に行く約束。

すごく久しぶりに競馬の買えない土日。

成田さんに会えない土日。
会えないって・・・いつも日曜日の朝、
ほんの数十分一緒にいるだけなのだけど。

台風明けのアイビスサマーダッシュ。
あの日以外はずっと一緒に競馬をしていた。
ダービーも宝塚もずっと一緒。
上の空の馬券を買い続け、やみくもに負け続け、
それでも私にとってかけがえのない時間だったんだ。

一度イレギュラーな週があると、
それがレギュラーになってしまうのでは?と不安になる。
全く私も世の恋する女子に負けず劣らず杞憂の鬼。
空は落ちてはこないのだと、自分に言い聞かせかけてやめる。

私の空は落ちてきてもおかしくない。
だって全ては誰かさんの夢の中で起きていること。


Subject: お腹苦ちぃ
To: 成田
浴衣きれいに着れました。
眠い…眠くてテンションおかしいょ
っていうか帯苦しいし。


朝早くから実家に行き、サクヤや亀と遊んだ後に、
お母さんに浴衣を着せてもらう。

金魚の浴衣。

ちゃんと着て出かけるのは初めて。

妹に、何度も何度も写真を撮らせて、
やっとなんとか気に入ったポーズ、添付して送る。


From: 成田
Subject: Re:
ファッションの基本は我慢から。
花火大会、楽しんで!
大好きだよ。さち。寝不足にしちゃってごめんなさい


花火大会は、毎年早い時間から場所取りをする。
まだ日が高い内から、日陰のない河川敷で、
おまけに浴衣は相当暑いのだけれど

でもこれも夏の風物詩。

暑い暑い言い合いながらも、
開放的な気分でお酒を飲んだり、騒いだり。

人がどんどん増えていく河川敷。
顔見知りもどんどん集まる。
タカキも友達を連れて来た。

一番にはしゃいでいる私の
それでも頭の中は昨晩の勝どき橋。

成田さんと見たかったな。江戸川花火。

 
Subject: Re:さちも大好き
To: 成田
寝不足はさちがムコウミズなだけだょ。
だって会いたかったんだもん
今も会いたい。
たくさん人がいても淋しいね


たくさん人がいても、あの人は一人しかいない。
ずっと一緒にいれたらいいのにね。
そんな乙女ぶったことすら思う。
ずっと一緒にいたところで、きっと飽きちゃうに決まっていると
まりこあたりは言うんだろうけども。

飽きるくらいあの人と一緒にいたいよ。
飽きるくらい喋って、キスして、顔を見たいよ。

無邪気に望む少女的な夢は
そうそうストレートな話じゃないことの裏返し。

私はもううすうす気が付いていた。

私が欲しかった成田さんは、もうどこにもいないこと。
私自身が消してしまったこと。

溺れるように、もがきながらも、私を見て欲しかった。
夢の世界に逃げ込んだ人の、虚ろな目で私を抱いて欲しくなかった。

心に広がる、あの長かった梅雨のような暗い雲、
誤魔化すように私ははしゃぐ。

今までもこうしてきたし、これからも私は大丈夫。
ただひたすら自分を探す。

今年の夏は迷路だった?
出口は見つかるのかな?それともタイムアップ?

すっかり暮れた空に、上がっていく、数十本の火柱。

花火が始まった。

宴会さながらに、酔って騒いでいたみんなも、しばらく動きが止まる。
空をやきつくすように、幾十発も続けて上がっていく花々。

 
Subject: Re:花火はじまった
To: 成田
私の携帯、花火全然うつんないょ
見せてあげたいよ。花火。


From: 成田
Subject: Re:
花火は心にやきつけるものです。
爆音は心に刻みつけるものです。


心にやきつける景色しか、私は持っていない。
心に刻み付ける言葉しか、私はもらっていない。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


☆関屋記念

1年で、私が一番好きなレース。
去年の関屋記念は、大好きなカンファーベストが14番人気で勝った。
応援馬券のつもりの単勝1000円が7万円近くの大勝利。
おめでとう、おめでとうって、
成田さんが何度もメールで言ってくれた。

今年は朝から、妹やタカキ達と、遠出をした。
タカキが運転する車が、高速道路を飛ばしていく後部座席、
成田さんから来る予想メールを見続ける私。

カンファーベストが関屋記念連覇で、夏の帝王決定!
私達の夢馬券。

でも今年はそこそこ人気だからな・・・
そうそううまくもいかないかな?


From: 成田
Subject: Re:3恋単
カンファーベストアタマから。
日記にも書いたよ。


メールと、成田さんの競馬日記を見ていたら眠くなった。
昨日、花火が終わった後に日付が変わるまで呑んだくれ
今日は今日で6時起きだもん。あたりまえ。

昨日も今日もタカキと一緒に出かけているのに、
必要最低限の会話しか交わしていない。
でも、タカキが私を見る時の、
呆れたような哀れむような目はなくなった。
前と同じ、常に慈しむような表情。

何を言ったところで、何を思ったところで無駄だとわかったのだろう。
怒って何もかも放り出されるよりも、
じっと傍観して、なるがままに任せるのが得策だと
きっとそう悟ったのだろう。

正解ね。
さすがなにもかもわかってらっしゃる。

でも、私はやっぱりタカキの目を見れない。
罪悪感?嫌悪感?

この夏が終わって、私とタカキの日常は戻ってくるのだろうか?
そもそも、なくなって困る程の日常なんてあったのだろうか?

 
Subject: Re:3恋
To: 成田
さち馬券が一番当たらない。
カンファー去年は6000円もついたのにな。
暑くて倒れそう・・・
もうホントにね、きっついから。


From: 成田
Subject: Re:3恋 
さちとカンファーベスト買って、ハズレならそれでいい。
熱中症気を付けてね。水分ちゃんと取るように。


茂木には、カートのレースを見に来た。
タカキの会社の上司が参加するんだって。
車が好きなサクヤも連れていこうということになり、この展開。

想像はしていたけれど、真夏のサーキットなんて
目も当てられないくらいの灼熱地獄。
能天気に熱を放射しまくる太陽の下、
体中の水分がどんどん絞り出されていく。

寝不足と暑さで頭がクラクラする。
そんな中でも、テンション変わらずはしゃぎ続けるサクヤに呆れつつ、
半ば時間が経つのを願って、ひたすら耐えるしかない。


仕事が始まったらしく、成田さんからのメールは途絶えた。
私達はレースを観戦した後、お昼過ぎにはツインリンクスを離れた。
遊びつかれたサクヤはすっかり熟睡中。

帰りの車の中、携帯から競馬の結果を見れば、
1番人気カンパニーが順当勝ち。
カンファーベストは4着。
若かりし頃の、掲示板を絶対に外さない堅実な走りが復活?
それはそれで嬉しくなる。


過酷な夏の一日が終わる。
一枚、一枚、皮を剥ぐように、残りの夏は小さくなっていく。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第15話

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2008年某日


「勝どき橋は、10時に灯りが消えるよ」
ある人が私に教えてくれた。

「でも、夏は12時まで点いているでしょう?
 私、見たよ。12時にライトアップが消えた瞬間。
 8月の江戸川花火大会の前の日だった。」

そう主張した私のために、その人は中央区に問い合わせをしてくれた。

「春も夏もなく、勝どき橋は10時に灯りを消すんだって」

そんなことないのに。あの日勝どき橋の灯りは12時に消えたのに。

誰にともなく私は言う。

それから春も夏も、何度も夜の勝どき橋を見たけれど
いつも10時にライトアップは消えた。

あの日12時まで点いていた明かりはなんだったのかなぁ?

夢の世界だからなんでも起こる?

それはそれで悪くもない。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


2007年8月

From: 成田
Subject: おはようスイーティ
おはよう
夏だよ

 
Subject: Re: 金魚の日だ!
To: 成田
おはよう。夏だね。
加速するよ
金魚買わないのぉ?


From: 成田
Subject: 買うよ
いいやつね。


何度めの金魚の金曜日?

私は今日も、集中できない頭を絞るように動かし、
目先の仕事をこなしていく。

昨日、会えなかったから
今日は会えるかな?
なんとなくそう期待して、9時過ぎまで残業をしていた。

でもメールは来ない。
してもいない約束に、期待した自分が恥かしく、悲しく、
家へ帰る電車の中では、何故かどっと疲れきっていた。

家に着き、お風呂に入って軽く食事をした。
11時前に成田さんからメールがくる。
 

From: 成田
Subject: Re:帰りました。
明日は花火大会なんだね
小岩は本場。


何が言いたいのかわからない、不思議なメール。
随分前から、花火大会楽しみって、
成田さんにも喋りまくっていたけども。

 
Subject: Re:お疲れ様です
To: 成田
そうだょ。大忙し。
今日は遅いんだね。忙しかったの?


そう聞いた私の質問への答えは無し。
ただ、来た返事は


From: 成田
Subject: Re:
勝どき橋見にいきましょうか?


え?もうすぐ11時だよ?
そんな時間に外出しようなんて、誘ってきたことは一度もないのに。


Subject: Re:
To: 成田
さすがに今からは…遅くなくて?


今から家を出るのは厳しいと、遠回りに伝えたつもり。
でも、戻ってきた返事は一方的。


From: 成田
Subject: Re: 
車で出ます。幼稚園。

 
私は呆れてため息。
どうなっちゃってんの。この人は。
「無理だよ」って送ろうとして、
夏の勝どき橋。ライトアップされた姿が脳裏に浮かぶ。

あの景色を成田さんと見たい。

「ちょっとでかけるから」
リビングにいるタカキに、何気ないふうを装って声をかける。

振り返って、不機嫌そうに、
「でかけるって、今何時だと思ってる?」

普通のことでしょ?という態度を懸命に崩さず、
私は困ったような顔を作る。

「まりこが森下で飲んでるらしくってさー、
酔っ払ってとにかく来いって・・・」

うそつき。最低。最悪女。

「帰りはどうするの?電車ないでしょ?」
「タクシーで帰るから大丈夫。」
そう話しながら、洗面所の鏡の前で、
とりあえず最低限の化粧をする。

「どう考えたっておかしいよな」
変なバランスの表情でタカキは笑った。
自嘲?
私はあえて答えない。聴こえないふり。
聴こえないふりをあえて流すのか、タカキは続ける。

「こんな時間に出ていって、そんな理由通用すると思ってんのかよ」
返事を迫ってはこない。ほとんど独り言。

私はリビングに周りながら
「ホント、酔っ払ってるとタチ悪いよねーあの人」
と自分でも白々しくなるような口調で言う。

もうこの際、今家から出れるのならば後はどうでもいい。

タカキはどう折り合いと付けたのか、
「気を付けて。そんなに遅くならないで」
といつもの感じで言った。
「うん。すぐ帰ってくるよ」

そう言って私は家を出る。
もし後からタカキがついてきたらまずいと、一旦駅の中へ入る。

東大島駅のコンコース。
電車が着く時以外は人気なんてまるでない。音もない。

私はしばらくじっとして、時間稼ぎをしてから
一気に駅を出て川沿いの道まで走る。
もうタカキは追ってくるはずもないのに走る。
逃げるように走る。

川沿いの道。新宿線の線路の下に赤い車。
見慣れた光景。
私は車を回りこみ、助手席のドアを開ける。

「またそんなに走って」

息を切らせて車に乗り込む私に、成田さんは困った顔で言う。
私はただ笑って、シートベルトをしめる。
息が切れて喋れない。
早く車を走らせて、と、前を指差して知らせたら
成田さんは「はい。かしこまりました」と
苦笑しながら車を発進させた。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


勝どき橋
隅田川にかかる。
昭和15年(1940)に架けられた全長246mの橋で、航行する船の為に、
1日5回、真ん中のから二つに割れて70度の角度に跳ね上がる可動橋であった。
橋の交通量の増大や、大型船の通過が減った事を理由に
昭和45年以降は、閉じられたままになっている。


道のよくわからない成田さんは、何故か銀座に入ったりしながら
「あれ?」と何度も首をかしげつつ、どうにかたどり着いた勝どき橋。

青と緑のライトアップが、遠くからも目に滲みる。

「わー、久しぶりに来た。さち、勝どき橋大好き」
私ははしゃいで、路駐した車から降りた。

遅れて降りて、私の隣に来た。成田さん。
「さち、喜んでくれてよかった」

「でもどうして?もっと早く来れる時でもよかったのに」
私が聞くと、成田さんはちょっと照れたような、
軽く怒ったような顔。

「明日、江戸川花火だって言ってたからさ、
 俺はもちろん行けないんだけどさ、
 楽しいんだろうな、さち喜ぶんだろうなって思って」

そう明日は江戸川花火。
一年の中でも私が1番か2番に大好きなイベント。
成田さんは続ける。

「そうしたらなんか悔しくってさ。
 それよりか全然楽しくないかもしれないけど、
 その前にさちの喜ぶ顔が見たかったんだ」

いつもみたいに子供のように笑った。
私は成田さんの大きな手をそっと握った。
骨ばって、冷たい。夏なのに。
右手で握って、左手で撫でた。

あなたといるより、楽しいことなんて何もないよ

そう言ってあげたかった。
でも言えなかった。
言えたらいいのに、思ったまま口にできたらどんなにいいのに。

ふと、辺りが急に暗くなる。
橋の灯りが突然消えた。
何の余韻も残さず、突然。
一気に闇に包まれたような気がするけれど
ほんの一瞬のこと。
街灯は点いているし、車もひっきりなしに通る。
都会が闇に包まれるなんて、つかの間の錯覚だけ。

「消えたね」
何故か声を潜めなくちゃいけない気分になって、
私は小声で言った。

時計を見ると12時ちょうど。

「12時にだからかな」
首を傾げる成田さん。

でも間に合ったから。
緑と青のライトアップ、それでもぎりぎり間に合った。
充分。もう充分。

手を繋いで、ライトの消えた勝どき橋を渡った。

「そういえばさぁー、死んじゃったね」
「あぁ、スティル?びっくりしたよ」

2002年の牝馬クラシック。
メジロラモーヌ以来の三冠を達成したスティルインラブ。
でもその後の競走生活は、
まるで若き日に力の全てを出し切ってしまったかのように
悲惨なものだった。
引退し、繁殖牝馬になってわずか一年、
8月2日に急死してしまったんだ。

三冠牝馬という晴がましい肩書きにそぐわない、
切ない感じの余生。
騒ぐことのほどでもないけれど、
この日競馬ファンは物悲しい気分を味わったことだろう。

スティルインラブ。
まだ愛してる?
なんだかなぁ・・・センチメンタルすぎて。
若干こそばゆい。

いつものように、とりとめのない馬の話、仕事の話、亀の話。
ゆっくり過ぎる夏の夜。
ぶつけようのない想いをもてあまして、
ひたすらお互いの唇を求め合うだけの時間よりも
ずっと濃厚で甘い時間。
これだけ、あればよかったのにな。
これだけ、あれば私はそれでいい。

もうなんにもいらないって、昨日あんなに思ったのに
懲りない私はまた夏休みに夢中になる。

だから、確かにあの日勝どき橋は
はっきり12時に灯りが消えたんだよ。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第14話

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あの人を私のものにしようなんて思ってなかったのに。

結婚するならすればいい。
私はずっとあの人の近くにいてあげたのに。

一人にさせて淋しいことを心配してくれなくたっていい。
私には私の家庭があるのだから。

夢のようでしょ?
希望通りの家庭と、大好きな愛人。そんなステキな生活ないでしょ?

それでいいのに。それで全部うまくいったのに。

それだけはできないと、どうしてもできないと。

溺れたような目をしてしか私を好きだと言ってくれなかった。
追い詰められて、もがくようにしか私を抱いてくれなかった。

夏が終わった時に、本当に私を捨てたらどうしよう?
何もなかったように私を切り捨てたら、私はきっと生きていけない。
だから、夏が終わるのを待てなかった。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


さちの日記

夏の加速度  2007年08月02日08:43

梅雨明けました。
気分的にはとっくに夏休みなんですけどね。
ちょっと言葉で表現しづらいくらい夏が好きです。
春秋冬の立場はぁ?ってくらいのえこひいき。

夏の時間ってある1点から突然加速するんですよ。
と、思うのは私だけ?
6月くらいから、「暑いねー」「もう夏だねー」って
言い始めて、じわじわ気分が盛り上がっていくでしょ?
7月くらいは最高潮目指して登り調子。
まだまだこれから夏本番!って思ってると、
8月入って急にものすごい加速。きゅいーんって。
あっという間に秋( ̄◇ ̄;)

夏休みって、7月21日~31日までと、8月の1ヶ月、
同じ長さくらいに感じませんでした?

初夏の台風はわくわくするのに、
初秋の台風はそわそわします。
夏の終わりの、終電に乗り遅れそうなんだけど
まだ帰りたくないみたいな気分が大嫌い。

だから寝る間も惜しんで壊れたように活動!
何が言いたいかっていうと、
躊躇してると夏はすぐ終わっちゃうんだぜってコトね。

止まるな!悩むな!進むべし!
でも夏物一掃セールは逃すなよ。
肌のお手入れもお忘れなく。



こんな日記を書いてみた。

足の速い夏休みを、追いかけなくちゃいけないでしょう。
細かいことに気を取られて、
躊躇している間に夏は終わってしまうでしょう。

うじうじと、ネガティブなことばかり考える自分への戒め?

8月になって、
成田さんの夢物語は終わらない。

1日おきくらいには、何か理由を付けては家の裏の川まで、
赤い車で会いにきてくれる。
どこにいくとでもなく、車を走らせたり、
川沿いの道に停めた車で、みさかいなくいちゃついたり。

公園と団地ばかりの私の住む町も、
8月になれば、セミの声が日に日に大きくなっていく。
暴力的な日差しが、全てを焼き尽くすような勢いで跋扈し、
夏が全てを征服し始める。
思考回路が鈍っていく。

ふと気がつけば、かわすメールの内容は薄くなっていく。
一言一言、私の心に響いていた言葉達よりも、
抱きすくめられる腕の強さ、
何度も何度も触れ合う唇の感触、
そんなものが私達の間に溢れていく。

こんなものが私の望んでいた夏休み?
心の隅で疑問に思いながらも止まらない。

愛してる
愛してる
愛してる

その想いだけが、夏を追いかけて疾走していく。


From: 成田
Subject: おはようさち
おはよう
眠いよ、さち。


Subject: Re:おはよう
To: 成田
おはよう♪ハニー\(#⌒0⌒#)/
眠いね。
今度は自動車で、勝どき橋連れてって


寝起きの頭、ふと思いついて言った勝どき橋。

東京で一番好きな場所どこ?
そう聞かれると私はよく言う。
勝どき橋。

ライトアップされた勝どき橋のところから見る夜景が一番好き。
佃島のマンション群かなぁ?
暖かみの無い、無機質な灯りが好き。

私の病院へ送ってきてくれて以来、
一度も江戸川、江東から出ようとしない成田さん。
たまにはドライブで。って言ったってすぐそこなんだけど・・・


Subject: Re:スイーティ 
夏の勝どき橋。いいですね。
夢のよう。


夢のくせに。

 
Subject: Re:きゃー
To: 成田
でしょ?大好きなの。
東京で一番好きなの。
好きな景色ベスト3は
勝どき
平井大橋
墨田川大橋
かな?なぜみんな橋?
夏の勝どき橋。素敵すぎ。約束ね。げんまん♪


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


時間の密度が日に日に薄くなっていく。
それと比例して、時が進む体感速度が上昇。

週末は江戸川花火大会。
毎年、「ゆるゆる」のママや、店のお客さん、
妹やサクヤとか大勢呼んで川で花火を見る。
いかにも夏らしいイベント。
今年はお誕生日に買ってもらった浴衣を着よう。
金魚の浴衣を着て花火を見よう。
飲んだり食べたり騒いだりして、
今年も私達が日本一と自負してやまない
江戸川花火を堪能するんだ。

でもそのイベントに成田さんは無関係。

成田さんに、現実世界があるように私にも私の日常がある。

成田さんがいなかった世界を、きちんと保っていかなければ
夏が終わった後の自分が怖い。

仕事もちゃんとしなくちゃ。

私の生活、私の毎日。

そう必死になればなるほど、日常は私からどんどん離れていく。

焦りながら、はかどらない仕事の山を前に、
私は残業を続ける。

「写真、送ってくれ」
神谷君からメールがくる。
どうせ、仕事の待ち時間の暇つぶし。

見渡せば、オフィスにほとんど人はいなかった。
携帯カメラを斜め上にかまえて、上目遣いで1枚。
そのままEメール添付して送信した。

この顔が神谷君のツボ。目を大きく上目遣い。
よくこの顔で写真を撮って送った。

会いたい時、かまってほしい時、
たいてい写真を見た神谷君は、車飛ばして会いにきてくれたり、
その日はダメでも次の日来てくれたり。

いい年してくだらない遊び。
第一もう神谷君は彼氏でもなんでもないし。
友達とそれ以上、きわどいところの、きわどい遊び。
神谷君はその程度が楽しくて仕方ないらしいし。

「カーワーイーイー!さちさいこー
この顔、俺のツボだぜ」

ほら、変わらない。神谷君のツボ。
その後に続く本文。

「でもダメダメ俺はもうその魔法かかりません。」

いいよ。別に。

「容姿は最高。でもハートはイチゴ型爆弾。
舐めているうちは甘いが歯をたてたとたんドッカーンだ。」

あんだけの目にあったくせによく言うよ。
私は苦笑する。

どんなに憎み合った記憶も、
荒んだ毎日も、
時間がたてばこの人にとってはただの思い出。

でも、イチゴ型爆弾。ちょっと気に入る。
さすがわかってらっしゃる。

いい女だと誉められるより、
爆弾みたいな女だと言われたほうが嬉しい。
悪魔のようだと言われたい。
これはどういう思考回路なんだろう?

取り戻したい。
そう思った。
夢でしか私に接してくれない、
そんな人は爆破しちゃって消しちゃって
悪魔のような私を取り戻したい。

誰も愛してくれなくても、誰も愛さなくてもかまわない。

削るように生きていく毎日の、想像以上の切れ味のよさ。
血も流れぬくらい鋭く、私の心を切り裂いていくあの人の言葉、視線。

私は怖気づいている。

やっぱり仕事は手につかず、
それでもどうにかしなきゃともがき、
一人の夜は暮れていく。
会いにきてくれたらいいのに。

昨日も今日も明日も、会いにきてくれたらいいのに。
そうしたら、この夏以外は何もいらないと、そう思い切れるのに。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第13話

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突然なんのためらいも無いかのようになった。

それが覚悟、なのかなぁ?
頭の中では、前と変わらず色々なこと考えてるのかなぁ?

でもそんなふうに全然見えない。
見えないけどうまくやってるのかな。

そうだとしたらものすごい頭脳と嘘つき。

全てがおかしくなった。

どこまでも甘い時間は幸せだけど、
あまりに薄っぺらい。
その後ろにある物を想像する。当たり前でしょ?

上の空のようなメールしかこなくなった。
好きだよ、大好きだよ、愛してるよ。
甘い言葉が並ぶのは何かを誤魔化しているようにしか見えない。

何も言わない。迷わない。
でもきっと迷ってる。
それは私も。

もうここまでくると持久戦。どっちが先にギブアップするのかね。
夏が終わるまで堪えられるのか。
夏の間に私がしたかったこと、きっとこんなことじゃない。
でも先にギブアップする勇気がない。
かと言って、ただ秋を待つ根気もない。



☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜



それでもやっぱり火曜日は憂鬱になる。

連絡が途絶える前にはいっそのこと、
「しばらくメールができません」
って言ってくれたらいいのに、
「出かけます」
って言ってくれたら、それだけで察するのに。
あの人はいつも、転びそうな嘘をつく。
仕事で・・・って、
定休日にそんなに毎週毎週仕事があるわけもないじゃない。

いつもより30分遅れておはようメールがきた。

From: 成田
Subject: Re:おはよう 
おはようさち
起きたらちょっと頭痛が。
日曜日月曜日とちょっと寝不足だったかしら。
いってきます


Subject: Re:ハニー
To: 成田
具合悪いのかなって心配したけど。
いってきますってどこへ?
頭痛いのに朝から仕事?
そっかー今日は消えちゃう日だった。


何気ないふりして、勢いで言ってみた。

消えちゃう日。

今までそんなことに触れたことはなかったのだけど。
なにも感じていないと思っているかもしれないけれど。

火曜日が特別な日だと、私は知ってるよって、アピール。
姑息な心理戦。
それほどたいそうなものでもないけれどね。


From: 成田
Subject: Re: 
消えないけど、仕事は山ほどありまする。
朝、鏡ごしに撮ってみました。
自分撮り?恥かしいけど。


ほら、やっぱり仕事だって。
大好きなのね。仕事が。
それはわかっているけれど、だからってね。
私は少し悲しくなる。
そんな成田さんを見ているのがね。
憐れ?情けない?
なぜ私ごときに、そんなに必死で隠し事をするの?

添付ファイルを開いたら、成田さんの写真。
こっち向いて、恥かしそうに笑ってる。
子供じゃあるまいし、ラブラブ彼女に自分撮り写真?
ガラでもなさすぎる。
私が喜ぶと思ったのかな?

実際私は相当喜んでいるけれど。

こっぱずかしくて、でも嬉しくて、
私は電車の中で何度も写真を眺めた。

嬉しいけれど、最初に開いた時から気がついてた。
ちょっとだけ映ってる首元。ネクタイじゃん。
ネクタイしてるところなんて見たことないじゃん。

困っちゃうよね。こんな写真送られて、
何も見ないようにスルーしろって?
結婚が決まった男の人が、定休日にネクタイ。
行くところは色々あるんだろうなぁと想像する。

こんな写真をわざわざ送ってくるのは意地悪?無邪気?

腹が立つ。悲しくなる。
でもやっぱり嬉しくて、私は何度も何度も写真を眺める。

感情が秒刻みのジェットコースター。
もう若干壊れかけかもね。

会社について、1通だけメールを送った。


Subject:
To: 成田
さちは夢じゃなくて、現実に実在するのです。
でも夢の中だけで愛されてても十分幸せ。


さちは夢じゃなくて、現実に実在するのです。

また、夢じゃない世界へ帰っていくあの人に、
その言葉だけ刻み付けたかった。

さちはあなたと同じ世界に存在しているのに。

あなたの目の前にいる、それ以外の時間もさちは実在している。
見ないふりはしないで欲しかった。
苦しんで、悩んで、
それでも自分で選んで愛していることを知ってほしかった。

それに向かい合えば、あの人は私という人間を
夢からも現実からも抹消するしかない
それはよくわかってはいるのだけれど。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


悶々としながら過ぎていく一日。
尋常な時間の内に、メールが来なかったらどうしよう?
そんな不安に包まれる、火曜日の夜9時以降。

何かに絆されて、もう全部やめようと言い出すかもしれない。
自分は間違っていたと、泣きつかれるかもしれない。
そんな想像に悩まされ、追い詰められ、
私の火曜日は週ごとに荒んでいく。

こんな火曜日を来週も迎えるならば、
いっそ全てを終わりにしようとも考える。
でも、帰ってきた成田さんがメールをくれれば、
それでまた来週の月曜日まで忘れる。

それが恋する女子の思考回路。

何かのホルモン異常によるものとしか思えないね。


Subject: Re:さち 
ただいま。足が痛いでし。
お疲れ様です。


10時過ぎ。今週はいつもよりもずっと早くにメールがきた。
朝早くから出かけていたものね。
 

Subject: Re:お疲れ様です
To: 成田
おかえりなさい。今日は早いね。
足痛いの?


From: 成田
Subject: Re:お疲れ様です 
打ち合わせがあって、なれないネクタイや革靴、
強い冷房でぐったり。
お疲れ様です。


そうやって書こうと、丹念に作ったような文章。
朝はそんなこと言ってなかったじゃない。
仕事の打ち合わせならば、朝出かける時にそう言うじゃない。

また、転びそうな嘘に私は悲しくなる。
つっこみを入れたくても、
そのつっこみでグズグズ崩れる成田さんの対応が手に取るようで、
私は何も言えなくなる。

嘘だけはつかないで欲しいと、
聞かないことは言わなければいいのだから、
わざわざ嘘で埋めないでと、
心の中だけで切願する。

でも言えない。

私は口に出して言えるような人間であれば、
何かが少しは変わったのかな?


Subject: Re:お疲れ様です
To: 成田
靴づれ?で足痛いの?
どうしてネクタイなんだろう?朝不思議に思ったの。


From: 成田
Subject: Re:お疲れ様です 
靴ズレはしていません。冷房苦手なの
軟弱な体質でね。


夕ご飯の話、他愛の無い言葉遊び。
そんなメールが続いて、少しづつまた戻ってくる日常。

私にとっては日常。あの人にとっては夢。

いつものように、とりとめのなく続いていくメールの往信。
ふと気がつけば日付は変わった。

8月1日。
あぁ、ついに8月。

もう寝かけているのか、
メールの内容がどんどん覚束なくなっている成田さんに送った。


Subject: Re:
To: 成田
8月だね。
夏休み本番だね


From: 成田
Subject: Re
8月ですね。
大好きさち。
おやすみなさい


そのまま私も眠りに落ちようとして、
でも唐突に頭の中を渦巻く黒い塊。

どうして?どうして?どうして?

あんなに愛してるって言って、
それでどうして普通の顔をして現実生活を送れるの?
彼女と、どこまでも続く未来について語りご満悦?

マットウな善人のようにしていて、ものすごく悪い人じゃない。
私のことで頭がいっぱいだって言ったじゃない。
一日中私のことしか考えていないって。

夢の中のできごとだから、現実の世界には何の影響も及ぼさないの。
私は現実に生きているし、

夢なんかじゃない。夢なんかじゃない。

「向き合う」って言ったの、全然向き合ってないじゃない。
夏が終わるまで私もつの?
夏が終わるまで私正気でいられる?
夏が終わった後、あの人は私をきれいに切り捨てるの?

ベッドの上で、タオルケットを頭から被り、丸くなる。
捨てられた子供のように、私は不安だ。
不安で憤り、悲しくて絶望する。

こんな夏休みもういらない。

そう思う自分と、きっとその直後に、
「それでもいい」と諦める自分。

私は本当の自分が見えない。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第12話

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そして、夏休み。

夕方からは、雨が降ったり止んだり。
それも、雷。
稲光と土砂降りの連続。

ふと思い立って、デニーズでミナちゃんとお茶をした。
久しぶりだし、話すことは色々あるようなないような?だったから。

「ちょっと出かけてくる」
そう言って玄関に向かったら、タカキは、
「何もこんな天気に・・・」
と呆れたように言った。

確かに何もこんな嵐の中を・・・という気もするけれど、
嵐の中だからこそ、女同士のお喋りにはよく似合う。そんな気もしない?

もちろん、そのまま出かけて、深夜もしくは朝まで帰ってこないことを
自分で想定しているのだけれど、そんなことはおくびにも出さない。

蓋をする。

私は蓋をして歩く。
何を言われようが、誤魔化して、宥めすかせてあともう少し。


ミナちゃんとまともにお喋りするのは久しぶり。
全部が終わって、でもまた始まってといった、
そんな話をする機会もなかった。

一通り近況を聞き合う。

ノム君とのことを聞いたならば、
「何もないですょ。だって、そんなに会ってもいないし。」
いつものように、恥かしそうに頬を染めてミナちゃんは言った。

「でもー電話はしてるんでしょ?」
私は聞く。

「電話は・・・毎日しています。」
充分じゃない。ちゃんとうまくやっている。
私までむず痒いような、照れくさいような気分。

でもちょっと嫉妬も。
なんの屈託もなく幸せなこと。
私がそんなことを羨む筋合いも無いのだけれど・・・

「月末になったら夏休みが取れるので、そうしたらどっか行こうねって」
ミナちゃんはそう言って、目をふせる。恥かしそうに。

「日帰りじゃないよね?子供じゃないもんねー?」
ミナちゃんの顔をのぞきこむように言ってやる。

「・・・はい」

真っ赤な顔して、でもミナちゃんはきっぱり。
あーあ、本当に嫌んなっちゃうよ。
こんなに嫌なんだから、だから幸せになってほしい。
心からそう思う。
私の今望む未来には存在しないもの、
それがこの子達の手中には確実に存在する。
せめてそれが実りますように。
ガラでもないのに、人のことを自分のことのように祈る。

「結局その後どうなったんですか?」

聞きづらそうにミナちゃんは言った。
もう会わないと、七夕賞の後に、そこまでは話した気がする。
私はざっと今までのことを話した。

あの人が結婚すること。
私が言ったこと。夏の間だけ私といてと。
そして今までのこと。

こんな話はまりこには絶対にできない。
「あんた馬鹿なの?」と頭から怒られるのが見えているから。
でも、ミナちゃんは、私が何を話してもいつも、
「さちさんが幸せならいいんです。」
それだけを繰り返す。
モラルも理屈も常識も関係ない。
もちろん勝ち負けとか、駆け引きとかも関係ない。

なのに、話し終わった後、ミナちゃんは悲しい顔をした。
悲しい顔をして、でもやっぱり、
「私はさちさんが幸せなら、それでいいと思います」
と言った。

「でも・・・」
そして続けた。

「そんなことができる人が、本当にいるんですかね?」
珍しく、少し怒りも孕んだような声。
まだ続ける。

「そんなんで、9月になってはいさようならって、
それで何にもありませんでしたって顔して、
普通に結婚して幸せになれるんですかね?」

私は、咄嗟にどう答えていいかわからず、
「うーん」と意味不明に呻き、手持ち無沙汰で煙草をくわえた。

「そんなことが出来る人は、本物の遊び人か、
人の気持ちなんて持っていない人ですよ」
そう言ってミナちゃんは泣きそうな顔をした。

「できるんじゃないの?」

できるって言ってるんだから。
少なくとも不安に思っているような挙動は無いし。

「でも私にはそれしかないんだよ。」
私は笑った。

まさに自嘲。
それしかない。

私は馬鹿で、目先の快楽と欲求を満たすことしか考えられない。
そういう女なのだから。
過去もこれからも、そういうふうに生きていくしかないのだから。

「さちさんが幸せだったら、私はそれでいいんです。」
また言った。
でも、今すぐにも泣き出しそうだった。

私もあんたが幸せだったらそれでいいのよ

思わずそう言い返してやりたかったけれど、
あまりに青臭くて、女子中学生的でやめておいた。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


ミナちゃんと別れた後、本屋さんの中をブラブラしていたら、
8時過ぎに、成田さんからメールがきた。
「仕事終わりました」って。

やっぱり日曜日は早い。
さっきまでのミナちゃんの話。
憂鬱な気分もすっかり忘れて、私は一気にうれしくなる。

だから、ほら手に負えない馬鹿。

船堀にいますって返信をしたら、
今から向かいます。船堀タワーの前にいてください。
と返事が来た。


船堀タワーのエントランスで、成田さんの車が来るのを待つ。
屋根の下にいても、土砂降りの雨、雫が飛んでくる。

稲光と、その後に来る爆音のような雷鳴。
そのたびに上がる人の悲鳴。

まるで戦場のよう。
でもあまり雷は怖くない。

早くあの人に会いたい。

それにくらべたら全ては些細なこと。

この嵐の中、船堀タワーの前でこうして立っている今のこと
きっと一生忘れない。忘れないようにしよう。
あの人は私の前からいなくなっても、
頭に焼け付いた光景は、いつまでもなくならない。
船堀タワーはあと何年ここに建っているのかな?
できれば私が死んでしまうまで。

私はここに来るたびに今日のことを思い出す。
戦場のような町で、あの人を待っていたこと。

目の前に止まる赤い車。
私は傘を差さずに屋根から出て、大急ぎで助手席へ飛び込む。
「すごい雨。大丈夫?さち」
車を発進させながら成田さんは言う。
「うん。さち、雷怖くないもん」
私は笑って答える。

手近なファミレスで食事をした。
「さちが濡れないようにね」
そう言って、駐車場からお店まで、
外を歩かなくていいところを選んでくれた。
週末で、意外に混んでる店内。
少々お待ちください、って、入口のソファーで待たされている間、
そっと指先を握ってくれていた。
サクヤが亀を持って帰った後のこと、
競馬のこと、私が話すと目を細めて聞いてくれた。
「ハンバーグとお魚どっちにしよう?」って悩んでいたら、
「じゃあ僕がハンバーグにするから、さちさん両方半分づつ食べたらいいよ」
そう言ってくれた。

優しくて、暖かくて、だから私は噴出す物に蓋をして歩く。
必死に駆けずり回っていることはわからないように、笑顔を絶やさず。

「そんなことができる人が、いるとは信じたくもありません。」

悲しそうに、困ったように言ったミナちゃんの言葉を思い出す。

そうね、そんなことはできやしない。
そう思いつつも、成田さんはその日が来たら、
目が覚めたように現実の中へ戻っていきそうな気もする。

少しは悲しんでくれると思うけれど。
楽しい夢を見て、目が覚めて嫌だなぁって。

他愛のないお喋りをして、ゆっくり食事をして、
私達はまた車に乗った。
成田さんはどこに行くとも言わない。
外は相変わらずの土砂降りと稲光。

「川を渡らないの?」

私は何気無く聞いてみた。
川の向こうにも、そういうホテルはたくさんあるのに。

「こんな雨で川を渡るのは危ないよ。」

何故か成田さんはそう言って却下した。
危ないって・・・車だし、別に大雪とかじゃないのにな。
それにさっき、船堀から橋を渡ってきたのに。
ちょっと不貞腐れる。

平井大橋を渡ると見える、高速道路の灯りが好きだから。

一緒にそれを見れたらいいなって思ったのに。
でもこの天気じゃ、きっと灯りも何も見えないのだろうけれど。

この間と同じホテルに、成田さんは車を入れた。
駐車場が狭くて、なんだかここは好きになれない。
好きになれないけれど、
こんな場所に好きも嫌いもおかしいから何も言わない。

フロントに向かう時、今までに無く大きな稲光。
遅れて、地面が震えるような大音響で雷鳴。

世界は終わるのかもしれない。
別に怖くもなんともないけれど。

鍵を受け取って、部屋に上がる。
この間とは違う部屋。でも似たような部屋。
これと言った主張は無く、当たり障りのまるで感じられない、
それゆえに卑猥。

私はため息をつく。
何故か憂鬱になる。
嫌なのかなぁ?本当は私。
こんなこと、したくないのかなぁ?

ソファに座ろうとしたら、突然辺りが真っ暗になった。
何も見えない。一面闇。

慌てて手を伸ばすと、成田さんがやっぱり伸ばした手で握ってくれた。

「停電だね」
苦笑いしてるような口調。
「こんだけの天候なら、停電くらいなるね」

2人で並んでソファーに座った。

雷は平気でも、暗闇は怖い。

真っ暗な部屋の中、
稲光が走った時だけ、カーテン越しに明るい。

怖い、怖いと騒ぐと、何か別のものまで怖がっていると思われそうで。
もちろん考えすぎ。
私は黙って座っていた。

目が慣れてきて、成田さんの横顔が輪郭だけ、なんとか判別できた。

痩せた頬の険しい線。

私は、あいているほうの指先を伸ばして、そっとなぞった。
成田さんの視線が私の方を向く気配。

「夏休みらしいアクシデントで」
そう言って、多分笑った。

その後、消えた時と同じく唐突に明かりが点く。

眩しい。

突然色を取り戻した世界に、とりあえずは戸惑う。

「大丈夫だよ」

成田さんは私の肩を抱き寄せた。
  
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第11話

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2008年某日

飲みに行ったら、たまたま隣にいた人の指があの人に似ていた。
親指から手首にかけての線が全く同じに見えた。

それだけで、ずっとその日その人の横から離れなかった。

帰り道も離れずに、ついていったら
「一緒に帰る?」
と聞かれ、迷わず頷いた。

一通り終わって、暗い部屋の中、
寝ちゃった男の手をそっと取り、指でなぞってみた。

全然違かった。

冷え切った指先、でも何故か包まれると暖かい。
骨ばった関節と、でも触れられると誰より優しい。

そんなあの人の手と、横で寝ている人の手は全然違かった。

自分のバカさと、バカげたまでの恋しさに涙が出た。

最悪だ。

あと何夜こんな夜を過ごしたら、私は笑ってあの日を語れるのだろう?


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


2007年8月

家の裏の道で、予定外にいちゃついたあの日、
「これからどこか行こうよ」
って耳元で囁いた成田さん。
でも、12時過ぎから出かけて、帰るのはまた朝?
それはあんまりなんだったから、軽く却下した。

「日曜日の夜ね」
あまり深い計算もなくそう言った。

なんとなく、日曜日は成田さんのお店が
早く終わるようなイメージがあったから。

「日曜日は小倉記念だよ」
成田さんは言った。

そうね、小倉記念。夏競馬最高潮ね。

「朝、錦糸町で小倉記念の馬券を買って、夜また会えるじゃん。」
私は笑った。
「あっ、でも亀を取りにくるんでしょう?」
また思い出した。

そうだった。日曜日はサクヤの亀の日。

「朝、錦糸町で小倉記念して、お昼にお店へ亀を取りにいって、夜は?」
私は成田さんの耳に触れながら、企むように笑っていた。

「夏休み?」
成田さんは笑わず、真剣な目をしていた。
そして私にキスする。

いつの間にか、「夏休み」は隠語になっている。

小倉記念と亀を夏休み。

朝から晩まで、楽しいことのラッシュ。
私はわくわくした気分に満たされながら、成田さんの唇を吸った。



甘いメールだけの毎日と金魚の金曜日。
私達のウィークデーは過ぎていく。


Subject: Re:日曜日
To: 成田
亀を取りに行かなきゃね。
何時に行くか決めてないけど。前持ってメールする。
すごーい!ちょースペシャル日曜日。幸せ♪


From: 成田
Subject: Re:日曜日
人間うれしすぎると
意味不明になるみたい。
無敵ね。要するに。
明日はカイシュウタキオン。また買うのよ。


Subject: Re:お疲れ様です
To: 成田
要するにって言われても意味全然わかりません。
カイシュウタキオンまた走るの?
もうここまできたら買い続けるしかないよね。


From: 成田
Subject: Re:お疲れ様です 
要するに無敵。意味はないね。
あんまりほかのことが考えられないからね。
さちでいっぱいだし、ほかのことは上の空。ごめんなさい。
ところで、さちは僕の体の中でどこが一番好きですか?


Subject: Re:体の中?
To: 成田
手かな?手が好き。大好き。
成田さんはさちのどこが好き?


くだらない、実のないメールの繰り返し。
世の中の、大半の恋人同士が送り合うような内容。

でもね、あの人の手が好きだった。
手の平も、指もみんな好きだった。
冷たくて、優しい、あの手の平の感触は今でも思い出す。

夏休みが走り、土曜日はカイシュウタキオンも走る。
私達は、どこが好き?とか、どう思う?とか、
第三者が聞けば、全くどうでもいいようなことを話し合う。

浴衣着て、おでかけしようって、
夜の町をドライブして、勝どき橋のデニーズでご飯を食べようって、
海へ行こう、夜でも昼でもいいから、夏の海ねって。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


☆小倉記念


参議院の選挙があった。

ここい引越してきてから、初めての選挙。
投票場は、1キロ近くも離れた小学校。

私はいつもより少し早く自転車を出し、投票へ寄った。

今日は曇。今にも降り出しそうな空を見上げて、
とりあえずは錦糸町で馬券買うまではもってほしい。
せっかくの日曜日。雨ざらしのヨレヨレであの人に会いたくはないじゃない。

日差しは隠れていても、気温は高い。
ジメッと纏わりつくような空気の中、泳ぐように自転車を走らせた。

余分な回り道をしたせいか、
WINSの地下駐輪場に自転車を入れた時にはすっかり息が切れていた。

少し早い。

2階へ上がっても成田さんの姿は見つからず、
私は空いている中央のテーブルに新聞を広げた。
ふと思って、テーブルの前しゃがみこみ、
垂れた新聞の下の方を眺めた。

いつか成田さんがやっていた。

しゃがむとだいぶ息が楽になる。少し貧血気味かもしれない。
もう手術はしたのにね、こんなに時間もたったのに、なかなか体は難しい。
見るとは無しに、新聞のコラム欄を眺める。
垂れ下がってる部分にはそれしかなかったから。

急に頬っぺたに冷たい感触。

緩慢に振り返ると、成田さんが笑顔で後ろに立っていた。
缶コーヒー・・・笑いながら私の頬にくっつける。
振り返って、私も笑う。
その瞬間がキャッチーなまでに幸せで、思わず涙が出そうになる。

泣くもんか。こんなところで。ねぇ?

「大丈夫?貧血気味?」
自分の新聞を広げながら、成田さんは聞いてくれる。
私はテーブルの縁を掴んで立ち上がり答える。
「うん。ちょっとね。夏休みだから、はりきりすぎ?」
ふざけた感じで最後は誤魔化す。
具合が悪いとかいいとか、言ってられないし。

「マークシート、塗ってきたの?」
「塗ってきたよ。もちろん。完璧。ほら、これも。」

差し出すのはやっぱり3連複1-6-9。裏面は3連単6-1-9。
お金の無駄遣いだから、って苦笑い。

「いいの。いつか元を取れるからね」
成田さんは笑った。

馬券を買ってエレベータに乗った。
やっぱり2人きりで、やっぱり今週も成田さんはキスしてくれた。

優しいキス。

舌が入りそうで入らないのはやっぱりアレかなぁ?
場外馬券場のエレベータでディープキスなんて、あまりに下品すぎるから?
まぁ、これだけいちゃついている時点で
品も何もあったものではないのだけれど。

自転車とスクーターを、押しながら歩くちょっとの道。
また、軽い眩暈に、私は一瞬だけ立ち止まる。

「具合悪いの?さち」
成田さんは私の顔を覗きこんで聞く。
「具合悪くないよ。別に。」
私はきっぱりと答える。満面の笑顔を作る。

「色んな物に蓋しまくってない?」
何気なく聞かれた。
驚いて見ると、成田さんは前だけをじっと見ている。

「えっ?してないよぉ?」
なんのこと?と言うように精一杯何気ない感じを装う。

そうね、言いえて妙かもね。
私必死で蓋して歩いてる。まるでもぐら叩きのようにね。

だってとりあえず夏が終わるまでもたせなければ。
夏が終わったら私に何も残らなくてもかまわない。
そうまでは言わないけど、言いかねない自分が怖い。

成田さんはそれっきり蓋のことには触れなかった。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


そして次は亀。
夏休み、予定がメジロ押しだね、忙しいね。

朝のエレベータでしてくれたキスも
余韻が冷めていないのにね。

 
Subject: 今から
To: 成田
向かいます。
ちょっと早いけど。


妹と、サクヤと、妹の旦那が運転する車で、成田さんのお店まで行った。

今日は躊躇も無く、こんにちはって入っていけるお店の中。
エプロンを付けた成田さんは、やっぱり戸惑ったように笑った。
でも、後から入ってきたサクヤには戸惑いもなく微笑む。
「こんにちは!」ってまるで保父さんかなにかのように。

「水槽はね、これを用意しました。」
大人が両腕で楽々抱えられるくらいのサイズ。
亀一匹くらいならきっと手ごろだろう。
どれだけ大きくなるかが不安なところではあるけれど・・・

水槽の中へ敷く石や餌、水入れなんかを出しては使い方を説明してくれる。
妹と妹の旦那は神妙な顔でひとつひとつうなづいている。
サクヤはまたお店の中を走り回り、私はその後をついてまわるハメ。

最後に、成田さんはレジカウンタの足元から、
小箱に入った陸ガメを大切そうに出してきた。

優しく甲羅を撫でた後に、手の平に載せ、サクヤの前に差し出した。
サクヤは恐る恐る手を伸ばし、指先で亀の背中に触れる。

「名前は、決まりましたか?」
成田さんが私に聞く。

「名前?決まったんだよね?」
私はニヤニヤ笑いながら妹を見る。
「ポッポっていう名前にするんです。」
妹も笑いながら言った。

変な名前と、成田さんも笑うかと思ったのに、微笑んだだけで
「いい名前ですね」
と感慨深そうに頷いた。

妹達が水槽なんかを車に積んでいる間、
私と成田さんとサクヤはお店の前にいた。

今日は曇り空。正午を過ぎても日差しは身を潜めている。
でも蒸すような熱気。包むような高温は、やっぱり夏の存在を誇示している。

走りまわるサクヤに目を配る。成田さんもサクヤを見る。
「今日もかわいいね」
サクヤを見つめた成田さんは言った。
「でしょ?叔母馬鹿だとは思うけれど、サクヤ本当にかわいいよね」
私は答える。

ううん。と成田さんは私の方へ視線を動かす。

「さちがかわいいって言ったの」

突然言われて、私は頬が熱くなるくらい照れる。
30云歳、かわいいって言われて真っ赤っか。
笑い話っすかー?

夏が嘲るように笑っている。


家に帰ったら、ちょうど小倉記念が始まった。

結果は、サンレイジャスパー、ニホンピロキース。
3連複で42000円の中荒れだった。
でも、先行流れ込み、ありきたりな展開。
いわゆる位置取りの差が勝敗をわける?みたいな。
もちろんわざわざ言うまでもなく、私も成田さんも何もかすらず。
当たり前すぎて悔しくもない。

ちなみに、昨日1600万下へ1番人気で出走したカイシュウタキオンは7着。

フガイ無い内容で・・・
年末の有馬記念なんてまさに夢のまた夢。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第10話

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夢を見た。

よく覚えていないけれど、悪い夢じゃなかった。
目が覚めた瞬間、何か残念な気持ちだけが残っていた。

あーあ、夢だったんだ。
そう思って。

だからきっと甘い夢。


From: 成田
Subject: おはようさち
起きてさち


Subject: Re:おはよう
To: 成田
おはよう~起きたぁ
夢見たよ


From: 成田
Subject: Re:おはよう 
夢?
どんな夢?
不埒?


Subject: Re:夢
To: 成田
うーん・・・よく覚えてないんだけど
甘かった。不埒かな?
微妙な感じ。


どんな夢かもわからないけれど、
甘い余韻だけははっきりと。
その余韻に包まれて、半寝の頭とよく動かない指先でメールを送る。
再び私をさらおうとする、生暖かい睡魔より早く着く返信。

これ以上に甘い時間がある?
たとえ夢の中でも。

夢の中よりも甘い、ここは現実。


From: 成田
Subject: Re:夢
さちと向き合うことは夢なのか、現実なのか
まさに境界線


多分、何気ない感じの成田さんの返信。
他意はなく、思いついたことを無邪気に言っただけなんだろう。

夢なのか、現実なのか、

その一文に私の手は止まった。

境界線?
夢と現実の境界線?

この人は夢を見ているんだ。

ふと思い知る。

モラルだとか、常識だか、信念だか、
なんだか知らないそんな物を踏み越えるために
この人が選んだ道は全部夢だと認識すること?

突然何の躊躇も無くなったかのように見える、その言動も、
私だけを見ているようにしか見えない、その目も、
全ての納得がいってしまう。

これは夢だと、現実にはなんの影響も及ぼさない夢だと、
夢の中なのだから、思うままに行動しなければ損だとばかりに
全てを貪りつくそうとしている成田さんの心がうっすら見えた。

いいのだけれど。
夢だろうが何だろうが、別に私は構いやしないのだけれど。


Subject: Re:夢
To: 成田
えーっ夢でいいじゃん
夢だから甘いょ
現実はカラいょ
夢は起きた時ツラいけど。
それはそれ


本人は気がついていないんだろう。
夢と処理して全ての折り合いを付けていることを。
だから私はあえて、そのメソッドを強化してあげるの。


From: 成田
Subject: Re:夢
現実からは逃げないように決めたのだから、
さちとの秘密は甘いんです。ありがとう


思わず吹き出しそうになるけれど、
あまりに自虐的すぎてやめた。

現実から逃げない?
ちゃんちゃらおかしい。
逃げられないはずの現実から逃げて、
夢の世界まですっ飛んじゃってるくせに。

 
Subject: Re:夢
To: 成田
現実はよくわかんない。
ほら、さちバカだからぁ~
甘くて不埒な夏休み。響きがステキ。
夏休み足速いから、追走タイヘンょ。
欲望や衝動に忠実になるの
したいことみんなするの
どーせ夢だし


夢の世界の住人に相応しいように振舞う。
それしかできない。
夢なんか見てないで現実を見て、と目を覚まさせれば
あの人の目の前から私はいなくなってしまうのだから。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


私が夢の世界の住人である証拠に、
都合よろしく今日は火曜で、
あの人はやっぱりどこか知らないところへ行ってしまう。

夏休みがはじまっても、やっぱりそれは同じ。

たったひと夏の間存在する私よりも、
一生一緒に過ごすであろう人を優先する。

それがあの人の現実。

夢のために現実は壊せない。
そもそも、夢の登場人物は傷つかない、泣かない、寂しがらない。

夕方まで、普通に交わしたメール、
予想通り5時前に途絶えた。
何もかも変わらない。

夜遅くになれば、またこっちの世界に戻ってきてくれるって
わかっていたけれど、11時過ぎでどうしても堪えられなくなった。
待っているだけの自分に。
待たされた挙句、なんの躊躇も無く愛を語るあの人を見せられるのに。

 
Subject:
To: 成田
お仕事遅くまでお疲れ様です。
今日は眠くて眠くてしかたないの。
恋しくて寂しくて切ない。会いたいな。
おやすみなさい


病院でもらった睡眠薬の余りを飲んだ。
明日の朝がつらいけれど、そんなことはどうでもいい。
私こそ本物の夢の世界へ。

夢なんていらない。
なにもない、なにも考えなくていい、空白の世界でいい。


翌朝は何事もなかったかのように、いつもと同じ時間にメールが来た。

そうやって、細かいことに躊躇がなくなっていくのは悪くない。
痴話喧嘩の真似事をしているような暇すら惜しい。

そしてまた甘い時間の連続。ただひたすら繰り返し。
夢の中のように、動きが緩慢になる。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


21時過ぎに、会社から戻ってきたらタカキは帰っていなかった。

いつものようにトースターに食パンつっこんで、
携帯を開くとタカキからメール
会社の飲み会で多分終電とか、そういう内容。

家に一度帰ってから、表に出ることはあまりない。
それが疚しい理由である場合は特に。
さすがのタカキもそんな時間に出かけていくことを訝しむし、
私もうまい理由はそうそう考えられない。
特にここ数日は、もうちょっとした世間話ですら、
私達の家には存在しなくなってしまった。
タカキはもう私の携帯を見せろとは言わないし、
私もタカキを刺激するようなことが起きないように避けている。
夜中はバイブすらオフにするとか、
布団で隠してそっと携帯をいじるとか。

10時までに成田さんからメールが来たら会いに行こう
突然そう決めた。

自転車に乗って、夜の川沿いの道を走ろう。

そう決めたらめちゃくちゃ楽しい気分になった。


From: 成田
Subject: Re:かわいいさち
お疲れ様です。たくさんのメーカーの営業さんが次々と来店、
遅くなりました
お仕事終わりましたか?


トーストを食べ終わって、
キッチンで後片付けしていたらメール着信。
9時50分。

 
Subject: Re:お疲れ様です
To: 成田
うん。家にいます。
成田さんはもうお家?
あのねーいいこと考えたの!
30分したら自転車で京葉道路まで行くね。
ちょっとだけ会いたいの。ダメ?


From: 成田
Subject: Re: お疲れ様です
いいよ、車で幼稚園のところに行きます。
自転車はだめよ。


何故だか自転車を禁止されてちょっとがっかり。
でも会いにきてくれるって、今会えるって、
それだけで私は大浮かれ。

ついたよってメールはすぐに来た。

駐車場を早足で横切り、そのままスピードアップ。
小走りがいつの間にかダッシュ。

川沿いの道を猛スピードで走る。好きな人のところへ走っていく。
この瞬間より素敵なことがこの世にあるのかな?

追い抜いて止まる赤い車。ドアを開けると、あっ、今日はちょっと怖い顔。
真剣な感じ。

「どうして自転車ダメなの?」
聞いてみる。
「ダメだよ。危ないでしょ。」
はい、と缶コーヒー。
一度渡してから思い出したようにまた受け取り、空けてくれる。
ありがとう。と受け取る。

「ちょっと会いたいだけだから、自転車で行きたかったの。
用もないのに自転車乗ってさ、ちょっと会ってバイバイってまた帰ってくるの。
そういうのすっごい楽しくない?意味わかんないんだけどさー。」

「言いたいことはわかる。確かに楽しい。でも危ないから。」

ちぇーっと、シートに体育座り。
一昨日会ったばっかりなのにこんなに嬉しい。

何かくだらないことをダラダラとしゃべる。
そういう時に、じっと私の顔を見てる成田さんの視線に気づく。
でも気づかないふりして、喋り続ける。

そういう時がすごく幸せ。
しゃべってる私の話なんてそっちのけで私を見る視線。すごく好き。

でも今日はいつもより少し怖い顔。真剣な顔。

「どうしてそんなに怖い顔で見るの?」
「真剣に見てるんだよ。よく見たいんだよ。」

ふーん。と、成田さんの左手を掴む。
指と指をからませる。
また視線、感じて目を開けると優しいキス。
ノンストップの始まり。

「さち大好き」「さちあいしてる」「さちかわいいよ」

優しい囁き。甘い時間。

もう麻薬だね。断てるのかなぁ 私達。そう遠くない未来にコレを。

日が変わりそうな時間になって、やっと私は振り切るように車外へ出た。
手を振って、いつものように車を見送ろうとしたら、成田さんは助手席の窓を開けた。

「この間さ、帰り際1回車降りた後、
また開けて、帰りたくないって言った時の顔、
もう最高にかわいかった。あれが最高だと思う。」

伝えないとまずいと言ったように早口で言う。

私は笑った。
嬉しい。
今まで成田さんに言われた言葉で、ベスト10に入るくらい嬉しい。
何より、それを伝えなきゃいけないって思ったくれたことが嬉しい。

ゆっくりと発進する赤い車。

愛してる
愛してる
愛してる

今この瞬間の繰り返しだけで、一生を終えたい。
 
 
  
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☆第4章 最後の夏休み☆  第9話

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2008年某日

あの日から、私の世界の色数は半分になった。

夢の中にいるように虚ろって、何が現実で何が虚構なのか、
判断ができないし判断をする気も無い。
ただ時間が流れる中、
たまに襲ってくるどうにもできない衝動や胸の痛みを紛らわすために
意味の無い人間関係を鎧のように重ねていく。

何も欲しくない。何もしたくない。大事な物は何もない。

「あなたにちょっかい出しているあの子、なんていったっけ?」
久しぶりに2人で飲みに行った夜、まりこが言い出した。

「あぁ、マサヤ君?」

「っていうの?あの子この間の飲み会の時言ってたよ。
さちが何考えてるかわからないって」
おかしそうに、バカにしたように笑う。

「自分のこと好きで好きでしょうがないように見える時と、
何もかもどうでもよさそうな時があるって、
どうするの?あの子本気っぽいよ?」
「なんて答えたの?」
最後の質問は流した。

まりこは鼻で笑って言った。
「何考えてるか、わかるわけないじゃんって言ったよ。
なんにも考えてないもんってね。」

私も笑った。さすがよくわかっていらっしゃる。

そう、私はなにも考えていない。
なにも考えていないのが殿方には大層ミステリアスに映るらしく、
お蔭様で最近妙にモテてしまう。

「あなたの本当に誰かを好きな姿、私は見ていたからね」

今度は冷笑せずにまりこは言った。

「あの頃に比べたらあなたは半分も生きていないし」


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


2007年8月

From: 成田
Subject: Re:おはようさち
睡眠時間が少ないにっ
さちのことが心配です。
おはよう


朝、成田さんのメールで目が覚めた。

昨日はあれから眠れず、明け方の5時前にもかかわらず
起き出して、キッチンで玉子サンドを作った。
成田さんが作ってくれる玉子サンド、思い出しながら。

見た目は結構上手にできたのに、なぜか全然美味しくなかった。
少しだけ食べて、それ以上は全然入らなくて、
むしょうに悔しくて、そしてどういうわけかむしょうに眠くなって、
6時前にベッドへ潜り込んだ。

眠いに決まってる。そんなことやってれば・・・


Subject: おはよう
To: 成田
昨晩は諸々の事情により、眠れずサンドイッチ作ってたの
玉子サンド、自分で作ったら美味しくなかった(×_×)
どうしてだろう?
また作ってください


From: 成田
Subject: Re:
無理はしないでくださいね。
自販機でコーヒー買ったら9999が出てもう一本獲得しました。
玉子サンドは、一人で食べても美味しくないよ。
いつ食べるか、誰と食べるか、も美味しさを引き立てるし、優しさも味わえるのです。


こんなことを正気で言っちゃう大人が日本に何人いると?
結構いるのかなぁ?
青臭いと笑ってすませる?純粋だと関心する?
どっちも嘘だから。この人は嘘つきの裏切り者だから。
それにしたって、私はどうしてこんなに意地悪なことばかり思うんだろう?


Subject: Re:
To: 成田
じゃあ
作って!作って!作って


心の隅でふと思ったことは無視して、私はせがむ。
玉子サンドが食べたいんじゃなくって、あなたに会いたい。
そう言っているだけ。


From: 成田
Subject: Re: 
三回言ってる(^_^;)
また作るからいっしょに食べよう
秘密の夏休みに玉子サンド作るとは思わなかったよ。
足がはやいからすぐ食べないとね


Subject: Re:
To: 成田
えーっ?秘密の夏休みに玉子サンドはセットだと思ってたょ?
そうだね。玉子サンドは足早いね。要注意。
でも夏休みも足早いよ。ボヤボヤしてるとすぐ終わっちゃう。要注意。


夏は全速力で走っていく。
必死になって追いかけていないと、見失ってしまう。
私は息切れするぐらい走っている。

成田さんは、玉子サンドをいつ作ってくれるとも言わなかったけれど、
私はきっとすぐだってわかっていた。

案の定、残業していた夜9時前、メールが来た。

From: 成田
Subject: お疲れ様です。 
たまごサンドできたよ。
どこに行ったら良いかな?

「大島の交差点」
私はそう、短いメールを打って、会社を飛び出した。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


どこから出ていいか、決めかねて一番近い階段を上がった。
階段の上に見えてくる赤い車。わぁ、ぴったり。

成田さんは車を発進する。

いつもみたく、どんなに忙しかったか語り始める。
全部投げ出して会いにきてくれたって、そう言いたいの。
へたくそね。気を使わせちゃうとか考えない。
はいはい、ありがとう。かわいい。

「ありがとう」
って、笑顔で言うと、ちょうど信号待ち。
こっちを見つめて

「さち」
って言う。
「なぁに?」
答えてたのに、
ううんと首を振って笑う。子供みたいな笑顔。

信号にひっかかると手を握ってくれる。たまには、持ち上げて
手の甲に優しくキス。何度も何度も。
甘い時間が流れ出す。どうしてこんなに甘いんだろう。

玉子サンドはお台場。なぜかこれは決まりらしい。
いつもと同じ、優しい味のする玉子サンドを2人で食べた。

そして、海岸に出る。

ベンチに座って海を見た。
そっと顔を寄せてキス。軽くね。
前はそんなことしなかったくせに。
人が通らない時を見計らって何度も唇を合わせる。
軽く吸う。少しだけ舌を入れてみる。
成田さんは苦笑い。
「ダメでしょ」
笑う。

私さっきから笑ってばかりいる。
笑顔しか見せたくない。

「さちさんは不埒だね。」
不意に成田さんが言う。
「不埒?さち不埒?不埒ってどういう意味?」
「ふとどきもの。桃太郎侍知ってる?
ひとつ、人の世の生き血を啜り、ふたつ、不埒な悪行三昧」
「死して屍拾う物無し?」
「それ、違うよ。」
どうでもいいよぉと、私は成田さんの肩にもたれかかる。

レインボーブリッジの灯りが強すぎて、目の奥がジンジンする。
きれいかも。お台場できれいかも、だなんてヤキがまわってやがる。

「埒って、あのラチでしょ?柵?」
海に目を向けたまま、頭を成田さんの肩に載せたまま。

「そうだよ。ラチが明かないと一緒。」
「埒が無いってことだから、柵がない、囲われてないってことじゃない?」
「うん。籠の鳥じゃねぇんだよって意味。」
カッコつけたふうに言う。

「じゃあ、そんなに悪い意味じゃないじゃん。」
「悪い意味じゃないよ。」
「じゃあ私不埒でいいやぁ。」
成田さんのほっぺたにちゅっとキスをする。

「不埒な夏休み。」

その言葉を甚く気に入る。

「不埒な夏休み。」
繰り返した成田さんは、そっと私の唇をつかまえる。もちろん唇で。

「甘いね。」
夢見心地で言ってみる。粘度の高い甘い時間。

甘くて不埒な夏休み。

気が付けば、蚊に数箇所も刺されていて車に戻る。手をつないで。
300メートルくらいの距離をゆっくり歩く。
早く動けないんだよ。まるで夢の中みたい。

「今、何考えてる?」
私の顔を覗きこんで。
「何も考えてないよ。」
「今、頭が回ってる顔したよ。」
この人は、鈍いようでそういうことだけよくわかる。

考えないわけないでしょう。

今私の横にいるあなたは、明日になれば普通の顔をして、
知らない誰かのものになる。
今ここにいる私は、
数時間後家に帰れば、普通の顔をしてただいまと言う。

嫉妬なのか、自己嫌悪なのか。
嬉しいのか、悲しいのか、切ないのか。
最高に幸せなのか、最悪の不幸なのか。

「幸せだなって考えてたの。」
ぎゅっと、つないでいる手に力を入れる。
成田さんはこっちを見て笑う。
そんな適当な返事に騙される人ではないけれど、誤魔化されはする。

車のドアを開けてくれる。座った私にまた優しくキス。
運転席に戻って、今度は少し長いキス。

もうなんだか私達クレイジー。

帰り道はステレオのボリューム上げて何も話をしなかった。
ずっと手を握ってくれる。たまに私が握っている手に力を入れると
成田さんは優しい目をしてこっちを見た。

途中、横断歩道でもないところを、
普通に歩いてわたっていく学生風カップルに若干急ブレーキ。
「なに?心中?」
道路の真ん中で躊躇しているカップルに、いいから早く行けって手で促す。
「なんだろうなぁ・・・」
成田さんは不審そうに言う。

「うかれちゃってるんだよ。夏休みだから。」
「夏休み?」
「うん。うん。夏休み。」

そう夏休み。

家の裏の道、公園の横まで通り過ぎて止めた車の中。

私は成田さんの唇を必死に吸う。
「ダメだよ。さち、ノンストップだから。」
「止まらない?」
「この間さ、朝別れた時、」
「うん。」
成田さんは自分のくちびるに指を当てる。
「唇が痺れちゃった。生々しい話だけど、
まださちの舌がこう、からんでくるような気がして、
もうこんなんで仕事できるのかぁって。」
嬉しい。
また唇を吸う。

「さち、キスしすぎ。」
「だって好きなんだもん。」
「キスが?」
「好きは、キスと成田さんにかかるんだよ。
成田さんにキスするのが好き。」
そう、薄めの唇、私のされるままにしている優しいさわり心地。
そっとその感触を味あうように唇に触る。

「おかしい?私?」
「おかしいね。でもすっごくいい。」
成田さんが両手を回し、私をぎゅっと抱きしめてくれる。

「大好き。」
「うん。大好き。」

めちゃくちゃに唇や舌を吸い合う。
「溶けちゃうから。」
「溶けてよ。」
「ダメだよ。帰れなくなる。」
帰らなくていいのに。

またそういうことを思うから、私はダメなんだ・・・

車の降り際、名残惜しくて何度も何度もキスをする。
「帰りたくないよ。」
言ってみる。

「そういうことを言う時は、さち、子供の顔だね。」
愛しそうに私を見る成田さん。

私を愛してる目。多分嘘は無い。

走り出す車に何度も手を振る。見えなくなるまで。
見えなくなって、動かない体を無理やり動かし、数歩歩く。

自動販売機の灯りの下、しゃがみこむ。
鞄の底からマルボロ出してくわえ火を付ける。
ふぅっと、思い切り煙を吸い込んで、吐き出す時に涙が出た。

動けない。予測していた脱力感。
感じてなかった重力が突然実感されるような。

どうしたらいいんだろう?

まるで見当も付かず、涙が出るだけ。
愛して、愛されて胸が詰まりそうなくらいなのに、でもあの人は別の人のものになる。
全て捨ててもいいくらい、私を愛してくれることは絶対にない。

甘い時間の空しさ。
愛してる、愛してる、愛してる。

さちを愛してください。お願いだから。

もう誰もいない川沿いの道で呟く。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第8話

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☆函館記念

はじめて成田さんからミクシィメッセが来たのは
去年の函館記念の前。
それから毎週競馬の話をするようになった。

1年間、私達は一緒に競馬をしていた。


Subject: わん
To: 成田
おはよう函館記念ですょ
雨じゃん(ノ△・。)電車で行こう


また雨の朝。
本降りに近い。自転車はハナから諦め、電車で行く時間を計算する。

タカキを起こさないように、そっと家を出る。
あれからまともに話もしていない。
たまにふと出る世間話、当たり障りなく応える。
まともに向き合うのが怖いのは、私だけでなくきっとタカキも一緒。
何かが起きて、進行していっているのは嫌というほど感じているはずだから。

都営新宿線と半蔵門線を乗り継いで、錦糸町まで。
いつもより少し早くついたから、
丸井の前で赤いスクーターが通るまで待っていた。
たった1週間来なかっただけなのに、久しぶりな感じのするWINS。

来た、成田さんのスクーター。

WINS西館の方へ曲がるのを見届けて、私も中へ入った。
ゆっくり歩いていけば、
地下の駐輪場から上がってきた成田さんと、1階で会える。

ほらね、計算ぴったり。
いつもと同じように、子供みたいな口元で満面の笑み。
満面すぎる?若干照れ笑いかな?

新聞を買った成田さんと、エスカレータで2階へ上がった。
ガラガラの売り場の中央のテーブル。
いつもと同じく新聞広げて、いつもと同じに差し出してくれる缶コーヒー。
でも今日は開けてから渡してくれた。
私はまともにお礼も言えず受け取って、ぶっきらぼうに馬柱を指差した。

「メガワンダーなんて1円もいらない」

えー?と大袈裟に驚いてみせる成田さん。
「メガワンダーは切れないなぁ・・・ここはフジだなぁ」
「フジもいらない。だって、根拠がないよ。
根拠がないのに人気してるの、嫌」

困ったように笑って成田さんは新聞を眺める。

いつもと同じ。1週間で1番私が幸せな時間。
これだけはいつも変わらない。
秋になっても変わらないで欲しい。無理な話かな?

9時になって、機械が動き出したら馬券を買う。
成田さんは今週も律儀に1-6-9の3連複。

「さちは、エリモハリアーを買ったょ」
新聞を目の前に掲げて、得意気に言う私に、
優しく笑いかけながら成田さんはエレベータの下ボタンを押す。

すぐに止まるエレベータ。乗っているのは2人だけ。

私は相変わらず新聞を目の前に掲げたまま、
「3連複5頭ボックスで・・・」
と、喋りかけた私の新聞を、払うようにどかした成田さんは
そのまま躊躇も無く、私の唇にキスした。
すぐに離れると思ったのに、そのままずっと。

エレベータ、1階から地下1階まで。たったそれだけが何分もに感じる。

時間が止まった?
なにもそんなロマンティックな表現持ち出すまでも。

頭の芯が麻痺していく。

何がどうなって、何をどうしたらいいんだろう?
何が悪くて、何がよくって、何が現実?
わからない、わからない、わからない。

ゴトっ、とエレベータが止まる寸前の振動。
それで成田さんの唇はそっと離れていく。
次の瞬間、開くドア。

現実はこれ。
場外馬券場のエレベータ。
おかしくて、私は笑った。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


Subject: 極秘馬券第1弾
To: 成田
結局住吉まで歩きまちた。
さちの1-2馬券は
複BOXは1 4 5 9 10
当たったら夏休み軍資金
そろそろ当たり頃だから。
今週来週再来週でキメるよ


From: 成田
Subject: Re:極秘馬券第1弾 
黄色いシャツが良く似合っておりました。
さちの前ではいつも上の空です。
馬券は楽しみですから、当たってもハズレてもいいんです。

 
Subject: Re:極秘馬券第1弾
To: 成田
どうして上の空ぁ?
うちの妹が「あの人どうしてあんなに上の空」って。
さすがさち妹。スルドイよ。
競馬は楽しみって言ってもいくらなんでも当たらなすぎ。
でも2週間ぶりのハッピー日曜日。
今日も強く生きられます\(#⌒0⌒#)/


From: 成田
Subject: Re:極秘馬券第1弾 
どうしていいかわからなくなっちゃうから…ほとんど挙動不審です。
馬券も上の空。
だから迷わないように決めてきた。


Subject: Re:極秘馬券第1弾
To: 成田
私も毎週わけのわかんない馬券買ってるから、
心を入れ替え今週は金曜日から考えた。
でもやっぱりわけわかんない馬券だったけど…
実はさちも毎週上の空。知ってた?


From: 成田
Subject: Re:極秘馬券第1弾 
うん。知ってる。上の空度合いは五分。


Subject: Re:極秘馬券第1弾
To: 成田
ヤバいバレてたか
ダメじゃん!ダメすぎ!
2人で上の空で馬券買ってバカ?
だから毎週ハズレ馬券大量量産!?
決めた。来週からマークシート塗っていく。


午後。
函館記念。

人気薄のエリモハリアーと、紅一点ロフティーエイムで決まり。
両方とも買ってたのに、馬連だったら18000円もついたのに、
3連複しか買ってなくて、
3着に来た人気のサクラメガワンダーをバッサリ切ってた。
痛恨の惜敗に、一人テレビの前で悶えた。

それもこれも夏休みの楽しい思い出。
と、笑って済ませるには悔しすぎ、

こんな思いをするくらいなら、
競馬なんてしないほうがいいとまで思い始める始末。
こんな思いをするならば、恋なんてしないほうがいいと思うのと似ている。
月並みだけれど、恋とギャンブルはよく似ている。
そう思ってもきっと来週わくわくしながら馬券を買いにいく私。
人は甘美だけでは生きていけず、
歯軋りするような悔しさや切なさも同時に欲するというわけ?

そんなことはどうでもよく、やっぱり今週も負けたというのが現実。


Subject: Re:極秘馬券第1弾 
虎穴馬券、当たりましたか?
帰宅しました。
お疲れ様です。


いつもより少し早めのメール。
当っていないことは知ってるくせに。


Subject: Re:おかえりなさい
To: 成田
3連複BOX、ハリアーと牝馬買ってたのに
「メガワンダー1円もいらない」で玉砕。
馬連BOXにすればよかった。


From: 成田
Subject: 同じく
玉砕。
そろそろ自分も禁馬券?


Subject: Re:同じく
To: 成田
そうだょハズレ馬券だめょ。フジは根拠が無いって言ったじゃない。
私はいつも当たる前に必ず1、2回カスルからね。
今日みたく、買い方間違えたようなカスリかたは良い兆候。
来週か再来週、 絶対大きいの引くょ!


今日も続く他愛ないメールのやりとり、
と思ったけれど、何故かそれ以降成田さんからのメールは途絶えた。

珍しく日曜日の夜、彼女に会いに行ったのかな?とか
考えなくもなかったけれど
でもきっと疲れて寝てしまったんだろう、と軽く思いつつ、
割と心中穏やかに、残りの週末を静かに過ごした。

今日はもうメールは来ないんだろうな、と少しだけ寂しく思いつつも、
1時過ぎにはベッドに入りうとうとしていた。

タカキは、私が珍しく携帯もいじらず寝ようとしている姿に
少しびっくりしつつも、
「おやすみ」といつもより早めに休んでいた。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


2時少し前、メールが来た。

半寝の頭に、枕の横に放り出された、携帯のバイブが響く。
静かな部屋全体を揺らすかのような振動に思えた。
慌てて開くと成田さん。「おやすみ」ってそれだけ。
今までいったい何をしてたんだろう?

横のベッドを見るとタカキの布団が動く。
夜中に携帯が鳴ることがあっても、あまり気に止めないから
今日も大丈夫だろうと、
画面の灯りをタオルケットで隠しつつ返事を打つ。

 
Subject: Re:おやすみなさい
To: 成田
一回寝てた?
なにしてたの?こんな時間まで


From: 成田
Subject: Re:おやすみなさい 
落ちたり落ちそうになったりしながら、
雑誌にのせられなかった写真を整理しています。明日会社じゃん


本当だか嘘だかはわからない。
でもそれ以上はどうでもいい。

 
Subject: Re:おやすみなさい
To: 成田
寝ちゃったと思ってたけど起きてたんだ!
さちはウトウトしていたよ。


送信ボタンを押したところで、突然部屋の電気がついた。
一瞬何が起きたかわからなかった。
明るさでうまく動かない目の焦点を合わせると
タカキが手を伸ばし電気を点けていた。

「どうしたの?眠れないの?」
まずい状況であることは咄嗟に悟りながらも、私は普通の声を作って聞く。

案の定、タカキは答えず、
「誰とメールしてんだよ」
とだけ言った。

「友達だよ」
なんでもないふうに、
そんなうっとおしいこと聞かないでよ、と言いたげに、
面倒くさそうな顔で私は答えた。

「友達って誰だよ。こんな時間にメールしてくる友達って誰だよ」
起き上がり、こっちをじっと見てタカキは声を荒げる。
「誰だっていいじゃん。あんたに関係ないでしょう?」
私はそう言いながら携帯を手で握る。

「見せてみろよ」

タカキは手を伸ばして私の携帯を奪おうとした。
だから私は携帯を両手で握り、「やめてよ!」と怒鳴って返す。
「いいから見せろよ。なにもないなら見せてみろよ」
「やだ。あんなたに見せる筋合いない!」
しばらく言い合いが続いた後、諦めたのか、
タカキの声と動きは突然止まった。
一度大きく息をつく。

「家庭を築いていかなきゃいけないんだ。」

タカキは悲しそうに言った。

「飯も作らなくていい、洗濯しなくたって、掃除しなくなってかまわない。
でもさちが放棄している一番ヤバいことは“家庭を築く”ことだよ。」

私は黙る。

タカキは続ける。

「そうやって、現実の生活から目を逸らして、
家にいればひたすら携帯をの画面を見て、
一緒にいる俺のことをいないも同然に扱う。
家庭を築くっていうのは、子供を作ったり、家事をしたりとか、
そんなことじゃないんだ。」

タカキの言っていることは、簡単なようで全く理解ができなかった。

どうして家庭を築けるの?私は私で私は一人で生きていけるし、
私のしたいようにしていきたい。何もいらない。
夏が終わるまであの人と過ごすこと、それ以外に大事なことはない。

「離婚してよ。」
目を合わせず私は言った。
それしか言えない。
家庭を放棄している私のことなんて捨てたらいい。

「離婚して、違う男と一緒になる?」
挑むように聞いてくるタカキ。返事はできない。

「できないだろ?どうせまた遊ばれてんだ。
俺からお前を奪おうなんていうヤツは、お前に惚れない。そうだろ?」

遊ばれてるどころか、遊ばせてやってます。
なんて言えるわけがない。

「お前、いくつになっても公衆便所。都合のいい女なだけじゃん。
いい気になってんなよ。」

タカキの言葉が頭の中を走りまわる。
事実すぎて何も言えない。

そう、愛されてなんていない。
誰も私を愛してなんていない。

かわいいね、きれいだね、色っぽいね、寝ても覚めても、
僕のもの、さちの虜だよ、僕の女神、気持ちいいね、愛してる、
好きだよ、大好きだよ、大好きだよ、大好き・・・

たくさんの男の人の囁きを耳の奥に思い浮かべる。
私こんなに愛されてきたじゃない。
みんな私を愛してるって、大好きだって。

でも自分が一番よく知っている。誰もさちを愛していない。
神谷君は私を愛してなかった。成田さんだって、私を愛していない。

好きなのに、大好きなのに、こんなに欲しいのに。
誰もさちを愛してくれない。
神谷君の奥さんや、
成田さんの婚約者のあの冴えない女だって愛されているのに
さちは誰にも愛されていない。

タカキと18年間別れられなかったのは、
タカキが別れてくれなかったからじゃない。
誰もさちを奪おうとしてくれなかったから。

涙が出る。
愛されたい。愛されたい。愛されたい。

たくさんの人にちやほやされるより、
私が一番愛してる人に愛されたい。

下を向いたまま、声は出ず涙だけがいつまでも出た。
タカキはそのままベッドに横になり、
しばらくすると寝入ったのか動かなくなった。

どれだけ時間が経ったのかわからない。
暗闇の中で、携帯を開くと、成田さんからのEメールが来たっきり。


From: 成田
Subject: Re:おやすみなさい 
起こしちゃってごめんなさい。
無理しないでね。
僕のさちなのですから。


「僕のさち」
その言葉が、滲んで見える。

あんたのものなんかじゃないよ。
自分のものにする気もないくせに。
私は少しだけみんなのもの。
少しだけ共有して、気楽に楽しもうと思わないでよ。

携帯をぶち壊してやりたい衝動にかられる。
私の生活の全てで、あんなに愛しかった携帯、
その気持ちを思い出してとどまる。

しばらくまた泣いた。

そして、1通だけメールを打って横になった。


Subject: Re:おやすみなさい
To: 成田
ありがとう。
ごめんなさい遅くなって
おやすみなさい。


結局何も変わらず、夏休みだけを継続させることだけを選ぶ私。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第7話

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From: 成田
Subject: Re:朝だよ 
ホントに倒れるように眠ってしまった
あんなにキスしたのはじめてだったし
あんなに愛されたのもはじめてだったよ
メール作成画面のまま朝になりました。
おはようさち


仕事が終わった成田さんは、メールもそこそこに音信不通。
当たり前。
昨日は朝までほとんど寝ていなかった。

「仕事終わりました」
って短いメールを眺めながら、私も気が付いたら眠っていたし。

一夜明けても、甘い空気は変わらず。

踏み出すのにあんなに躊躇していたくせに、
一旦超えちゃえば、こうも人は貪欲に?
でも貪って欲しい。
欲に溺れて欲しい。


Subject: Re:金魚の日
To: 成田
おはよう
さちもそっこー落ちちゃった。
大好きぃ


そう、金魚の金曜日。
何度も巡った金曜日。
それでも全く意味の違う金曜日。
私達の時間は今までも、甘く緩慢だったけれど、
身動き取れないくらいの粘度と密度で、思考回路を狂わせていく。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


今日は病院。
午前休して定期検査。

こんな日にあの病院で、あの時間をなぞるのは意味ありげ。
意味ありげに見えることのほとんどが、
意味なんてないことだとは知っているけれど、
一番幸せだった時間よりも、さらに今が幸せなのかどうか、
それを知るために行くような気もしたり。

いつもの込み合った外来ロビーは、相変わらずうんざり。
あんまり好きになれない主治医の
「順調ですね。」
というおざなりな検査結果もうんざり。

会計を待つ間、私が1日の大半を過ごしていた中庭に行ってみる。
いつものベンチに座って、コーヒーを飲みながら煙草をくわえた。

幸せだよ。私は。
ほら、こんなに幸せだよ。

あの頃の私に言ってみる。

待ちわびていた夏はやってきた。
ジリジリするような日差しは日常茶飯事。
そして私は一番欲しかった物を手に入れた。

幸せじゃないわけないでしょ?

なのに、
あの頃いつも心にあった、暖かい光の塊みたいな感じは
いつになっても実感することはできなかった。

なにが気に食わないのか、
イラつくように全てを照らす攻撃的な日の光。
そんなものの下では、小さな光の塊なんて粒にも等しいのかな。


Subject: 病院
To: 成田
終わりました。
異常はなく、順調だそうです。
次の病院は11月。
もう4ヶ月あそこへは行かなくていいの。
 

From: 成田
Subject: Re:病院
ご苦労様。異常なくてよかった。 
金魚少し買いました。
青いメダカも。青ってほど青いわけじゃなくてね。


青いメダカ。

写真はついていなかったけれど、
私は青い水槽を泳ぐ青いメダカを思い浮かべる。
そんなに青くないって言ってたけれど、
でも私の想像の中でメダカは青く。
水槽の水と同化したり、浮き上がったりを繰り返しながら
涼しげに泳いでいる。

そして、夏を思う。
幸せか、幸せでないのか、そんなことは置いておいて、
とにかくこの夏の全てを記憶したいと、私は強く思う。


病院から、電車を乗り継ぎ会社まで戻った。

上の空が最高潮の精神状態なのに
よりによって、仕事は山積み。
集中するのがつらい。
でも、半面、集中せざるえないくらいの仕事があってよかった。

無心に机に向かっていれば、
堂々巡りをする思考回路もしばしは止められる。
考えたところで何も結論が変わらないことはわかっているし、
もう動き出してしまったものをどうこうできないことも理解の上。
なのに、有り得ない様々な分岐を想定しては、空想の世界に浸る。
そんな自分を止められる。
甘い空想は、その後に残酷なまでの手痛い高波を連れてくる。
もちろん感情のね。

だから、空想を止めてくれる仕事は優しい。
そう、今私に本当に優しいのは仕事だけ?

8時くらいまで、ひたすら、たまった翻訳の作業をした。
集中していたらあっという間。
忙しいであろう成田さんから、メールが来ないことも気にならなかった。
帰り道、コンビニで新聞を買った。出馬表目当て。
そして、電車の中メールを送った。


Subject: 予想
To: 成田
今帰りの電車。
もう函館記念の予想をしたよ!早いっ
1 4 8 9 10 11
5頭ボックスにしたいから1頭消さなきゃ。
それか1頭軸にするか。


家に帰り、夕食も済ませた頃に返事が来た。


From: 成田
Subject: Re:予想
帰宅しました。お疲れ様です。
函館記念?アドマイヤ、メイショウ、サクラは消しなの?
でも競馬やめますって、宣言したでしょう?

 
Subject: Re:おかえりなさい
To: 成田
データ分析?したら
ああいう結果になったの。サクラ消しだねー
明日もう一回じっくり考えるけど。
競馬やめたことになってるの。だからみんなに内緒ょ。
内緒で夏の間馬券買い続けるのょ。夏は内緒ばかり(^_^)v


From: 成田
Subject: Re:ただいま 
内緒ね。なんかドキドキするよ


他愛のない言葉遊び。

内緒だよ。一生内緒だよ。

私は繰り返す。


From: 成田
Subject: Re:函館
一生秘密ってすごいよね
秘密ってあったほうがいいのかな
僕の秘密袋はさちのことだけでキャパいっぱい


文面から感じ取れる、浮かれたような成田さん。
罪悪感を愉楽にすりかえている。

そんなことで楽しんでいる自分を、成田さんは見えているのかな?
もうきっと、何も見えていないのかな?

何も見て欲しくないけれど。私だけを見て欲しいけれど。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


静かに過ぎる夏の土曜日。

朝、いつもと同じ時間にメールをくれる成田さん。
9時前になると、赤いスクーターで錦糸町へ行く成田さん。

先週1週休んだだけで、いつもずっと変わらない土曜日の朝。

リビングで、携帯をいじっていると、ふと湿気を感じる。
耳をすませば雨の音?


Subject: Re:
To: 成田
今日の函館、妙にメンツいいよね。
函館記念と入れ替わっても気付かなそう。
雨降ってる気がする
気を付けて


そう送ってから、カーテンをそっと開けてみる。
少しだけれど、霧雨のように細かく降る雨。


From: 成田
Subject: Re:ごめんなさい
雨は苦手です。
新潟日本海は6-1-9が人気です。さち馬券で決まるかも


まだお誕生日馬券なんて、この人はまったく・・・
苦笑いしながら、携帯を握る。
気だるいけれど、包まれるように幸せな、雨の土曜日。


Subject: Re:お誕生日
To: 成田
今頃さち馬券?当たったらオムライス?
この間お泊まりした日、成田さんのお誕生日から1ヶ月、
さちのお誕生日から1ヶ月なの。
偶然だけど1ヶ月遅れてお誕生日?やったー♪
言ってることが中学生みたい。
今年のテーマは中学生なの。
中学生みたいにくだらないことを平気で言うのだ。


思いつきで言ったのに、私はわりとこのテーマにご満悦。
そう、中学生のように、無邪気に、純粋に、
そして無責任にこの人を愛したい。
愛されたい。

「大人の不倫をしてください」
そう言って始まった話なのに、
何故に今頃中学生?という矛盾も若干気になるけれど。

その矛盾すら中学生?

じゃあ大人ってなんなんだろう?


成田さんが、錦糸町へ馬券を買いに行ってしまってから
私は支度をして実家へ行った。
お母さんに浴衣の着方を習うため。
お誕生日に買ってもらった金魚柄の浴衣、初めて袖を通す。

少し手伝ってもらいながら、どうにか自分で浴衣を着る。
帯の柄が少しだけ、明るすぎる気もするけれど、
思った通り、赤い金魚が泳ぐ浴衣は、私によく似合ってくれた。

上手に着れた記念に、妹が表で写真を撮ってくれる。
霧雨はもう上がって、うっすら曇ってはいるけれど、
夏らしい日差しが少しだけ射し込んで来る。湿気のおまけつき。
今日はどんどん気温が上がっていくだろう。

「来週、亀を取りに行こう」
妹とそう話す。
「上の空な店長さんは悲しがるかな?」
面白そうに妹は言う。
悲しがるのかな?
大事にするからって、そう約束したら喜んでくれるよね。


買い物をしながら家に戻ってきて、
夕方から夜まで、本を読んだり、DVDを見たり、のんびりと過ごす。
会っていない時もね、幸せに包まれている。
愛されている幸せ。安心感。
こんなわけのわからない物が、長続きするわけもないのだけれど、
なくなった後に何が来るのか想像するのも怖いけれど、
今はその気持ちにひたすら浸る。


成田さんの仕事が終わる頃、今日撮った浴衣の写真を送った。
 

Subject: Re:
To: 成田
浴衣かわいいでしょ?
金魚だょ
金魚の浴衣にするって病院で言ったから、
ちゃんと金魚にしたの。
8月になったら浴衣着てお出掛けしよーっ


8月の予定は無邪気に語れる。
たとえタカキが揃えてくれた浴衣だったとしても、
今は躊躇なく成田さんに見せる。
だってほんのひと夏の間の話だもの。なんだって許されるし許す。
傲慢にならなければ、時間はどんどん経っていくでしょう。

そんなふうに、中場自棄気味に考える自分に若干疑問も持ったり。
納得づくのくせに、どうしてこんなに拘るの?って。


From: 成田
Subject: Re: 
帰宅しました。お疲れ様です。
かわいい浴衣。
かわいいさちが着て、何十倍もかわいいのです。


そしてまた今日も、深夜まで行っては戻り続けるメール。
甘く緩慢に過ぎる時間。

 
Subject: Re:
To: 成田
おやすみなさい。
大好き言うの忘れてるよ?


From: 成田
Subject: Re: 
大好き。
大好き。
大好き。
大好き。
大好き。
大好き。
おやすみなさいさち


Subject: Re:
To: 成田
ありがとう
うれしぃ
おやすみなさい
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第6話

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浅い眠りと、戯れと、軽いお喋りと、囁き
そんなことを繰り返していたら、あっというまに外は明るい気配。
夏の朝は早い。

携帯は、夜中の内に電源を切っていた。

まだ暗い内に、一度家に帰ろう。

飲んでる内に酔っ払って終電をのがし、始発またはタクシーで帰ってきた。
そんなーストーリーでぎりぎりなんとか体裁も整えられる。
でも、筋立てとは裏腹に、ダラダラと時間は過ぎる。

もうどうでもいいや、と。
とにかく会社に間に合えば、それでいいや、と。

7時過ぎにやっと身支度を整え表に出た。

突き刺すような夏の日差しに、思わず目を背ける。
攻撃?日の下には出てくるなと。
でも誰が?

「やっばい。」
手の平で目を覆いながらつぶやく。
「夏だなぁ」
全く気の入ってない声で成田さんは呟いた。

新宿線の駅まで、赤い車で送ってもらう。
新大橋通りに出ると、若干渋滞。
もうすでに粘りが出てきた、夏の朝の空気の中を、
ノロノロと進む車。

沈黙。
でもそれはちっとも気詰まりではなくて。

「唇が痺れてる。」
ふいに呟いた成田さんは、前を見ながら左手で自分の唇を触る。

「痛い?」
「痛くないけど、感覚ない。さち、キスしすぎ。」
「だって好きなんだもん。いや?」
キスが。成田さんが。うーん、成田さんにキスするのが。
そこはわざわざ説明しないけど。

「ううん。さちさん素敵すぎるよ。」
やっぱりこっちは見ないで言う。

ミラーに映った成田さんの目は虚ろで、
まるで夢を見ている人のようだった。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


会社に着いて、携帯の電源を入れた。
そのまま、置く間もなくバイブが響く。
もちろんタカキ。

今までどんな無茶をやろうとも、
朝、連絡もせずに帰らなかったことは一度もない。

逃げ続けているわけにもいかず、
私は大きく息を吐いてから通話ボタンを押した。

「もしもし?」
2,3秒程度の沈黙。

息が詰まる。このまま切ってしまいたくなる。

「何やってんの?お前」
あまり感情のこもっていないタカキの声。
怒ってるふうもなく、慌てているふうもなく。

それが一番怖いことを、私が一番知っている。
嫌だな。帰って来いって言われたら。
今日こんなに無理して会社に来たのは、
カタログの最終校が午前中締め切りだったから。
とにかく帰ってこい、とか言われたら、会社での立場、ヤバくなる。
これだけ無茶ばっかりやらかして、仕事だってろくに手つかずで、
立場がヤバいも何も無いのだけれど。

私はどう答えていいかわからずだまりこむ。
電話の向こうのタカキもしばらくだまった後、
「で、何してたわけ?」
と投げやりな調子で聞いた。

私は、それまで必死に考えていた、
それでもてんで信憑性のない話を、懸命に語る。
会社の同僚や上司と飲んでいて、酔っ払ってしまい、
結局女性上司の家に泊まったこと。
一旦朝家に帰ろうと思ったけれど、時間が無く、
そのまま会社に来てしまったこと。

「理由なんてどうでもいいんだよ」
あいかわらず感情のこもらぬ声で言うタカキ。
「理由なんてなんとでも言えるんだよ。
何してたってどうでもいいけど、まずいよ。家に帰らないのは。」
怒鳴られたわけでもないのに、勝手に一人気まずくなった私は逆ギレ。

「どうだっていいでしょ?私の勝手でしょ?」
そうして、タカキが怒鳴り始める前に電話を切った。

どうだっていい。これが私の夏休み。
誰が喚こうが怒ろうが、知ったこともでない。

なにがなんだか、よくわからない、
判断力の悪くなった頭をどうにかしたくて、ひたすら仕事に集中する。
でも、顔をあわせる人はことごとく
「なんか疲れてるよね。おまけに昨日と同じ服!」
と意味深な笑みを浮かべる。
やっぱり無理しても家に一回帰るべきだった。


Subject: お疲れです
To: 成田
もうボロボロ。なんで昨日と同じ服なの?ってつっこみ入りまくり。
一回帰ればよかった。
バカ?私。もう自己嫌悪で死にそう。
ともかくは仕事を片付けよう。どーしょもないので。
大丈夫?眠いでしょ?
今最悪の状況だけど、昨日は最高にステキな夜でした。


From: 成田
Subject: Re:お疲れ様です 
自己嫌悪で死にそうなのは僕もいっしょです。
眠いけど問屋に行って器具を少し仕入れ、店に入りました。
幸せです。ありがとうさち。


始まってしまった夏休み。
もう戻る道は無い。
一本道。
どこまで?
わかってるくせに。
秋まで。
全部の終わりまで。



☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


結局、仕事は思うようにはかどらず、8時過ぎまで残業した私は、
恐る恐る家のドアを開ける。

灯りで、タカキが戻っていることはわかっている。

怒鳴られる?ぶたれる?

なんにしてもやり過ごすしかない。
どんなに怒られたって、私にはこの家にいるしか行くところはないし、
もう離婚をする理由も無い。

ドアを開けると、リビングの、テレビの前に座っているタカキが見える。
私は声をかけずにそっと家へ上がる。
もちろん、気配で帰ってきたことはわかってるのだろうけれど。
バッグを置き、キッチンへ入り手を洗っていると、
後ろに気配を感じる。立っているタカキ。

少しびっくりして、しばらく動きが止まってしまう。
流れる水の音だけが家の中に響く。

「何か、言うことないの?」

声は穏やかだけれど、明らかにセッパつまった顔のタカキ。

私は、怖気付きながら、若干泣きそうになりながら言う。
「ごめんなさい」
目をふせる。殴られるかと覚悟をした。
でも、別に何もはじまりはしない。

「わかったならいいんだ。もうしないで。」

それだけ言ってタカキは自分の部屋へ入っていった。

とりあえずやり過ごしたという安堵感と、解せない不安感を抱えて、
でも思考は現実逃避のでほとんど停止。
寝るでも起きるでもなく、ベッドの上でゴロゴロする。

何度か顔を合わせたタカキはいつもと変わらず、
「寝不足でしょ?早く寝なさいよ」
と何もなかったかのような顔をして言った。

責めたら私が出て行ってしまうと、そう心配しているのかもしれない。
それとも、もうこんな奴のことは知ったことじゃないと、
全てをあきらめたのかもしれない。

私は私が見えない。

自分のしていることの是も非も見えない。

足元の地面が、突然ずっぽり抜けるように恋をして、
落ちた先は今ここ。
暗く冷たい海に一人浮いてる感じがする。
春のお花畑にいる感じもする。

手探りで探しているのは、「幸せ」では無く、
ただの思い出?それもたった一夏分。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第5話

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夜10時を過ぎて、やっと成田さんからメールが来た。

これからじゃ、今日はちょっとしか会えないな、と思いながらも、
私は、携帯握りしめ。いつメールが来てもいいように待っていた。


From: 成田
Subject: Re:
仕事終わりました。
お疲れ様です。どちらに向かいましょうか?


東大島の駅にいるといったら、すぐに車で来てくれると返信。

成田さんが何をどこまで考えているのか、私にはさっぱりわからなかった。
当然あれだけの約束をしてしまったのだから、何か変わらなくてはいけないし、
でも変わると言っても何がどう変わるのか?
結局なにもかも前と同じで、前と同じに躊躇と懺悔の連続とか。
そんな可能性も今だ捨てきれなかった。

メールを待ち続けて、やっと連絡が来たけれど、
この時間じゃ今日はこのまま、食事でもしてさようならかなぁと
残念なような安心したような気分になった。

なのに、赤い車が目の前に止まって、
ドアを開けて、すぐに見えた成田さんの目は虚ろで、
悲壮感すら漂わせているのにびっくり。

「どうしたの?」
車に乗りながら、思わず私は聞いた。挨拶もそこそこに。

「どうしたも何もないでしょ」
虚ろな目をしたまま、成田さんは言った。優しいけれど表情のない声。

「なんでなんで?そんな顔?」
すぐに車を発車させると思った成田さんは、
そんな微妙な顔をしたまま、私の目をみて、
そのままそっとキスをした。

会ってすぐにそんなことをされたのは全くの初めてで、
私はびっくりしたと同時に軽くショック。

自分が言ったことなんだけどさ、
私とちゃんと不倫しましょうって。

不倫ってなんなんだろう?
大人らしく不倫しましょうって私言ったけれど
大人らしい不倫ってこういうものだったの?

「朝からドキドキして、もう何も手につかなかった」
顔には笑みのかけらもない。笑い話ではなく深刻な話。

ドキドキするって、この人いったいこれから何を・・・?
わかっていながら、予想をしていなかった急展開に戸惑う。
私までドキドキしてきちゃう。
嫌だな、こんなの本当にまるで中学生か高校生。

「どこ行くの?」
車を停車させたままの成田さんに、おそるおそる聞いてみた。
ハンドルに両腕を載せたまま、成田さんは答えなかったから、
私は思わず言った。

「お腹空いたんだけど・・・」
とりあえず、一呼吸欲しかった。

「お腹?」
困ったように繰り返す成田さん。
空いてるに決まってるじゃない。今何時だと?

「お腹空かないの?成田さんは」

「ドキドキして食事なんてできないよ」

またドキドキって。言われるたびに私までドキドキするんだから。
「私は空いてるの」
自分まで動揺していること、悟られたくなくて、ぶっきらぼうに言った。

「何食べる?」
苦笑して成田さんはエンジンをかけた。でも、強張った顔。
骨ばっているこめかみから顎の線が、気のせいかいつもより険しい。

「マックかなんかでいいよ」
「はい。かしこまりました」

夜の町を、走り出す赤い車。


適当に食事をすませ、お互い上の空のまま、どうでもいい話題で会話を続け、
車に戻ったらもう12時近く。

あーあ、これじゃ朝帰りなのかな。
もうどうでもいいけれど。
夏休みより大事なものはないって、私決めたのだから。

もっと戸惑うと思ったのに、わりと自然に成田さんは、
近場の手ごろそうな感じのラブホテルに車を入れた。

それは、それなりに。10代でもなければ20代でもないし。

もう一生こんなふうになるわけもないと思うくらい、
進展なんてしなかったくせに、
「夏休み」が始まった途端、ものすごい速さで今この場所にたどりついた。

今この場所?深夜のラブホテルのフロント。
私がたどりつきたかったのは本当にこんな場所?

会話も無くエレベータに乗り、
会話も無く部屋へ入った。
普通の、お洒落な感じでもなければ、場末感漂う風でもない。
驚くほど狭くもないけれど、決して広くもない。
その程よく普通の感じがなんだかやたらと卑猥で。
セックスなんて誰でもやってるんだから、
普通のことですよとでも言いたげな。
そんな主張はこの世で一番いやらしい気がするんだ。

これがすっごい汚かったり、すっごい豪華だったりしたらね、
ネタ的に嫌がってみせたり、喜んで見せたり、
そんなごまかしも効くんじゃないかとか。

ダメだ。完全に動転している。

とりあえずソファーに座ってみる。
居心地悪い。
やっぱり帰りたい。

でもそんなこと言えるわけもなく。

成田さんは、全然落ち着きなく部屋の中をウロウロしていた。
「お風呂入るでしょ?さち」
バスルームから声をかけてくる。
私は答えないのに、水の音。

こっちに戻って来ても、まだ立ったままの成田さん。
「座れば?うっとおしいよ」
上目遣いでぶっきらぼうに言ってみた。
今この場所では、こういう態度が一番似合う気がして。
無言で成田さんは私の隣に座った。

身構える隙もなく、若干乱暴気味に私を引き寄せた成田さんは、
躊躇の無いキス。

もうなにがなんでもどうでもいいや、と。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


男と女の間なんて、所詮セックスで決まると考える。

神谷君のことはもうセックスだけで好きだった。
うまい下手じゃなくて相性の問題。
私に挿入するために作られた器官、そう感じるくらい。
前戯なんていらないの。ただひたすら挿入。
だからあの頃、車だろうが外だろうが人のいないところなら
どこだってかまわず。

生活感いっぱいの神谷君の家でも平気。
もう常に第一プライオリティは挿入だから。
まさしく猿?犬?つまり動物。
相性が合ってしまった場合、度を越えた快楽は愛情になる。
快楽以外のマイナス要素は平気で無視する。
だからドロドロ。毎日泣いたり、怒ったり、喜んだり、
で、その合間にひたすら挿入。

どこがいいわけ?と人に聞かれたら
まさしく「セックス」としか答えはないんだけど
それはそれ、「優しいところ」とか、適当なこと言って自分もそれを信じる。
だからもう神谷君とは絶対やらない。
太っちゃってただのおじさんで、
態度ばかりが横柄でお金も持ってない小心者。
そう知っていてもやったら全てどうでもよくなりかねないから。

なりかねない?
どうだろう?
どうなるか試してみたい気もするけど。

いくら好きでも、セックスがダメだったら嫌いになっちゃうよね。
よく友達とそう話していた。
じゃあ逆にセックスがよかったらみんな好きになる?

何回もイカされて、そこそこのサイズ、テクで責められて、
まぁ気持ちよかったな、という人が何人もいる。
でも1回か2回しただけでどうでもよくなったり。
そんな人が腐るほどいることに気が付く。

「あんなに乱れて、貪ったくせに、なんでもない顔しやがって」
というようなことをよく言われる。ホントそう。

あー、そんなに悪くなかったな。でも好きにならなかった。
もう1回したいとは思わないで、それっきりだな。とか。
他の人にもこんなことしてるんだなって、
つまらない嫉妬心にかられたりしなかったなとか。

つまるところ、やっぱり愛かも。

だっさい。
でも、現実。好きになった人とのセックスは、
行為自体ではなく時間が気持ちいい。
そうしている全部の時間の密度が高く、甘い。
甘くて、密度の濃い時間の中で行われるセックスは
どんな形であっても気持ちよくないわけがない。

やっぱり愛なんだ。
ださいけど、36歳年女になって初めて気が付く。


好きで好きで、欲しくてしかたなかった人とセックスする感覚。
多分、生まれてから初めてかも。
初めてセックスを知った時から、
全ての愛も恋もセックスから始まっていたから。

ヤバい、ヤバい、溺れてる。
どうせたいしたことないから、やったらすぐにいらなくなるから。
得意気に語る自分。

ヤバい、ヤバい、やんなくても、あんなに好きだったのに
ついにセックスして、
おまけに心その底から幸せ、とか野暮ったいこと考える。
どうしよう。地獄の底まで歯止めがないじゃん。

「さち、きれい」
「今、背中から明かりが当たって、さちさんヤバいくらいキレイ。」
うれしくて、またキスをする。
何度でもキスをする。
何度でも、何度でも。

「愛してる、愛してる、愛してる。」
私の肩を押さえつけ、唇や肩や胸に何度もキスをする。
痛いくらいの力で胸を揉む。
「幸乃、幸乃、好き。大好き。愛してる。」
幸乃って、初めてだぁ
痺れていく頭で思う。ついに呼び捨て。

痛みも、乱暴な呼ばれ方も、全てが心地いい。
世界で一番私に優しい人が行う、粗暴な行為。
痛さと快感の中間で、もうどうしていいかわからず
首をふりながら、小さな声をあげるしかできない。
大きな声を出したら、成田さんの囁きが聞こえなくなるから。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜



うつ伏せになった成田さんは、隣で仰向けに寝ている私の手を握った。
「夏休みって、いつまで?」
ものすごく優しい声だった。

どうしてこんな時に、
こんなやさしい声で、
そんな残酷なことを聞くんだろう

そう思ったら涙が出そうになったけれど、顔には出さず私は答えた。

「子供の夏休みはぁ、8月31日まででしょ?
大人の夏休みはぁ、中山開催の始まるまで」

夏競馬が終わって、中山開催がはじまったら秋。
それは競馬をする人達の間では共通の認識だろう。

「中山開催?オータムハンデの週?」
「そう。オータムハンデの前の金曜日までが大人の夏休み」
私はそう断言した。
多分9月の7日とか8日とか、そのへん。

その夏休み設定については、
成田さんは笑っただけで何も言及しなかった。

そしてひたすらに、
甘く生暖かい時間が流れる。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第4話

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2008年某日


「さち、好きだよ。今日はこのままずっと一緒にいてよ。」
両方の手首を強く掴まれた。痛い・・・
私は何も答えられない。

どうでもいい。
もうここまで言っている目の前の男をうまくあしらう方法、
考えるの面倒くさい。

でも朝帰りして怒られるのはもっと面倒くさい。
どうでもいい。

面倒くさいって言っちゃだめだよ。
あの人が言ったから、
私はその言葉を思い浮かべもしないようにしてたけど

今はただ面倒くさい。

「さち、いいでしょ?俺とつきあってよ。」

苛立つ。私なんでこんなにいらいらしてる?

いらいらしているからこそ、精いっぱい笑顔を作った。

「あなただけのさちより、みんなのさちでいたいの。」

私は笑った。そう、おかしくて仕方ない。

私が唯一あなただけのさちになりたいと思ったあの人は
もう会えないところへ行ってしまった。

あの人は私を最後まで認めてくれなかったけれど
私はあの人にちゃんと伝えたっけ?

あなた以外何もいらない。
あなただけのために生きていきたい。

たとえそう伝えたとしても、あの人はそれでよしとしなかっただろう。
あの人の望む「さちさんはさちさんらしく」から、
それは大きく外れてしまう。

本当に何もかも面倒くさい。

私の目の前はあの日から、霧がかかったように白っぽい。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


From: 成田
Subject: 雨だね
おはようさち
連休あけだね、気をつけて。


そして平日。
成田さんメールで始まる毎日が戻ってきた。

でも、雨。
昨日はつかの間の夏だったのかな?


Subject: Re:雨いやーっ
To: 成田
おはよう。
連休明け+雨。最悪・・・


支度をし、会社に向かいながらも、途切れないメール。
最悪、と言いながら、そんなことはたいして問題でもない。
とりあえず私はそれなりに幸せなのだから。

でも今日は火曜日。

連休明けゆえ、曜日の感覚が無くなっていたのね。
朝から数通目のメール、会社についてしばらくしてから、
他愛ない内容の成田さんの文章に突然気が付く。


From: 成田
Subject: Re: 雨 
火曜日は雨が多いです。
いつもワイパーだから、ワイパーブレード交換が人より多いんだ。
気をつけてね。人の傘などに。


そうだ。火曜日。
私の気分は一気に憂鬱になる。

雨の多い火曜日。どこへ行くんだろう?
別にどこでもいいんだけれど。
私には関係無いし。

そんなわけあるはずもないのに、火曜日すら私のものになるのかも?
とほんの少しは期待した自分を恥じる。

気が抜けて、若干放心したような中途半端な気分のまま、
仕事もろくにせず、なんとはなしにミクシィ眺めて、
でも、まりこがやっているように成田さんの古い日記を
掘り出す勇気なんて無い。

「恋の境界線バトン」
私にくれたのではなく、日記にのっていた方。
客観的な答えにすりかえ、うまく真相を外しているように見えたけれど、
何か本音が巧妙に隠されてはいないのかと、また眺める。
もう何度も何度もそう思って眺めて、何も見つからなかったのだけれど
これを読むたび何故か落ち着かない気持ちが湧き上がる。
不安なのか、期待なのか。

不安?

らから、今日も手持ち無沙汰にマウスを動かす。

ふと、一番目の質問の答えに目が留まる。


●どこに惹かれた?
いつもいつも想っているのが恋、いつもいつも不安なのも恋
どこも魅力的だし、どこも不安だよ
いつもいつも安心なのが愛なのか?


「どこも魅力的だし、どこも不安だよ」
そんな風に前、言われたことがあったような気がした。
そして、「寝ても覚めてもあなたを思っています。」
口癖のように言う成田さん。

「いつもいつも想っているのが恋、いつもいつも不安なのも恋
どこも魅力的だし、どこも不安だよ」

これはまるっきり成田さんから見た私のこと。間違いようもなく。
最初に見た時からそんな気がしていた。だから少し嬉しかった。
だけど、今、気になったのはそのあと。

「いつもいつも安心なのが愛なのか?」

ある仮定が思い浮かび、その後の2つの質問に、
自分の仮想した値を代入する。


●恋だと確信したのはどんなとき?
自分の想いのほうが重いぜ!なんていってるうちは恋
こんなに想われていたのか!と涙を流してからが愛なのか?


「私のほうが絶対好きだよ。」
私が言った。

夜の空気が連動して浮かぶ。多分いつかの夜。

「うーん、どうだろう?」
意味ありげに微笑む成田さん。

「絶対私のほうが、成田さんのこと好きだよ。」

成田さんはそっと私の手を取った。そして

「五分だな。」
と言って笑った。


●好きな人と今一番したいことは?
あそこに行きたい、これを見たい、
アレしたいコレもしたいなんていっているうちは恋
二人で生きていくのが愛なのか?


「ららぽーとのハンバーガー屋さん、今度絶対リベンジしようね?」
「夏になったら浴衣で花火をしようね」
海を見に行きたいね、観覧車のりたいな、一緒に競馬場に行きたいね。
叶うわけもないけれど、色々なことたくさん言った。

「あるひとりの女性とふたりで生きていくと決めたんです。」
成田さんのメールの言い回し。


そして、最後の質問。


●今しているのは愛、恋、どっち?
愛と恋の境界線を行ったり来たり。欲張りだから愛の場面も恋の場面もあったほうが良いの


本音どころじゃない。この人、いったいなんなんだろう?

恋は、私。
愛は、成田さんの彼女。

入れ替えればそのまんま。
こんな簡単な仕掛けに気がつかないなんて、私もヤキがまわっているね。

バカにしてる。

やっぱり成田さんは私が憎いのかなぁ?
2人で考えたバトンにこんな仕掛けをしてね。

成田さんは聖人なんかじゃない。
誠実であろうと、苦しみ、迷い、
でも心のどこかで、誠実では無い自分を楽しんでいる。

実は結構ご満悦だったのね。2人の女性に愛されて。

そんな弱さや狡さまで持っているのに、
聖人の顔をして私を切り捨てようとした。

私達は憎みあっているのかもしれない。
求め合って、憎みあっているのかな?


それから間もなくから、夜遅くまで、
案の定成田さんのメールは途絶えてしまったけれど

私は見ない、考えない。

時間がないから、私には。
もうそんな余分なことに気を取られたり、悩んだりしている暇はないから。

何も感じないと、自分に思い聴かせ、
夜、成田さんが戻ってくるまでの時間を適当に過ごした。

夜、11時を過ぎて、何気ない感じでメールが来る。


From: 成田
Subject: お疲れ様です。
うわー雨でびちょびちょ。寒いし。


Subject: おかえりなさい
To: 成田
お着替してね。
今日は一日雨だった。
夏なんて一生こないかもね


From: 成田
Subject: Re:おかえりなさい
夏はくるよ

「夏はくるよ」

思い込みかな?
その一行はまるで太字に装飾されているかのように、力強く見えた。
だからすぐに返信し、提案した。


Subject: Re:おかえりなさい
To: 成田
明日遊べる?遅くていいんだけど。さち明日忙しくて遅いから。


不安や、焦りとか、色々心にはあったけれど
とりあえず会って話がしたかった。
私達の夏休みコンセンサスをしなくちゃいけないと。

「終わったら連絡します」

そっけない感じの一行。
それでも充分嬉しくなる。

とりあえず、明日は会える。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


会う約束をしてから、実際に顔を見るまでの時間、
その時間が、恋をしてて一番素敵な時だと思う。
一緒にいたら、さよならする時間のことを考える。
さよならした後は、次に会う時が来なかったらどうしよう?
と不安になる。

私なんて悲観的。
それともみんなそんなもの?
全ての時間が幸せに溢れている、そんな恋なんて存在するのかな?

とりあえず、今日会えると決まった日のメールには余裕がある。
朝から、ダラダラとサクヤのカメについて語り続ける。


Subject: Re:
To: 成田
そういえば、サクヤのカメは雄?牝?


From: 成田
Subject:
陸ガメの雌雄、見ておきます。小さいとわかりにくいんだけどね。


Subject: Re:雨
To: 成田
性別、難しいんだぁ
ちなみに亀ってツガイで飼うと増える?
あれ?亀って交尾するっけ?


From: 成田
Subject: Re:雨
亀は交尾します。殖えることもあるよ。
メスの甲羅の後ろのほうは、
オスがのしかかりやすいように平たくなっております。
オスの甲羅はまあるいよ。


お店の開店時間で、しばらくの間途切れた後に、
カメの画像付きメール。


From: 成田
Subject: Re:
オスかと思います。
朝風呂に入れてあげました。

一昨日見たサクヤのカメ。洗面器の中を気持ちよさそうに浮いている。


Subject: Re:
To: 成田
サクヤに亀さん写真転送してあげました。
オスなの?
どしてわかったの?甲羅丸い?


From: 成田
Subject: Re:
尾を伸ばしたときに背中の甲羅よりも外側に排泄孔があるのがオスです。
成長するとオスのほうが尾が長く太いんだけど、
まだ小さいからわかりにくいのです。
オスなら成長するとメスに乗るために腹甲が窪んでくるよ。
カメ、かわいいでしょ?さちも飼ったら?


Subject: Re:
To: 成田
そうなんだぁ
まだ子供なんだね。
さちは猫飼いたいんだよね。


From: 成田
Subject: Re: 
猫は夏休みが終わったら

 
Subject: Re:
To: 成田
夏休みが終わったら猫?
意味わかんない。


From: 成田
Subject: Re: 
勇気を出してさちとふたりの夏休み、
さちと向き合うって決めたんだから、
猫なんて可愛がらないで俺のことも見てよね


もしかして、この人は何も変わらないかもと、
若干あきらめの気持ちもあった。
というよりも、これだけ言って、それでも変わらず、
今までと同じように中途半端な毎日をダラダラと続けていきたい
そんな気持ちも確かにあった。

とりとめのない会話、
カメについて語り合うだけのメール、
それはそれで悪くなかったし。

でも、しっかりと成田さんは変わっている。

この人の中でも、夏休みはとっくに始まっているんだ。


Subject: Re:
To: 成田
はい。
猫なんて飼わないよ。
言ってみただけだもん。
猫とか犬とか構ってる余裕ないょ。
もちろん他の人間もネ。さちだって必死なんだよ。


そうね、必死だったね。

私は必死で毎日を生きた。たとえその必死さが、
人から見て道を外れた種類のものだったとしても

必死で考え、必死で彼を見て、必死で生きた。

一瞬でも逃がさないと。

それこそ、全てが終われば私の命すら終わってもいいとも考えた。

笑っちゃうけれど。
ちゃんちゃらおかしいけれど。

私はただ、あの人だけのさちになりたかった。
 
 
 
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☆第4章 最後の夏休み☆  第3話

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Subject: Re:禁馬券?
To: 成田
おはよう
眠い、頭痛いぃ
競馬全部中止になるかもって思った…
馬券は内緒で買うのょ。
今日は眠いしお天気悪いからお休み。


普通にメールしてきて、って言ったんだから、私も普通に返す。
そう、こんな感じがよかった。
改めて何か言われたり宣言されたりするのは嫌だったから。

もちろんそんな簡単に起きられるわけもなく、ベッドの上で昼過ぎまで。

短いスパンの眠りと、寝起きのぐたぐた繰り返し。
夢と現実がグラデーションのように、境目がぼやけていた。
成田さんのメールは夢の中の着信だったかな?
携帯の受信メールフォルダを見れば、何も入ってないのかな?


いい加減起きなきゃと、まだ全くはっきりしない頭を無理やり上げ、
体の中に残るアルコールを抱え込んだまま、
キッチンへふらふらと歩いていった。
とりあえず水をコップ2杯、続けて飲んだ後に、
冷蔵庫から出したアイスコーヒーをグラス入れて、
リビングのソファーに座り携帯を開く。


Subject: Re:ナイショの夏競馬
To: 成田
やっと復活したぁ
もう無茶飲みしません。
そうだね、期待だね。ラヴァゲイン。
おまけにさちが買ってないから来る可能性高い!
3連単マルチ買わなかったこと後悔するよ。
ありがとう。


ありがとう。ちゃんと決心してくれてありがとう。
それだけ、伝えたかった。
でも、実のところ、ただ嬉しいと喜んでいない心の一部もある。
だって、私は言ったんだ。

きちんと大人らしく浮気をしてくださいと。
割り切ってくださいと。
決まった答えを目指し、余りを出さないで、と。

結局のところ、私をただの「女」として遊んでください、と。

だから、ただ「ありがとう」しか言えない。

夏の間だけ、あの人を自分のものにするために、
私はどれだけのものを無くすだろう?


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


アイビスサマーダッシュ。

直線を一番に駆け抜けたのは、13番人気の5歳牝馬サンアディユ。
ダート路線から、芝への初挑戦。
後にスプリント界の主役となるこの馬の素質は、見事にこの日開花した。
その主役もほんのわずかの間だけだったのだけれど。

アイルラヴァゲインとサチノスイーティーは、仲良く並んで4着5着。
なんとも中途半端で皮肉な結果。


Subject: 掲示板
To: 成田
お疲れ様です。
台風行ったのかなー
ずっとお家でゴロゴロしてたよ。久しぶりかも。
ラヴァゲインとスイーティーは仲良く掲示板
あの1着馬は買えません


From: 成田
Subject: Re:掲示板
そうなんだ。残念。
たまには体を休めて、さち。


Subject: Re:掲示板
To: 成田
ありえないくらい寝たょ!
私、こんだけ寝たの多分手術した時以来。
使い詰めがいいタイプだから休んだ後が怖い…
スイーティーは中山専用で1000より1200。いつか大きいとこ獲るよ。


中山専用で1200。
いつか大きいところは、つまりスプリンターズステークス。
一度はそう打って、でも消した。

9月終わりのスプリンターズステークス。
どう見積もっても、夏休みはそんな時まで続かない。

私達の夏休み以降の話はしたくない。
それ以降、先の未来は、またそれはそれ。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


結局一日家から出ず、ゴロゴロして過ごした。
タカキとは、以前と変わらず普通に接している。
ひどい話だけれど、今となっては無理に離婚をする必要性も無い。

全てを捨てても、あの人は私をいらないと言うのだから。

寝たり起きたりを繰り返す。
こんなにたくさん寝たのは本当に久しぶりだった。

いつも何かを追い、何かに脅え、何かを待っていた。
そんなまわりくどい言い方をしなくてもいいね。
私はいつも成田さんを追い、脅え、待っていた。

ゆっくり眠る余裕なんてまるでなかった。
どうしようもなく追いつめられた時、
睡眠導入剤を飲み下し、逃げるように眠る。
そんな時だけ。


緩みきった一日を過ごし、
夜になったら仕事が終わった成田さんと、途切れずにメールを送り合う。

不意な一言に傷つけられる心配の無い、安心しきった時間。
その時間の存在だけで、私は落ち付き、生ぬるい幸せの中につかる。

遅い時間になって、ようやく成田さんが、
ちょっと改まったようなメールを送ってきた。


From: 成田
Subject: Re:
さちにはかないません。
さちの文才にもかないません。
さちの賢さや、かわいらしさにもまいってしまいます。
僕はあたまが悪すぎていつも先に意見を言われてしまいます。
きちんとさちと向き合えるように見ててください。


Subject: Re:
To: 成田
成田さんはいつも私を片目で見る。ちゃんと見たら罪になるって思ってる。
それがずっと悲しかったの。両目で真正面から見て欲しいの。
弱くてもずるくても、そんなことに私は関心ないし、
かっこつけたりもつまんない。
思ったまま、なんでも言って欲しいの。
もう余分な遠回りしてる暇ないよ。


そう、暇はない。

私を両目で見てくれるのかな?
戸惑わずに私を抱きしめてくれるのかな?

「さちさんのことは、片目で見ることにしよう。それが丁度いい。」

5月。入院する前、初めて2人でドライブに行った日。
玉子焼きサンドを持って。
困ったように成田さんは言ったね。

「両目で見てると、頭おかしくなってくる。魅力的すぎて。」

あの日から、あの人は私を、一度も両目で見ていない。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


7月16日
海の日
3連休の最後の日


From: 成田
Subject: おはよう
さち、おはよう。
いい天気だよ。


朝、成田さんのメールで目を覚ます。
あたりまえのように。
毎朝、窓から見える空の色を確認していた、あの日々を思い出す。
戻ってきたんだ。あの幸せに包まれた毎日。


Subject: Re:おはよう
To: 成田
台風過ぎたら夏だね
夏大好き。日がジリジリするの最高。


From: 成田
Subject: こんな
晴れてるよ。
さち気をつけて出かけてね

空の写真。
久しぶりのとりとめない添付画像。
入院していた頃の、あの透き通った時間を思い出す。


青い空。夏の空。
待ちに待った夏がやっとやって来たんだ。


10時頃、結構大きな地震があった。
1階の家もかなりの揺れでびっくり。

すぐに成田さんは
「大丈夫?さち」ってメールをくれた。

ニュース速報が流れ、新潟で震度6強の揺れ。

台風に、地震。

浮かれながらも、背中合わせの恐怖心と後悔に襲われる、
まるで私の心を象徴したかのように、めちゃくちゃな3連休。


開店準備が一段落したらしい、成田さんが書いた日記に陸ガメの写真。
陸ガメの好きな餌の話や、人見知りする話。
すっかり忘れていた、サクヤのカメのことを思い出す。
そうか、このカメはサクヤのカメ?


From: 成田
Subject: 日記の写真 
あずかっている陸ガメだよ
今日はほうれんそう持ってきた。


すぐにメールをくれた。
今までずっと面倒を見てくれていたんだ。

もし、これで、先週全部が終わったままになっていたら、
成田さんはカメをどうしたのかな?
普通に誰かに売ったのだろうけれど、そんな悲しい想像はしたくない。

外は晴天。

サクヤを連れて遊びに来るかも、と言っていた妹へ電話をかける。
カメを見に行こうと。

我ながら素敵な思いつきに、若干浮かれる。
妹は電話口で「カメさん見に行こうかぁ?」とサクヤに聞いていた。

裾を切ったジーンズに、ホルターネックのキャミを着て、
すっかり真夏の装い。
刺すような日の光に目を細めながら、自転車を出す。
今週は馬券を買いに行かなかったから、久しぶりに自転車に乗る感じ。

京葉道路で妹と待ち合わせていた。
ほんの1キロ程走っただけで汗ばむくらいの陽気に、
帽子を被ってこなかったことを後悔する。
皮膚がチリチリとする感覚。
日に焼けちゃうよね、これじゃあ。

チャイルドシートに、ヘルメットを被ったサクヤを載せて、妹が走ってきた。
合流して、京葉道路から高速道路に方に戻っていく。

こんなに近くにいるのに、成田さんのお店へ行くのは初めてだった。
もちろん、前を通ったり、覗き込んでみたりは何度もあったけれどね。

迷ったけれど、特に連絡もしないで行くことにした。
びっくりするかな?どんな顔をするかな?
そんな想像に楽しくなる。

程なくして、成田さんのお店の前、自転車を2台並べて止めた。
ガラス張りの店内を覗けば、
レジカウンターのところに立っている成田さん、発見。
青いエプロンをして、何か書類を見ていた。

夏休みが始まって、初めて見た。実物。
胸がちょっと熱くなる。

これからしばらくは、紛うことなき私の物。
誰かと共用だったとしても。

そんなに広くはない店内に、ぎっしり並んだ水槽と、少し生臭い水の匂い。
一面青暗い世界。

「こんにちはぁ」

カウンター越し、声をかけてみた。
顔を上げて、私を見た成田さんはしばらく表情が無くなる。
目の前にいるものを認識できない感じ?
「カメをね、見に来たの」
予想外の驚きっぷりに、多少気まずくなり、取り繕うように私は言った。

「あぁ・・・」
やっと、成田さんはそう口にして、私の後ろにいる妹とサクヤを見る。

「甥っ子がカメを見たいって・・・」
強張ってはいるけれど、やっと笑顔らしきものを浮かべた成田さんは、
サクヤと妹に挨拶をする。

そして、「ここにいるんですよ」と、レジカウンターの下から、
水槽のような透明な箱を引っ張り出した。

小さな、手の平に乗るくらいのカメ。モゾモゾと動いている。

「ここでずっと飼ってたの?」
私は少し驚いて聞く。

「うん。だって、陳列水槽に置いたら買われちゃうでしょ?
こんなにかわいいんだから」
ねぇ?とサクヤの方を見て言う。

「ここで、餌やったり、話しかけたりしてるんですよ」
冗談とも本気ともつかない口調で言いながら、
そっとカメを持ち上げると、
水槽のまわりにしゃがみこんだ私達の方へ差し出す。

「手に、載せてみて」
差し出した妹の手の平へ載せられた陸ガメは、
突然持ち上げられたのが嫌なのか、知らない人が怖いのか、結構激しく暴れた。
激しくといってもカメの動きなんてたかがしれているのだけれどね。

「小さいんだー!想像よりずっと小さいです!」
自分にも・・・というように手を差し出してきたサクヤに、
手の平のカメを差し出して触らせる妹を
成田さんは目を細めて見ていた。

子供が大好きだって、何度も言っていた。
お客さんが連れてくる子供と遊んだとか、よく嬉しそうに話してくれる。

それから、妹が餌やその他の世話について質問をしたり、
サクヤのために、ノベルティの魚のぬいぐるみやシールを
あれこれ持ってきてくれたり、
しばらくそんなことをしてから、
私は来週か再来週にはカメを引き取りに来ることを告げる。
妹は間もなく引越しをすることが決まっていたから。

「それまでに、水槽とか用意して置きますね」

笑っていたけれど、そう言う成田さんは少しだけ寂しそうに見えた。

店を出て、私の家へ向かって自転車をダラダラ走らせた。

「あの店長さん、なんであんなに上の空なの?」
妹が言う。

もちろん、成田さんのことはただの知り合いと説明しただけで、
それ以上のことは何も言っていない。

それ以上たいして語ることがあるわけでもないのだけれど。

「さぁ、どうしてだろう?」
私は適当に流す。

「なんかぁー、オタクって感じだよね。魚しか興味ありませんって。
カメ引き取るって言ったら寂しそうだったね」
確かに、寂しそうだった。私は苦笑い。

「寂しいんじゃない?2ヶ月近く、あそこで毎日一緒だったんだからねー」

「あのカメ、店長さんにあげようか?家のカメは別のでもいいよ」

言って、妹は笑った。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


Subject: お騒がせ
To: 成田
ご迷惑おかけしました。落ち着きのない子で…
でも喜んでます。自転車乗りながら
「カメさん、いたーっ」と騒いでた。
ありがとう♪


From: 成田
Subject: Reやっぱりさちはきれいです
あれからお店は盛況です。
突然のさちにびっくりしました。
いい名前、考えてください。


それから妹達は家へ来て、
サクヤは、私とタカキがヒヤヒヤするような大暴れっぷり。
困った末に、タカキがPCで何かのアニメサイトを見せると、
しばらく嬉しそうに見入っていった。

私達夫婦と妹と甥っ子。

よくある休日の風景以外何物でもなかった。
こういう時間を幸せに感じ、穏やかに生きていくことがマットウなのかな?

いずれ私達にもサクヤのような子供が出来て、
こんなふうな休日が延々続いていくのが正解?

エアコンの効いた、居心地いいリビングで、
なんとなくそんなつまらない想像に耽ってみたり。


夜になって、ミクシィ日記を書いた。
ここのところの、狂ったような、ヤケクソのような、
遊び歩き日記を卒業して、わりとマトモな休日系。


「3連休が終わります。
台風とか地震とか、ぶっこわれたり、寝まくったり。
なにがなんだかよくわかりませんでした。

まぁともかくは、こっから夏ということで。 」


そう、こっからね。
 
 
 

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☆第4章 最後の夏休み☆  第2話

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7月14日。3連休の初日。

台風4号が近づいていた。
朝から雨。たまに強い降りになる。

小倉競馬は早々に中止が決定。16日に代替えをするらしい。
もちろん競馬をやめた私になんの関係もない。

夕方から飲み会の予定が入っていたけれど、
昼間は特に予定も無いからごろごろ。

急にメールが減った休日は、なんだか手持ち無沙汰で、
あまり余計なことは考えず、眠気にまかさせるままウトウトしたり。

今日、5日ぶりに成田さんの日記が上がった。
今まで通りの競馬日記。
安心したけれど、少しだけ悲しかった。
まるであの人が何もかもふっきってしまったようで。

昨日の話の結果は、全く期待していなかった。
今まで何度あんなやり取りを繰り返したか、さすがに私も学習をする。
また一人になれば、あの人はなにも決心が出来ない。

悲しいけれどそれが現実。

去年の夏に知り合った私達。
夏競馬、楽しいねって、毎週一緒に競馬をした。
会ったことはなくっても。

夏が一番好きだといったあの人の、夏の顔を見てみたかった。

梅雨が明けた、攻撃的な日差しの中、私の姿を見せてあげたかった。

函館記念も、小倉記念も、関屋記念も、
一緒に予想をして一緒に外れて悔しがりたかった。
出来れば当たって喜びたかった。

花火をして、浴衣も着てみせてあげて、夏の夜の町を車で走ったり。

何にも囚われないで、何にも拘らないで、
ただあの人だけを思って過ごせたら、
それが一夏だけだとしても構いはしない。

そんな気がした。
でも本当に?

今日は6時から中学同級生飲み。
時計を見ればもうすぐ4時で、
一日グタグタと弛緩させていた脳を覚ますため、お風呂に入った。

湯船の中で取り留めも無く考え続ける。

私は知っていた。あの人が罪の意識を消せるたった一つの方法。

時間を区切ること。

一番何も恐れることなく、幸せの中に浸っていられた入院生活。
成田さんの心に迷いは無かった。
だから私は同じ明日が来ることを確信して、幸福感の中を漂っていられた。

あれは、限りのある日々だったから。

時間に限りをつけてあげればあの人はきっと、
その間だけ罪を忘れ、迷いを捨てる。

これは確信。

この私の推理、という程もいかない分かり易い事柄に、
「一緒に夏を過ごしたい」という思いを足して、
答えは一つだけ導きだされた。

最後の夏休み。

あまりに完璧なストーリー。成田さん好みのセンチメンタリズム。
確実にあの人は迷いから放たれる。

でも、いいの?さち。
自分に問いかける。
そんなことを受け入れて耐えられるの?

耐えられるのかダメなのかは、やってみなくてはわからない。

お風呂から上がった私は、髪を拭くのももどかしく、
寝室でパソコンを開きメッセージを打った。

迷わぬうちに、躊躇なんかしないうちに。


宛 先 : 炎の男
日 付 : 2007年07月14日 17時47分   
件 名 : 夏休み
最終回といいつつ、
終わらない二人ミクシィw

夏が終わるまで、成田さんがいてくれないと嫌です。
夏の間、さちと浮気しましょう♪
夏競馬したり(みんなに内緒)、花火したり、
メールいっぱいしたり、色々したい。

でも夏の間だけ。

秋になったら成田さんはやることがあるでしょ? 
夏を越したら、私達大人にならなきゃいけない。
一緒に最後の夏休み、しようよ。

躊躇しながら私を見るのはもうやめて。
多分、成田さんが思ってる以上に、
私色んなこと知ってるから。
もう、弱いところもずるいところもみんなわかっちゃってる。
わかった上で、大好きだよ。

だから、迷いながら接しないで。
私がちゃんとうまくやってあげるから、
きちんとさちと向かいあって。
このまま終わりなんてできない。絶対できない。

あとは成田さんが決めることです。
よく考えてください。
普通に、何もなかったようにメールください。
でもまた後で迷うんだったらやめて。

一生に一度だけ、スペシャルな夏休み。
お願いです。さちにください。



あの人は、魚や花を愛でるように私を愛した。
水槽越しであれば、誰よりも優しかった。
水の中に入ってきてくれる時もあったけれど、
溺れた人の目でしか私を見てくれなかった。
ちゃんと私を見てくれるために、私は水から出なくちゃいけない。

だから、私は自分の大切な物を無くす覚悟で、
水から出ることを決めた。

何もいりません。だから、私を水槽から出してください。

随分トウのたった人魚姫ですが。

王子様が私を選んでくれなかった時には、私は泡となって消えるのです。

夏が終わった後の私の人生全部泡になってもいい。
あの人が欲しいのです。
一夏でいいから、あの人を私の物にしたい。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


今日の趣旨は、
ホテルメトロポリタンのディナーブッフェ+底無しに飲むぞ的な感じで。

台風が近づき、土砂降りが降る中開催。まったく楽しい仲間達。

仕事で2次会から参加予定のまりこから、
「私はさちに会うために行くんだから、絶対帰っちゃだめだよ!」
と何度も念を押された。
この間の暴露会見から、直後の崩壊にいたって、
まりこの好奇心をいたく刺激してしまったらしく
離婚相談はそっちのけで、夜になれば成田さんのミクシィ、
古い日記まで掘り返すわ、マイミク踏みまくるわ、
たいした暴れっぷりを続けている。

ディナーブッフェは北海道フェア。
さけのちゃんちゃん焼きとか、ズワイガニとか、
微妙に北海道な感じのメニューが並ぶだけだけど。
飲んだくれてるだけだから、
料理がどうこうとか実はそんなに重要ではなく、集まる口実に過ぎず。

しょっちゅう飲んでる、もうほとんど飲み仲間のような顔ぶれと、
久しぶりに会う人が数名。

同級生飲みはいつも気楽で楽しい。
今日もどうでもいい話や懐かしい話をしては、笑ったり驚いたり。

はしゃいでいる間はあまり重いことを考えなくていいから楽だ。
こうやって毎日飲んで、騒いで、全て忘れ、
元の生活に戻れたらどんなにいいか。

8時過ぎに、2軒目のいつもの飲み屋へ移動した頃、まりこが来た。
すでに空気まで、高アルコール濃度を保っていそうな場で、
一刻も早く追いつかなくてはと言わんばかりに、ワインを呷る。

結局12時頃には潰れていない人は一人もいない、みたいな壮絶な状況の中、

「タクシー拾うよ!」と
横柄に言うまりこに引き摺られ、どしゃぶりと強風の中を行く。

台風は、悪くないね。
中途半端な雨や風は嫌だけれど、台風は圧倒的な力で進んでいくから、
どうにもできない感がたまらなく心地いい。
なすがままになるしかないのは意外とさっぱりする。

だから今晩も、雨に濡れることなど厭わず、
むしろずぶ濡れの自分達が面白くて仕方なくて、
タクシーの中、たいした理由も無く、お腹が痛くなるまで笑い続けた。

亀戸へ行き、駅近くの山小屋風な内装のバーに落ち着く。

静かな店なんだけどね、もう私もまりこもできあがっちゃってるから、
「やっぱり女子は苺いっとくー?」
とか、どうでもいいことにはしゃぎながら、
ストロベリーマルガリータなどオーダーしてみる。

「結婚するのかな?」
もうすでに、呂律が怪しい口調でまりこが言い始める。
この間、まりこに教えてた。あの人は多分結婚が決まっていること。
「うーん、わかんないけど。多分そうなんだと思う」

ストロベリーマルガリータ、甘い。
苺ってどうしてこんなに魅惑的な味がするんだろう?

「あの女さぁ、なんなの?地味な感じ!」
成田さんの彼女のことを、
まりこ的にはなぜかひどく気に入らないらしい。
地味な感じって言うけれど、
成田さん自体が地味な系統に入る人なのだから、
それはそれで文句を言う筋合いも無いと思うのだけれど・・・

「なんかさぁ、地味で静かに生きてる日陰系?そのくせ奴の日記とか、
さりげなく彼女です感アピっちゃってさ、タチ悪くない?」
「アピっちゃってるの?」
「この間の秋のイベント云々って話もそうだけどさぁ、
あの女結構アピってるよ。“昨日はありがとう”とか、
さも個人的に会ってますよ、感匂わせてさぁ」

私はあまり深く日記を探ったりはしていない。
知りたくないことには目を瞑りたい、悪い癖なのか、良い習慣なのか・・・

顔も知らない花魚。
人格の欠片のようなコメントや、短いプロフィールから、
まりこは延々分析を続ける。

何を言っても最後は、「社会の隅で生きてる日陰女!」という
偏った結論に行き着くのだけれど。

その間に、ジントニックのお代わりが延々続く。
私は、マルガリータから始まって、イチゴミルク、イチゴフィズ、と
何故かイチゴ尽くしでちゃんぽん祭り。

泥のようになった思考回路が心地いい。

もうほとんど会話になっていなかったのだけれど、まりこは話し続ける。

「あいつ、別れたとか言って、またさちんとこ戻ってくるでしょ?」
「うん。戻ってくるね」
確信。

私が提案した、夏休みの話はまりこには言わない。

そんなことを言えば、私の都合のいい女ぷりに
激怒するのが目に見えているから。

結婚する前に、遊んでください、と。
その時が来たら、後腐れなく、きれいに身を引きますから、と。

そんなことを自ら言い出す女など、そうそういるものでもないだろう。

「ばかだねー、あいつ。ホントにばか。
大人しく金魚売って、静かに生きてればよかったのにねー」
テーブルにつっぷしそうになりながらまりこは言う。

だから金魚屋じゃないと何度言えば・・・

時計を見れば、もう2時をまわっていた。
外から伝わる雨と風の気配は、さっきまでよりさらに勢いを増し、
山小屋風のバーの店内に、
これほど似つかわしいBGMはないという感じも。

そろそろ帰るか、とドアを開ければ、案の定、外は別世界。

深夜の街に吹き荒れる風と、斜めに襲ってくる雨。
完全に大ヨッパな私達2人は、人通りの途絶えた道を、
キャーキャーと絶叫をあげながら、水溜りを避けて歩く。
でもほとんど道全部水溜りだから、
結局ザバザバと池の中を歩くようなもの。

京葉に出て、タクシーを拾った私はまりこと別れた。
タクシーが家の裏まで到着し、そこまではなんとか頑張ったけれど、
家の玄関を開けたらもう動けなかった。

「ここで寝るからいい・・・」
と、横になる私を、呆れた顔のタカキが、
寝室まで引き摺っていったのは覚えている。

記憶はそこまで。明日の朝の約束のことなどもう頭にはなかった。


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


☆アイビスサマーダッシュ


ふと気が付いたら、枕元の携帯が光っていた。着信メールあり。
今何時だろう?と、壁の時計に目をやると、9時半。
それでやっと、重い頭と乾いた喉の訳を思い出す。
携帯電話の着信ランプの訳も思い出す。

来たかぁ。

何の感慨もなく、携帯を取り、メールを確認する。

From: 成田
Subject: 禁馬券?
サチノスイーティー、アイルラヴァゲイン。あるいは
アイルラヴァゲイン、サチノスイーティー。馬単うらおもて。
天気は大荒れ。
嵐の予感?


スイーティ-ラヴァゲイン。
なんとも感傷的で青臭い語呂合わせ。
仰向けで携帯画面を見ながら、私は苦笑する。


窓の外からは、相変わらず豪快な雨の音と風の音。

嵐の予感?

きっと一生忘れられない夏が今、始まった。

 

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☆第4章 最後の夏休み☆  第1話

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あなたに出会えてよかった。

これ、大嫌い。
少女時代はどうしていつも、
あんなに全ての恋を無駄にしないと躍起になっていたのだろう。

あなたに出会えてよかった。だから私はこれからも強く生きていく。
そんな風にしか、無くした恋から立ち直る術はなかった。

出会いたくなかったと、唇を食い破るくらい悔しがる夜、
そんなものに真正面から向き合う勇気はまだなかったんだろうね。

あの人なんかこの世から消えてほしい。
出会いたくなかった。大嫌い。

私は、重くて尖った十字架を背負い生きていく。
重くても、つらくても、生きてやる。


。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・

 
長いメールを送ったら、生理が来た。

半年振り。

出来すぎて笑っちゃう。
まるで、これが全ての終わりだと、私の体までが宣告している。
全てはホルモンバランスの異常が見せた妄想的物語だと?

終わりだと、宣告されるまでもなく、心もわかっている。

強迫観念に駆られたように、動き続けた。
遊びの予定、デートの予定、入れまくる。
仕事をしまくり、ミクシィ日記を書きまくり、
楽しく生きてる私を必死で作る。


月曜日

「遅れたけど誕生日プレゼント」
そう言って、神谷君がダーツをくれた。
「シャフトもフライトもみんなピンクのさち仕様だぜ」
得意気にやってきた神谷君と、初めてダーツバーに行ってみた。
もちろん初心者だし、ヘタクソだけどダーツは想像以上に楽しい。
半ヨッパで、ダラダラ投げると、
毎日こんなことをして遊んでいたような気がしてくる。

家であの人のメールだけを待ち続けた毎日が遠くなる。

まりこには、「別れたよ」とメールを送った。
「私が色々言ったから?」と柄にもなく言っていたけれど、
そんなことは関係ないと笑ってやった。
ふと思いついて、
「あの人の本カノ、マイミクにいるんだよ。」と教えてあげた。
まりこはすぐに見つけてきた。それくらい怪しい感じの存在。
「本カノと浮気相手、マイミクに入れていい身分だね」
と憤慨。

私はどうでもいい。
そんなことで喜ぶ人だったらまだタチがよかったね。


火曜日

「お友達からマイダーツプレゼントしてもらいました♪」
嬉しそうな日記を書いた。
一昨日までのことはなんのこと?と言わんばかりのハイテンション。

成田さんの足跡は付いた。
でも彼は日記を書かない。今まで1日以上あけたことはないのに。

会社が終わって、随分前にコンパで知り合った男の子と食事に行った。

何度も誘われていたけれど、別に興味も無く、適当にあしらっていた。
たまたま昨日もメールが来て、「いいよ」って即答した。
小洒落た焼肉屋さんを予約していてくれて、心づくしの接待モード。

でもつまんない。

だいぶ年下だったせいもあるけれど、
最高にかみ合わない会話、鈍重に流れる時間。
こんな程度の相手でも、笑ってそれなりに過ごせた
過去の自分が別人みたい。

お金、いっぱい使わせて、気もたくさん使わせたのはよくわかったから、
「カラオケ行こう」って誘われて、おざなりにボックスでキスしておいた。

次は無いから。今日もそれ以上ないから。生理だし。
「またね」って、逃げるようにタクシー乗って帰った。

最悪。


水曜日

「お友達に焼肉ご馳走になりました」

また、楽しくて仕方ないような日記を書いた。

成田さんの足跡がつく。でもやっぱり日記は書かない。
ミクシィ始めて以来の、非更新記録達成。

夜は会社の同僚とダーツバーに行った。
酔っ払って、投げて、騒ぐ。

とりあえず小難しいことは考えたくない。
頭がすっきりとか、されたら困る。

千鳥足まで行かないけれど、
若干フラつく足で駅まで急いでいるとまりこから電話があった。

「あいつの彼女さぁー、日曜日に奴の日記、コメントつけてるの知ってた?」

日曜日の日記?七夕賞の予想日記?
「なんか気持ち悪いコメントでさぁ」
とりあえず帰って見るから、と家に急いだ。

家でお酒を飲むことはないのだけれど、
帰宅途中で覚めてしまった酔いがいまいましくて、
冷蔵庫からタカキの缶チューハイを出して飲んだ。

PCを起こしてミクシィログイン。成田さんの日曜日、競馬日記へ。

七夕賞の競馬日記。1回ちゃんと見ている。

「夏競馬本番ですね」というような話題から始まり、簡単な予想。

そう、夏競馬

成田さんに初めてメッセージをもらったのは、去年、函館記念の週。
「夏競馬大好きです」って話をしたことを思い出す。
あれから1年。

何もないところから始まって、また何もない。

コメントを上から辿っていく。
日曜日の夜になって、登場する花魚。


花魚                     2007年7月8日 20:10
今日は外れてしまったのでしょうか?
競馬はやっぱりよくわからないので、
当ったのか外れたのかもわからずです。


炎の男                    2007年7月8日 20:25
花魚様
今日はかすりもしませんでした。
また来週から、心機一転で頑張ります。


花魚                     2007年7月8日 20:25
そうですか。残念でした。
私はイベントの準備をしていました。
秋のイベントね\(^O^)/


炎の男                    2007年7月8日 20:25
花魚様
秋のイベントね\(^O^)/
準備頑張って下さい。



無理に親しさを隠したような、丁重な言葉使いの影から、
それでも「特別な自分」をアピールしたくてしかたない、
そんな思いが手に取るようにわかる。

でもそんなことよりも、もっと重要なこと

「秋のイベント」

私はPCの画面を見つめたまま固まる。

この時、これだけの文面から、
私が一瞬で全てを確信したのはどうしてなのだろう?

この人達は秋に結婚する。秋のイベントは結婚。

自分が去年結婚関連イベントをこなしたばかりだったからこそ
わかったのかもしれない。
結婚準備期間中独特の女性の華やぎ、浮かれ方、
そういうものがこれだけのコメントから放出されていたんだ。

まず間違いがない。

私にあんなに夢中になって、私がいないと生きていけないといいながら、
しっかり表で進めていた結婚準備。
それじゃあ、浮気なんてできないわけよね。
寝ても覚めても大好きなさちを、自分のものにしようなんて、
もう手遅れなわけだ。

張りぼての景色の向こう側、突然広がる、生活感に溢れた日常の風景。

つまんない。しょせんこの程度の奴であるわけだ。

私はPCを消した。


木曜日

私は、今日も日記を書いた。
昨日も遊びにいったこと、そして唐突に競馬はやめますと宣言。

競馬なんてやりたくない。WINSに行けばあの人を思い出す、
馬の名前を見れば、あの人の顔がちらつく。
競馬新聞も、日曜日の競馬中継も、みんなみんな大嫌い。

会社が終わって、神谷君とドライブをした。
夜のドライブ。
夏の夜は大好きだ。なにもかも普段よりキラキラして見える。

「別れたよ」
そう言ったら、神谷君は「それはよかった」とご満悦の様子。
私と付き合う気はないくせに、私が誰かのものになることは嫌なのね。

夜、成田さんの足跡が付く。
足跡帳に名前が追加されるだけのことなのに、
なにかを恐れながら踏まずにいられない様子が手によるようにわかる。

日記は書かない。

マイミクを切ってしまおうかと思った。
そうすれば、恐れるものがなくなって、
また成田さんは前のように日記を書いてくれるだろう。

「ずっと僕のそばにいてください」

でも言った、あの人は。

その言葉すら嘘であったとは知りたくない。


金曜日

メールを送った。

Subject: おはようございます
To: 成田
風邪ひいてないですか?
音沙汰がないので、成田さんの心境はわからないけれど、
私は意外に心穏やか。怒ってない。泣いてもいない。
折り合いつけるため相当ムチャしてるけどね。それはそれ。
想像していたよりも平気な感じなので、
当初の成田さんの意向通り、「ただの友達」は続けられると思う。
よかったね。
なのでちゃんと日記とか書いてください。
金曜日だね。気を付けて。


金魚の金曜日だね、と書くにはあまりに距離が元通り過ぎて躊躇した。

返事はすぐに来た。
私からメールが来るのを待っていたのかもしれない。


From: 成田
Subject: Re:おはようございます 
バイトの子たちが高熱で休んでいて、ひとりでクルクルしておりました。
風邪はひいてないです。
心境は反省の日々です。どれだけ人を傷つけたら僕は成長するのか、
どれだけ僕は欲張りで、さちがいなくなることがさみしくていやなのか、
僕もなかなか折り合いつきません。ふたりミクシィ読んで、
なんて返信したら良いかわからず、汗ばかりかいておりました。
ごめんなさい。
また頑張って日記かきます。
いつまでも競馬の女神、僕の心の女神でいてください。
ありがとう。


Subject: Re:おはようございます
To: 成田
競馬はやめました。
成田さんの心の女神も多分無理です。
きっとさちは今までとは別の人になっていくでしょう。幻滅するよ。


From: 成田
Subject: Re:おはようございます 
競馬やめても、別人になっても
さちはさちじゃないですか。
僕とさちとで起こったこと、僕は無かったことにはしませんし、
幻滅もしません。
飲みすぎませんように。
関屋記念は見て下さい。
今週のアイビスサマーダッシュはサチノスイーティーを応援します。


アイビスサマーダッシュ。

新潟1000m直線勝負。
夏が来たんだなぁと毎年思う。

春のオーシャンステークスで、サチノスイーティーとアイルラヴァゲインから、
3連単自分史上最高額を取った。
「一番好きな馬はサチノスイーティー」
いつも言っていた。名前もステキだ。

だって、私はいつも甘くスイーティーな幸乃でいたい。

去年の夏の新潟直千
駆け抜けるスイーティーの姿が頭から離れない。


会社が終わって、8時が過ぎるのを待ってから成田さんにメールをした。 

Subject: Re:
To: 成田
ごめんなさい。
会って話がしたいです。
お店終わったら連絡ください。


あのまま、一方的な話だけを押し付けて、それで全てが終わるのは嫌だった。
文句もある。説明しておきたいこともある。聞きたいこともある。
遊び歩いて、現実を見ず、
頭から記憶が消えるのを待っていたんじゃラチもあかない。

あの人の望む私にになるために、とりあえずは会って話しがしたかった。

30分程待っていたら返事が来た。拒否される気はしなかった。


From: 成田
Subject: お疲れ様です 
どちらへ行ったら
いいですか?


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


番所橋通りと、新大橋通りの交差点に赤い車が止まった。

乗り込むと、成田さんはこっちをじっと見たまま軽く会釈をした。
やせた頬がさらにこけた気がする。やつれた?たったこれだけのことで?

「どこいくの?」
シートベルトをしめながら、私が聞くと、成田さんは
「どこへ行こう?」
と力の無い目をして前を見ながら質問で返した。
私も前を向いたまま、もう一度聞いた。
「ご飯、食べた?」
「食べてないです。でも食欲はないなぁ」
無理やり作ったような笑顔で笑う。

なんなの?この人。

「私はお腹が空いてるんだよね。どっか適当なファミレスでも止めてよ」
なぜかやたらと苛ついて、若干高飛車な口調で言ってみた。

成田さんは軽く頷いて、車を発進させる。

車が走っている間、私は腕組みをして前を見ていた。
成田さんもだまって車を走らす。
月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、
4日間もメールを交わさなかったことは、今年の春以来初めてで、
でも遠くへ行ってしまったような気は全然しなかった。

元から近くにいなかったということなのかもしれないけれど。

近場のファミレスに入り、向かい合って座り、初めてお互いの目を見た。
成田さんはやっぱり力の無い目をしていたから、
私は軽くため息をついてから聞いた。

「で?なんなのよ?そのザマは?」
今までこの人の前では吸わなかった煙草を、
今なら吸ってもいいんじゃないかと思ったけれど、
とりあえずは堪えた。

成田さんは、軽く苦笑いをした後に、斜め下を向き唇を噛んで、
それから搾り出すように言った。
「もうどうしていいかね、わからなくて」

「わからないって?」
「自分の気持ちがね」
「成田さんの気持ち?私をいらないって言ったじゃない」
いらないって、私なんてどこかへ消えてしまえと、
少なくとも私にはそういうふうに聞こえた。

成田さんは黙る。だから、私はもう一度念を押した。
「あなたが決めたんじゃない」


「そうなんだけどね、
でもやっぱ僕は朝から晩までさちさんのことしか考えられない」

ウェイトレスが、コーヒーをテーブルに並べる間、しばらく黙る。

「でもあなたが決めたんじゃない」
さらにもう一度私は言った。
結婚までするくせに。それは口には出さないけれど。

「教えてよ。最初から、私を悪だと言ってさんざん私のせいにして、
でも本当は違うでしょ?」

成田さんは両手組み、2つの拳を軽く数回テーブルに打ち付けた。
そして、しばらく考えてから言った。

「そうだね」

そして、たどたどしく話し始めた。

色々なことが一気に動きはじめたこと。
自分の生活が日々変わろうとしている中、私と会ったこと。
色々なことの中にはきっと、秋のイベントの企画も入っているんだろう。
もちろんやっぱりそれはつっこまないけれど。
本人の口からは聞きたくない。

「気が付いたら、僕の心はさちさんでいっぱいだった」
成田さんは下を向く。恥じるように。
そんな顔は今までしたことがなかったのに。

私を好きで好きで仕方がなくて、
でも私が結婚しているということを自分への言い訳にして私を責めた。
だから、私が自分の生活を捨てると言い出し、
本当はそんなことが原因ではないことを突きつけられたこと。

誰にもバレないように浮気をする度胸なんて持ち合わせていなかったと白状。

裏切りを顔に出さない器用さなど、どこでも習ってこなかったことも。

そして、一生一緒にいようと決めた女性を捨てる勇気など
欠片も持っていないことも。

「要はさぁ・・・」
成田さんの長い話の間、ほとんど手もつけられず目の前に
置きっぱなしのサンドイッチを、手持ちぶさたにフォークの先でつつく。

「浮気したいけど、怖くてできなかった。それだけの話でしょ?」
バカバカしくて、私はわざとハスっぱな言い方をした。

成田さんは黙る。

「子供なだけでしょ?バレたら怖いって、それだけじゃん。違う?」
しばらく黙った後に、
「そうだね」
と言った。

そう、それだけのこと。そんなくだらないことだけに、
私は悩み、この人は苦しみ、愛と恋の世界へ逃げた。

「偉そうなことばっかり言っちゃってさ、
あんたなんてただのガキじゃない」
成田さんのことを“あんた”なんて呼んだことはなかった。
こんな風な擦れた口調で話しをしたこともなかった。
でも苛立ちが止まらず、私の態度はどんどん拍車がかかっていく。

「っていうか、迷惑なんだけど?優柔不断なガキに振り回されて、
どうしてくれんのよ?」

それから私は、食事が終わるまでひたすら、成田さんを罵り続けた。
成田さんはたまに苦笑いし、たまに唇を噛んで下を向き、
黙って聞いていた。

食事を済ますともう12時近くで、そのまま家の裏の道まで送ってもらった。

車の中でも私は“迷惑だょ、ホントにむかつくっ!”と怒り続けていた。
成田さんは、やっぱり黙って聞き続けた。少しだけ悲しそうな顔をして。

いつもの場所、成田さんが車を止める。

沈黙。

今更いちゃつくわけにもいかない。

「じゃあね」
言って、ドアを開けようとしたら、
成田さんはじっとこっちを見ている。

あっ、泣きそう?

と思った途端、ハンドルに肘を付き、顔を伏せた。

「まじでぇ?」

思ったまま、口にする。だって、ホントに泣くかよ?

「なんで泣くわけ?ばっかじゃないの?」
私はどうしていいかわからず、とりあえず怒る。
さっきからずっと怒ってばっかり。

「泣かないよ、大丈夫だよ」
明らかに尋常でない、真っ赤な目をして成田さんが顔を上げる。

「男って、すぐ泣くよね。むかつく。ばっかみたい!」
もう私も何を言っているからわからず、
とりあえず勢いにのってひたすら怒り続ける。

「さちが好きなんだよ。もうどうしていいか・・・」
成田さんは下を向いて言う。もう完全に子供の顔。

正体はただの子供であるということを、
隠さなくてはならない理由は無くなったからね。

「子供のくせに何言ってるの?バッカじゃないの?」
子供のくせに。

でもそんなこと最初から知っていたのに。
子供のように純粋で、残酷で、勝手で、優しい。
そんなこの人を好きになったのは私なのだから。

しばらく黙って座っていた。
成田さんも顔を上げ、黙って前を向いていた。

こんなことをしていても仕方ないから、
私はもう一度“じゃあね”と車のドアに手をかけ、成田さんの顔を見た。

赤い目をして、こっちをいつもの強い目で見ていた。
その目をじっと見つめたら、私はあっさり絆された。

バカでも子供でも、きっと私はこの人を愛している。今もこれからも。

一度ドアを開けてから、思いなおして閉めた。

「日曜日は」
帰ろうとした私が再び自分のほうを向き、
話し始めたのだから、成田さんは戸惑っていた。

「スイーティーとラヴァゲインから、3連単マルチで総流し」
私は読み上げるように言った。
「怖かったら3連複総流しでもいいねー。馬単でも。
まぁ、私はもう馬券は買えないけど」

笑う。
そうしたら、成田さんもかすかに笑った。

赤い目をして笑う成田さんはちょっとだけかわいかった。
だから、身を乗り出して、軽く唇にキスをした。

「もう一度だけチャンスを上げる」
「?」

意味がわからないという顔の成田さんにもう一度キス。
「日曜日まで考えて。もうこれっきりか、
覚悟を決めて大人らしく浮気をするか」

しばらく呆気に取られたように私の目を見た後、
なぜか成田さんは満面の笑顔で頷く。

「なんでそんな嬉しそうなの?」
私は予想外の反応に困り、聞く。
「さっき、もう、さちがこのまま車降りてっちゃうと思った。
でもまだチャンスをくれるって」

嬉しそうに、言う。もうね、まるっきり子供の口調。
私は遮る。
「今そう言っても、あなたまたウダウダ言い出すもん。でしょ?
わかってるよね?」
強く聞くと、成田さんは弱々しく頷いた。

「もうウダウダしないで。迷わないって誓えるなら、
日曜日の朝普通にメールしてきて。
普通に競馬の話とか。今までと変わらず。」

真剣な表情で聞いている。

「できないならもうこれでさようなら。いいね?」
私は諭すように最後に言った。
諭すのはいつも成田さんの役割だったのにね。

「じゃあね」
改めて言い、私は車を降りた。

あとはあの人が決める。
答えはわかっている。
非常に残念ではあるけれど。
 
 
 
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2008年12月18日 (木)

☆第3章 バラの名前☆  第23話


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☆七夕賞

不機嫌な感じでそのまま眠ったのは、
まりこに散々言われたことのせいばかりではなく、
何かもうどこへも行けないところまで来てしまったことを
薄々感じていたから。

縋るようにのめりこんでいた「恋の境界線」はもう完成してしまった。
見えないように、存在を認識しないようにしていた物たちが形を成していく。

現実問題として離婚なんて可能なのかどうか。
現実問題として成田さんの彼女ははっきりと存在している。
現実問題として私たちの行く道はもうない。

メールでの会話が私達の世界のほとんどであり、
私は、細かな言葉の選び方、語尾の様子で、私達の間の空気を判断する。
成田さんもきっとそう。
その上でお互いに、もうどうにも進む道は無いことをはっきり実感している。

考えさせてくれと言った成田さんが結局なんの決断も下せなかったことを、
私は知っている。
正確には最初から知っていた。

成田さんの軸はぶれない。嫌になるくらいぶれない。

いつ、どんな形で宣告をされるのか?
もうそれだけだった。

その証拠か、昨日の夜、おやすみも言わないで寝ちゃった後から
メールは途絶えたまま。

それでもやっぱり、朝9時到着を目指して、私は自転車に乗る。

朝9時にWINSに行く限り、
成田さんはいつもと変わらない顔で迎えてくれる。
あの人が行う日常、土曜日曜の朝9時に錦糸町WINS西館2F。
そこに、勝手にすれ違ってくる人間を拒否する理由は何もないから。

夏の福島、荒れるハンデ戦。
競馬ファンにとってみれば、夏はこのへんから本格始動。
暑い夏、始まるのかなぁ


ちょっと出遅れ気味だったか、
京葉道路で成田さんのバイクは見かけなかった。
急ぎ足でWINSの2階に上がると、全くいつもの通りに、
中央辺りのテーブルで新聞見つめる成田さん。
駆け寄る私を見つけると、少し笑って「おはよう」と言った。

ほら、この人はここではいつも変わらない。

横に並んで新聞を広げる私に、いつもと同じに缶コーヒー。

“昨日、メールしないでごめんね“とかは言わない。
だって、メールをすることは約束じゃないから。

約束は禁止事項だから。

何事もなかったように、
「さて、今日はなにから?」
と私の顔を覗き込む。

だから、私はほとんどノーメイクの顔を見られないようにそっと伏せ、
「ユメノシルシで」
と、馬柱をペンで指しながら言った。

「トリリオンじゃないの?狙ってるって言ってたじゃない?」
トリリオンカットはムラ馬だから、
いつか大駆けするよって話を前にしたっけ。

「トリリオンは単勝で押さえます。あとね、ヴィータかな?」
成田さんも新聞に目を落とす。

「うん。妥当だね。でも1番人気だよ?」
「1番人気で勝つような馬じゃないよね」

しばらくお互い新聞に集中する。

1番人気が来ないことで有名な七夕賞。
やっぱりヴィータローザは無いのかな?
結局、何もわからずにマークシートを取り、
やっぱりいつものように適当な馬番を塗る。

成田さんは今日も1-6-9のお誕生日馬券。
今日の1-6-9は、2番人気、3番人気、10番人気。結構ありそうな気もする。

いつもと同じように、買った1-6-9馬券を見せてくれる。
いつもと同じように、私は苦笑い。

エスカレータを降りながら、ふと成田さんは言った。

「言葉は愛に勝てないんだよね」

とっさに何の話をしているか分からず、私は振り返って成田さんの顔を見る。

「言葉は愛に勝てないから、みんな必死に言葉を探すでしょ?」

昨日メールで、私が言った話。

言葉は愛に負けるの?なんか悔しい…

「みんな必死で言葉を探すから、言葉は輝くんじゃない?」
成田さんは私の目を見て言った。

言った後に、その野暮ったさを恥じるようにちょっとだけ笑った。

野暮ったいね。そんな野暮ったいこと今どき誰も言わない。
でもきっと真実。

1日たっても私の言ったこと、覚えてくれたことが嬉しくて、
照れくさくても伝えてくれたことが嬉しくて、
私は成田さんの腕を思いっきり掴んだ。

「さちさん、痛いよ」

成田さんはまた恥ずかしそうに笑った。


。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・


家に着く頃、ミナちゃんから電話があった。

「今日、これからノムさんと出かけるんです。」
心なしかいつもより数段明るいミナちゃんの声。
でもやっぱりノムさんって、まぁそんな急に変わるものでもないけれど。

でも、デート前にわざわざ電話をかけてくるなんて
どうしたわけ?と聞くと

ミナちゃんは急に改まった声を出した。
「さちさんバトンありがとうございました」

ありがとうって言われても、楽しんでいたのは私とあの人だし。
結局呼び方が変わらなくちゃ何もならないよね?

「呼び方、変わりそう?」
聞いてみた。
電話の向こうで一呼吸置いてから、ミナちゃんは言った。

「さちさんのあのバトン、最初から一生懸命答えていたら
 すごく幸せな気分になったんです」
そう思ってくれたら私は嬉しすぎるのだけど。

「それで、最後までやったら、もうどうでもよくなっていました。」

「?」

「呼び方なんてどうでもいいって、気が付きました。
 もっと大事なことがあるって。」

胸が熱くなって、不覚にも泣いてしまいそうだった。
中学生だとバカにしていたこの子達も、
ひとつづつ階段を上るように、大切なことを知っていく。

私はいつもの軽口を叩くこともできず、
「よかった。一生懸命作ってよかったよ」
と、胸に広がる気持ちを言葉にするのが精一杯だった。

「ありがとうございます。さちさん。いってきます」

恋をするかわいい少女と、2本の足でしっかり歩く大人の女性、

その2つが共存した、しっかりした声でミナちゃんは言い、電話を切った。


Subject: ミナちゃん
To: 成田
さっきミナちゃんからお電話ありました。
呼び方は変わった?って聞いたら、変わってないって。
「呼び方なんてどうでもいいってわかりました。」って言ってた。
呼び方を変えることを目標に作ったバトンをやって、
結果的に呼び方よりも大事なことがたくさんあるって気付いたわけ。
すごいね。大成功。嬉しい。


成田さんの仕事中はあまりメールを送らないようにしていたけれど、
どうしても伝えたくて、成田さんも喜んでくれるって思って。

思った通り、数10分で返事は来た。


From: 成田
Subject: Re:ミナちゃん 
薔薇の花は、ほかの名前で呼んでも
同じように良い香りがするんだね。
ミナちゃんすごい。


呼び方なんてどうでもいい。

胸がまた熱くなる。
大切なことは一つしかないと、私達みんなで一緒に気がついた。
幸せだった。

でもそれは、愛と恋しか存在しない世界の中だけでの幸せ。

受信メール画面をずっと見ていたら、
更に新着メール受信アイコンが右上に出た。

なんだろう?

慌てて、待ち受け画面に戻す。受信メール1通。
成田さんから。


From: 成田
Subject: Re:ミナちゃん
だからといって
たかやまとか、はまもととか、
いろいろ名のって
いいことにはならないんだに。


送信時間は1分しか違わなかった。
明らかに、2通作ってから連続して送ってる。


まさに天国から地獄。
幸せな気持ちの絶頂へ、持ち上げて落とした。

ここまでしなければ、私にわからせることはできない、と言わんばかりに。

あからさまな敵意。
誰よりも私を愛しているように見える成田さんからは、
たまに正体不明の深い憎しみを感じる。
一瞬の風のように過ぎるだけなのだけれど、攻撃力は抜群。

そんなに私は、あの人の言う「悪」なの?

私はしばらく携帯の画面を見つめ、その後何もしないで閉じた。


。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・


その後は、夜までずっと何も手につかなかった。

上の空で見た競馬中継。
もちろん当るわけもない。

6番人気サンバレンティンが、後藤Jの好騎乗で勝利。
2番人気、3番人気が2着3着。まぁ穏便な感じの決着で終了。
荒れるハンデ線なのにね。

でも、今年は何もかもイレギュラー、何があっても全く不思議じゃない。

あのメールの真意について、成田さんへ問い正した時が
全ての終わりとわかっていた。

問いたださないで流す方法はないかな?と必死で考えた。
でも、流したところで、いずれまた私のところに流れつく。

だから、夜10時過ぎになって、やっと長いメールを打った。

Subject: Re:
To: 成田
今日も負けちゃった。
もうさちは競馬やめたほうがいいね。
今の日本の法律では、仕事上で旧姓を名乗ることはOKでも、
保険証やパスポートは戸籍の名前になっちゃうの。
好きで名前を使いわけてるんじゃないよ。
でも名前は1つにしようと決めた。そのことでまりこにも怒られて、
他の周りの人達にもお説教ばかりされています。
成田さんは何も決めてくれないし、何も聞いてくれない。
なのに突然壊れちゃう。なんでも言ってくれたらいいのに。
不安なこと、思ってること、したいことなんでも。


12時近くなるまで返事は来なかった。

仕事をしていたのか、それともただ送る内容を考えていたのか
それとも全く別のことをしていたのか、

そんなことには全く触れず、いきなり挨拶もなく本題。
それが酷く成田さんらしくなく、もうそれだけで何もかも嫌だった。

From: 成田
Subject: Re:
壊れちゃう?壊れてるとはよく言われますが、壊れちゃうの?
さちはさち自身が決めたことを由とする人だと思います。
聞かれたくないことや聞いてほしいこと、
よくわからないんです。不安にさせて、ごめんなさい


Subject: Re:おかえりなさい
To: 成田
会話の流れから大きくはずれた内容を言うことを
壊れたと称しました。よくわからないの?
でも悩んだり考えたりしてるよね?どうしてそれ教えてくれないの?


From: 成田
Subject: Re:ただいま
僕は自分のしていることを悪だと感じています。
調子に乗って0点です。
ごめんなさい。


Subject: Re:ただいま
To: 成田
知ってる。
でも、成田さんは善人であるために私を地獄に突き落とす。
私の存在は成田さんにとって悪でしかない。受け入れてもらえない。
そうだとしたら悪となっている源を絶つしかないよね?
そうすればもう不安感との戦いみたいな毎日はなくなるよね?


From: 成田
Subject: Re:ただいま 
僕にはさちを幸せにはできない。
すごく頑張ったのにな。

 
Subject: Re:ただいま
To: 成田
私幸せだったよ。
なのに、突然我に返って突き放されたから。
幸せにできないなんて言わないで。
他にはなにもいらないと思ってる。なにもだよ。
全部無くして、ただの「たかやまさちの」
にもどればいいんでしょ?もう悪じゃないよ
じゃないと何も始まらない。道を決めることもできない。


From: 成田
Subject: Re: 
さちの道に
僕はいてはいけないんだ。
始まってもいけない。


Subject: Re:
To: 成田
なぜ?


From: 成田
Subject: Re: 
僕の浮気心も悪です。さちは旦那様と幸せにならなくてはいけないよ。

 
Subject: Re:
To: 成田
知らないよ。私は成田さんにどうしろとか言ってないじゃない。
成田さんが私の存在を悪だと受け入れてくれないなら、
私は悪じゃなくなるためになんでもするよ。そっから先は知らない。
私は悪なんかじゃない。
私たちのしてきたことは悪なんかじゃない。


From: 成田
Subject: Re: 
かなしいことを言わないで。
さちが元のさちにもどっても、
僕はあなたの男にはなれないんだ。

 
Subject: Re:
To: 成田
どうして?


From: 成田
Subject: Re: 
あるひとりの女性とふたりで生きていくと決めたんです。
もうこれ以上裏切れません。
僕が僕であるために。


メールなのに、文章なのに、
何故か付け入る隙もないくらい、
きっぱりと断言していることが認識できた。

もうこれ以上何も言えない。

私が私であるために、捨てなくてはいけないものは、
成田さんが成田さんであるために、守らなくてはいけないもの。


眠っているのか、起きているのか、定かでない時間をやり過ごし、
朝、機械的に会社へ行き、ミクシィメッセを送った。

これで最後。


宛 先 : 炎の男
日 付 : 2007年07月09日 10時55分
件 名 : ふたりミクシィ

ふたりミクシィ
本当の最終回w

さちの旦那がどんな人から知りたがってたじゃない。
教えてあげるよ。
私のことが好きで好きで仕方ないの。
私を自分の物にするために、他のことはみんなあきらめたの。
家事も炊事もしなくていい、束縛も干渉も一切しない。
欲しいものはみんな与えてくれて、したいことはみんなやらせてくれる。

私には恋愛感情というものは全く存在していなかったけれど、
愛のない結婚をしたことに不幸だと思ったことはなかった。
愛されていることが重要だと考えていたし、
適当にちやほやしてくれる男友達は大勢いたし、
恋愛はしなくても、恋愛ごっこもしくはゲームは楽しめた。
旦那は多少の浮気には目と瞑っていれば
そのうち飽きて自分で戻ってくると考えていたと思う。
確かにその通りなんだろう。

放任なのに、尽くしてくれる都合のいい旦那さん、
友達にはみんな羨ましがられるし。
そんなに悪くもないと。

でも、「そんなに悪くない」とご満悦な自分はニセモノだった。
私は、目の前にいる人に合わせて自分を作るから、
「わがままで、かわいい、愛される奥さん」
とか、そういう自分を作って毎日を送ってただけ。
他の人にたいしてもそう。

成田さんに拒否されて、でもすごい好きになって
そうしたら今までのさちがニセモノだったって、初めて気が付いた。
悪くない、と思っていた結婚生活に、
本物の幸せなんて一つもなかった。
ニセモノにニセモノがかぶさって、もう私が誰なのか、何者なのか、
わからなくなってた。
本物で、何にも属さないさちに戻って、そこから全部始めたかった。

遊んでくれればよかったのに。
じゃなければ全て拒否してくれたらよかったのに。
積み重ねてきた物は、全部なくなるためのもの。
そう覚悟していたけれど
全ての存在自体が嘘だったんだね。
キレイな空も、たくさんのメールや写真も、花火も、
全部なかったことにしなきゃいけない。
そうじゃなきゃ私生きていけない。
あんなに幸せだったのに。
愛されてるって思ってたのに。

何も変わらない。ちょっと前に戻るだけ。大丈夫。
時間はかかるかもしれないけれど。
周りの人に愛されて、可愛がられて、
でも、深く物を考えたり、語ったりすることもなく
「難しいことはよくわかりません」って顔して生きていく。

それでいいんだと思う。

成田さんは世界で一番私に優しかったけれど、
それ故に、世界で一番私に残酷でした。

 
 
 
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☆第3章 バラの名前☆  第22話


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From: 成田
Subject: おはようさち 
昨日はごめんなさい。反省しています。
会社ですか?頑張りましょう


おはようメールで目が覚めて、
携帯の時計表示に目を留めた。
7月7日。七夕。


Subject: Re:おはよう
To: 成田
おはよう。今日は七夕だよ


From: 成田
Subject: Re:おはよう
さちの願い事は何ですか


メールを打つ手が、しばらく止まった。
願いごと、たくさんありそうで、
でも言葉にしていいことは一つもなくて。

成田さんの願い事はなんですか?

逆に質問で返そうかともおもったけれど
何が飛び出してくるか、想像するだけで怖かった。

Subject: Re:おはよう
To: 成田
願い事はないです。


願いごとはルール違反。
一番欲しい物を願えば、誰かが不幸になる。
人の不幸を願っちゃいけないの。

星すらも私達の味方ではない。


土曜出勤。

支度をして、会社へ行く。
電車の中でメールの続き。


From: 成田
Subject: Re:
バトンやってくださいと、
昨日みんなにメッセージ送りました。

 
Subject: 願い事
To: 成田
あった。やっぱり。
バトンが広まりますように。

返事はちょっと間があいたので、
昨日ふと思ったことを送ってみた。

どうしても成田さんに伝えたかった。


Subject: 言葉の負け?
To: 成田
思いを言葉であらわすと?の質問、
ほとんどの人が「言葉にできない」と答えるね。
言葉は愛に負けるの?なんか悔しい…


。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・


弁護士紹介してくれる?

まりこにメールをした。

なんとなく若干急ぎ過ぎているような気もする。
タカキには、別れたいと、はっきり話したわけでもない。

「話があるんだけど・・・」
と切り出してみたら、

「話はないよ。」
と笑って言う。

タカキのほうが私と目を合わせなくなった。

わかっているのだと思う。

タカキと暮らしていくことを放棄しようと決めたことを。
また、子供じみた私のワガママだと、
だから適当にかわしていればまた落ち着くだろうと。

ちゃんと話をしなくてはいけないと思いながら、
それでもタカキがかわすままにしているのは、
私自身も面と向かって説得できる自信がないから。

そんな状態で法的手段に手を出したところで、
何がどうなるというわけでもないような気もするけれど
とりあえず、手がかかり、足がかりでもいいから欲しいというのが本心。

まりこの場合、2,3日メールの返信をしないなんていうのはザラだから
あまり期待しないで待っていたら、夜には電話がかかってきた。
帰り道らしく、電車の音。

久しぶり、とか社交辞令っぽい挨拶をする私を遮り、
ちょっと真剣そうな声で切り出すまりこ。

「弁護士って何系の?」

何系?あぁ、事故系とか負債系とかのカテゴリ分けね。

「うーん、離婚系」

電話の向うで、まりこはちょっと黙る。

「なんでまたぁ」
呆れたように言う。

そりゃそうだ。

とりあえず会って話そうと言うことになり、
1時間後に「ゆるゆる」で待ち合わせた。

ビール、焼酎と、いつものペースで進みながら、
まりこは尋問のように話を促す。次から次。

「好きな人がいるんだよね。」
そうとしか言いようがない。

「好きな人って、中学生じゃないんだからさぁ。」

終始呆れ顔のまりこに今までの経緯を話す。
好きな人がいること。1日何十通もメールをし合うのに、
肉体関係は無いこと。
私の男にはなれないと言われたこと。その人にも彼女がいること。

「なんなの、その男。ろくでもないよ。」
いい感じにアルコールの回ったらしいまりこは、半ば怒鳴り気味に言う。

「セックスしなきゃ何言ってもやってもいいっての?
っていうか、気持ち悪い。」
空いたグラスに、とくとくと焼酎を注ぐ。

「その彼女はなんなの?私がそいつの彼女で、
もしこんなこと知ったら死ぬね。
だってそいつの感情は誰が見たってさちに向いてるじゃん。
なのにセックスしてないから、悪くないでしょ?なんて
言われたら・・・そいつの良心ってなんなわけ?」

人ゴトなのに完全に怒りモードのまりこ。

「そんな男にイカれて、離婚とか言ってるあんたもばっかじゃないの?」

まぁそれは、バカは充分承知の上なんだけれども・・・
しばらくまりこは、黙ってグラスを空ける。
私は手持ち無沙汰に、目の前の玉子焼きを突く。

「・・・無理だよ。離婚は」
天井を見上げながらまりこが宣告する。

「離婚っていうのはそんな子供じみた理由では絶対できないよ。
 双方が納得してハンコ押すしかない。片方がいくら騒いでも絶対だめ」

「じゃあ、好きな人ができたらどうしたらいいの?」

自分の言葉を、外側から検証してみたとしても、なんとも子供じみた響き。

「別の人と結婚したいってことだったら、全部話して、
相応の慰謝料払うとかで納得してもらうとか?
どっちにしたって、浮気した方がそれを理由に離婚することは無理なのよ」
まりこの声には若干同情の響き。
「浮気相手の男に結婚する意志がなかったら、もう全く無理ね」

無理

この世に無理なことなんて、そうそうはないと思っていた。
努力さえすれば成りたい物に成れると、そう信じて生きてきた。
でも、結婚をして、苗字が変わることは阻止できなかった。
やりなおしたくても、離婚することも叶わない。

法の下で生きていることを、この年になって初めて実感する。

遅いって。遅すぎるよ、私。

「あなたの旦那、いい人じゃない。どうしてそれじゃダメなのよ。
 そんなにいい男なの?あなたの彼氏ってのは」

答えにつまる。

まりこは私の目の前に手を広げて出す。
「携帯、見せてよ。どんなメール送ってくるの?
 あんまりやばくないやつ、見せてよ。」

今度は固まる。

「知らない人なんだからいいじゃん。」

少しうつろになった目をしてまりこがさらに手を突き出す。
多分もうこれ以上黙ってるわけにもいかない。

「あのね、知らない人じゃないんだよね・・・」
まりこの手が止まる。えっ?って目が急にシラフ。

「えーっ!?私の知ってる人?誰?誰?同級生の誰かだよね?」
うーん、麻里子の同級生ではあるけれど・・・
「ちょっと誰よ?独身でしょ?独身なんて、テル君か、間宮君か・・・」

「私の同級生ではないんだよね。」

グラスを持ちかけた麻里子がまた止まる。

「でも私の同級生・・・?」

そっと顔を回してこっちを見る。私は「そう」と頷く。
しばらく虚ろな目をきょろきょろさせて考え込み、
状況を理解したらしい。

「えーっ!?ありえないんだけどぉ?ちょっとマジでないでしょ?
 全然ない!」

絶叫し、
その後、「ちょっとちょっとママぁ」と手招きする。
「はい」と薄ら笑いでママが来る。
こいつ、話聞いてたな。

「この子さぁ、中学の時から男の趣味悪くてさぁ、」と話し始める。

「いいからぁ」と遮り、ママに梅チャーハンちょうだいと言って、
手で厨房に入るよう合図する。

完全に興奮状態のまりこは、
“ありえないんだけどー”と散々一人ごとのように喚いた後に言った。

「どうしてその山から引いてくるのよ。ほんっと相変わらずね。」
あまりの言われように、私は若干ふてくされる。
「それもそうだけど、あの人もあなたみたいな人に手を出すタイプじゃ ないのにねー」
手を出したんじゃなくて、私が無理やり手をひっぱったんです。

「あんな金魚屋ごときにどうこうできる女だと思ってるのかね。」
おもしろそうにまりこは言う。金魚屋じゃないから・・・

「思ってるのかな?」
「やめなよ、やめな。旦那捨てて取るような男じゃないよ。全然。」

「でも私は相当好きなんだよね・・・」

非難されるのを覚悟で言ってみる。

「それは今一番盛り上がってるからでしょ?長くて2,3年、
 1年後でもいいよ、絶対今の旦那にしてるのと同じ対応になってるよ。 賭けてもいいよ。」

そうなのかなぁ?どうなんだろう?

「あー、もう真剣に話聞いて損しちゃった。バカバカしい。
 あの男0点だね。そんなダメだと思わなかった。」
損しちゃったと言いながら、楽しそうなまりこ。

「ダメかなぁ?」
「ダメダメだよ。あぁ、あいつなら言いそうね。
 くだらないプラトニックでもして悦に入ってそうね」

それから、まりこはもう私の相談なんてろくに聞いてもくれず、
私と成田さんがどれだけバカかってことを延々語り続けた。

チャーハンを食べて、いい加減酔いも回って、
2人とも呂律の回らない会話を交わし始めた頃、
店の前でタクシーを拾った。

「ガキだねーあいつ。ほんとに手におえないねー」
それでもまりこはまだ言い続ける。

「うん。ガキ。もう36歳なのにね」

薄暗いタクシーの中で、まりこは呆れたように言った。

「何言ってんのよ」

車が平和橋通りを直進する。
私はまりこを遮り、“京葉で右み曲がってください”と告げる。
ほんの一瞬の沈黙の後、まりこは続けた。

「私達みんな36歳じゃない」

ガキはあんたも一緒でしょと言いたかったのか、
もうみんな子供じゃないんだよと言いたかったのか、
それともなんとなく口にした戯言だったのか。

真意はわからないけれど、なぜかその言葉は私の心に突き刺さった。

私達みんな36歳。

どうなっちゃってんのよね。




From: 成田
Subject: Re: 
帰宅しました、お疲れ様です


Subject: Re:お疲れ様
To: 成田
おかえりなさい。
ってさちは今京葉道路歩いてるよ
まりこ女王様と緊急ミーティングでした。
今別れて歩いて帰るところ。


From: 成田
Subject: Re:お疲れ様 
京葉道路?たいへん。迎えにいきましょうか


迎えにいきましょうか?ってこの人は何を言ってるんだか。
あなたのところへ帰るわけでもないのに。


Subject: Re:お疲れ様
To: 成田
もうね、公園のとこまできたから大丈夫。
明日は中舘ね


酔っ払った私は、家に着くとそのままベッドに倒れこみ、眠ってしまった。

まだ11時を回ったばかりなのに。

成田さんと「おやすみ」を言わないで眠ってしまうのは久しぶり。

酔いもあったけれど、まりこにさんざん言われた
「あんた達ばっかじゃないの?」も堪えていた。
バカなのかなぁ?私達。

好きだって気持ちだけじゃどうしていけないんだろう?
どうして大人になっちゃったんだろう?

好きだ嫌いだ、だけで全てが語れた中学生時代。
早く大人になって、
自分の感情のコントロールができるようになりたいと思っていた。
そうしたら、どんなに楽になるだろうと。

感情なんて大人になっても変わらない。

それとも、私達が大人になり損ねただけ?

夢現で、今日は七夕だったな、と考える。

織姫と彦星は、今頃空でラブラブ真っ最中。
1年に1度の逢瀬しかない2人を哀れだとは思わない。

私は1年に1度でもかまわない。
約束さえできるならば。

それが永遠に続くならば。

 
 
 
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☆第3章 バラの名前☆  第21話


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会社が終わって、ミナちゃんに電話をしてみた。
バトンを上げてから、直接話す機会がなかったから。
会社帰りらしいミナちゃんはすぐに電話に出た。

「どうだった?ノム君のバトン?」
挨拶もそこそこに、私は子供のようにはしゃいで聞いた。

「さちさん、恥ずかしいですよ~」

みなちゃんは、いつものように落ち着いた口調で、でも少しだけ上擦って。

「恥ずかしい?だめ?」
私は、冷かし口調で軽く聞く。

ミナちゃんは少しだまってから、
「・・・嬉しかったです。」
と、小さな声で言った。

「でしょ?ノム君本当にミナちゃん好きなんだねー。
もう何も心配なことなんてないじゃない。」

「はい・・・でも、私もやらなきゃいけないんですよね?」

「当たり前じゃん。そのために作ったんだよ」

そんなの今更恥ずかしがられても困るでしょう。

「恥ずかしくても、楽しいよ。やってみて」
私は念を押した。

自分の恋心、言葉にするのは楽しい。

「さちさんのバトン、素敵ですね。
あんなに素敵なのができると思っていませんでした」
改めて、ミナちゃんは言ってくれた。

「私一人じゃないよ。作ったのは」

そう言ったけれど、ミナちゃんはそれには答えず。

ミナちゃんには、それとなく話したことがある。成田さんの存在。
別にいいとも悪いとも言わない。この子はそういう子だから。

「明日、私もやります」
ミナちゃんは、そうはっきりと言ってくれた。

電話を切った私は上機嫌で家へ帰る。

今日もまた、恋と愛だけがある世界へ。


。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・



Subject: Re:おかえりなさい
To: 成田
今日はいてもたってもいられなくなってミナちゃんにお電話したよ。
ミナちゃん、想像よりよいできだって喜んでたよ。


From: 成田
Subject: Re:ご苦労様
ミナちゃんに?
それは良かった
まさしくキューピット

 
Subject: Re:ご苦労様
To: 成田
ノムくんのバトン見てよろこんでたよ。今日か明日ミナちゃんもやるよ
ねー、僕の言いたかったことってなに?


なんだろう?

僕が言おうとしたことを、1文字も変わらないで言ってくれたとき。

いつのことだろう?


From: 成田
Subject: Re:ご苦労様 
ダービーの朝だよ


携帯を持つ手がビクっとする。

ダービーの朝。

あの朝のことは、今でも空気の感触まで覚えている。
多分、私の人生の中でもベスト3に入るくらい特別な場面。

私が返信をするよりも前、3分もしないうちにもう1通。


From: 成田
Subject: メール
ダービーの日の朝に必死で自転車こいで錦糸町まで行ったことは、
ダービー馬の名前といっしょに一生覚えてるんだろうな。


息が止まった。
私が思ったことと、寸分の違いもなく同じことを言うのは
いつもあなたのほうなのに。

私の特別な時間は、全くぶれずに成田さんの特別な時間。

奇跡?運命?なんとでも言ってよ。


お返事はミクシィメッセで送った。
携帯メールでうまくまとめる自信がなかった。


宛先 : 炎の男      
日 付 : 2007年07月06日 08時49分   
件 名 : いきなりミクメッセ返し♪

バトンじゃないんだけど・・・
長いかも?と思って。

昨日の続き。
ダービーの朝の話はもっと深いんだよ。

金曜日に入院して、初めて病院で寝たんだけど
すっごい色んなこと考えてた。
で、起きたら窓から見える空がめちゃくちゃキレイで、
「あー、明日はダービーなんだ。」って思ったの。
明日がダービーだったら、昨日や今日や明日のことは
きっとずっと忘れないなぁ、
「○○○(勝ち馬)が勝ったダービーの時に・・・」
って一生思い出したり誰かに語ったりするんだなぁ
って。

「64年ぶりに牝馬がダービーを勝った年、
私は恋をしてました。」
って、おばあさんになっても語るのだ。
WINSとかで。ちょーヤダヾ(≧∇≦)〃

それで、ミクシィ見てたら
多分その前の日の成田さんの日記、
コメントのところに私が思ってたのと
同じようなこと書いてて、
衝撃。
だから思ってたことを言われたってのは私が先よ。

キレイな空と、ダービー。
チャリで京葉道路走ってた時の空気の感じすら覚えてる。
帰り道は泣きベソかいた。なんでだろう?

競馬やってて、いつも一番よかったって思うことは
自分が買った馬、勝った馬の名前と一緒に、
その時の自分のことやまわりのこと、なにがあったか
ずっと鮮明に覚えていられることだよね。



From: 成田
Subject: Re:メール
衝撃的でした。
勝ち馬ウォッカだし。何年、何十年、時が流れても
さちのこと
四位が人指し指を立ててゴールしたこと
さちが入院していたこと
いっぱい写真撮ったりいっぱいメールしたこと
忘れないと思います。



何十年時が流れても、
2007年のダービーの日に、私達が思ったこと、考えたこと、見たこと
全ては残るだろう。
忘れたくても忘れられない。
たとえ全てが消えてしまったとしても。


。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・


From: 成田
Subject: おはよう
金曜日だね


Subject: Re:おはよう
To: 成田
おはよう
金魚の日


From: 成田
Subject: Re:おはようさち
いいのいたら買おう。気をつけて出かけてね


私達が恋をして、何度目の金魚の日だろう?

お昼過ぎに、ミナちゃんのバトンが上がった。



ミナさんの日記
2007年07月06日13:36
「恋の境界線」バトン

●どこに惹かれた?
優しすぎて真面目すぎる。そして可愛い。

●恋だと確信したのはどんなとき?
繋いでいる手を離したくなかったから。

●好きな人と今一番したいことは?
一緒にいたい

●その人への思いの大きさを言葉で表すと?
言葉に出来ません

●好きな人のことなんて呼びたい?
恥ずかしいので、渾名で。

●なんて呼ばれたい?
やっぱり恥ずかしいので、渾名で。

●2人の大事なデート、どこへでかけたい?
散歩

●好きな人からプレゼントされてうれしいものは?
笑顔

●プレゼントしたいものは?
スイーツ

●その人へ一言。
頑張って下さい。でも身体は大事にして下さい。

●今しているのは愛、恋、どっち?
これから愛したい。

●回す人
おやりになりたい方、どーぞ。


ありきたりの言葉の羅列であっても、
ミナちゃんらしさに溢れ、私は思わず泣きそうにすらなった。
たとえ、飛び込んだとしても、これは紛う事なく恋。
ミナちゃんはまっすぐに、ただひたすら恋をしている。


。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・


炎の男さんの日記
2007年07月07日00:35
「恋の境界線」バトン

●どこに惹かれた?
いつもいつも想っているのが恋、いつもいつも不安なのも恋
どこも魅力的だし、どこも不安だよ
いつもいつも安心なのが愛なのか?

●恋だと確信したのはどんなとき?
自分の想いのほうが重いぜ!なんていってるうちは恋
こんなに想われていたのか!と涙を流してからが愛なのか?

●好きな人と今一番したいことは?
あそこに行きたい、これを見たい、
アレしたいコレもしたいなんていっているうちは恋
二人で生きていくのが愛なのか?

●その人への思いの大きさを言葉で表すと?
物で表すと
心理があらわれるでしょう。大きいもの、高いもの、守ってくれるもの、
大事にしたいもの

数値で表すと
コレまでの経緯があらわれるでしょう。ケタちがい・破格の数値、
記録的数字、特別な数

言葉で表すと
照れが見え隠れするでしょう。やっぱり言葉では語りつくせないし、
自分自身の言葉の中におさまるものではありません。

●好きな人のことなんて呼びたい?
○○さん

●なんて呼ばれたい?
名前+さん
ふたりの距離感、年齢差、生き様が合わさって自然と呼び方は決まるでしょう。

●2人の大事なデート、どこへでかけたい?
川崎スパーキングナイター

●好きな人からプレゼントされてうれしいものは?
なんにもいらないけれど
好きな人が選んでくれたのならば、きっと素敵で、選んでくれた理由を
深く考えなければなりますまい。

●プレゼントしたいものは?
人を喜ばせるの、好き。使える時間、使えるお金、使える工夫、使えるハート、
使えるアンテナ、全部使ってさ
ありがとうっていわれたらもういうことないよね

●その人へ一言。
明日はもっといい1日にしましょうね

●今しているのは愛、恋、どっち?
愛と恋の境界線を行ったり来たり。欲張りだから愛の場面も恋の場面も
あったほうが良いの

●回す人
読んだらやる!このバトンは流行る!
流行の先取りだぁ!
自分の色、見つけよう
あなたの恋もきかせてね!



From: 成田
Subject: Re:お疲れ様です
帰りました。
バトン書きましたよ。


携帯を片手に、慌てて更新をかけたIE。
マイミクシィ最新日記に上がって来た。成田さんのバトン。


恐れていたようでも、期待していたようでもなく、
誰のこととも特定できない穏便な内容。
うまいなぁ、この人は、こういうのが。


From: 成田
Subject: Re:バトン書けた
全体のデキはどうかしら?

 
Subject: Re:バトン書けた
To: 成田
ギリギリ感はないなぁ
無難におさめましたねって感じ。
客観的視点にすりかえて避けるってやり方は確かに盲点ではあったね。斬新。
本心ある?全部逃げてるように見えるんだけど。見落としてる?


From: 成田
Subject: Re:広まるといいな
僕は変化球なげられないから、正直に答えています


そうね。成田さんは一つも嘘を付いていなかった。
この時は全く気が付かなかったけれど。
ただ、穏便にはぐらかしただけだと思っていた。全く節穴。


Subject: Re:広まるといいな
To: 成田
さちにくれた方がよくできてたよ。
広まるよ。さちと成田さんの共作だもん


From: 成田
Subject: Re:広まるといいな
おやすみなさいさち。
さちの旦那さんってどんな人?今度教えてね。


ほらまた、幸せだと思えばこの人は・・・

また、いつもの壊れかけでポロっと落ちました、部品・・・
みたいな様子が、なぜだか無償に哀れに思え、
哀れなんて偉そうな感情を持つ自分こそがむしろ哀れに思え、
責める気にもなれず、電話を閉じて、目も閉じた。

バトンが広がるといいなぁ
無理やり頭の中を、そんな願いだけで一杯にする。

愛と恋だけの世界から離れない。

 
 
 
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☆第3章 バラの名前☆  第20話


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さちの日記
2007年07月4日17:10
恋の境界線バトン

あるスジからの依頼により、バトンを作成しました。
その名も「恋の境界線」バトンです。
相当恥ずかしいです。
でも、回さなきゃいけないので軽く流します。

ルール:あなたの好きな人について答えてください。
好きな人がいない場合は妄想でかまいません。
正直に答えること。回す人は何人でもいいです。
幸せそうなマイミクさんに回してあげてください。
幸せじゃなさそうな人に回すと嫌われます。
罰ゲームとしても使えます。

●どこに惹かれた?
世界で一番私に優しい。

●恋だと確信したのはどんなとき?
ダービー卿CTで1着になったピカレスクコートが 京王杯SCでビリになった。
何もビリにならなくても・・・

●好きな人と今一番したいことは?
ミスド行きたい

●その人への思いの大きさを言葉で表すと?
物で表すと
荒川スーパー堤防

数値で表すと
8000万ペリカもしくはEメール785通分

●好きな人のことなんて呼びたい?
ハニー♪

●なんて呼ばれたい?
スイーティー♪

●2人の大事なデート、どこへでかけたい?
デニーズ

●好きな人からプレゼントされてうれしいものは?
ポンデダブルショコラ

●プレゼントしたいものは?
フレンチクルーラー

●その人へ一言。
ミスドで待ってます。

●今しているのは愛、恋、どっち?
愛だって。

●回す人
ノムくん(必須)
ミナちゃん(かわいいから♪)
炎の男さん(空気読まないペナルティ)
○○さん(幸せそうだから)
○○ちゃん(なんとなく)



私と成田さんが、溺れた末に流れ着いたのは、
この世によく似た別の世界。
愛と恋だけが全てを支配し、言葉は事実以上の力を持つ。
法律も、社会も、しがらみも何もない。
そもそも、未来すら存在しないのだから。

ミクシィなんていう、限られたところだから出来る悪ノリ。
バカバカしいまでに直球な、「恋の境界線バトン」
まるでこれが、私達のすべてを結晶化、
とでも言いだしそうなくらいの思い入れ。

陳腐すぎる。
陳腐になるしかないくらいに、この世界は甘い。

夜、仕事の終わった成田さんと交わすメールが、私の生活のほぼ8割。
そんなくらい、言葉だけに縋って、繰り返される1日、また1日。

明日、また成田さんが突然、恐怖心だか、正義感だかにかられ、
突然私を傷つけるかもしれない。
怯えながらも今日を乗り越え、明日になったらメールを待つ。

会えない理由はないのだけれど。
2キロもいかないで成田さんのお家。
夜だっていつだってすぐに会いに行ける。

でも、私達が顔を合わせる世界は現実の方。
無防備に顔を合わせれば、道がないこと、
もう2人の交換日記の力ではどうにも出来ないことを思い知らされる。


Subject:
To: 成田
バトンついに上げました。
よろしく


From: 成田
Subject: Re:おめでとう
ミナちゃんとノム君のを見てからバトンしたい気持ち
さちのバトンは愛にあふれていて感動です�h�T�P
頑張って作って良かったんじゃないかな。


Subject: Re:ありがとう鶚
To: 成田
よくできたかなぁ?
頑張ったよ!でも共作だよ。
苦労しました。



適当に流すつもりで作った自分の分。
でも、知らず知らず必死で考えたり。
私もまったく中学生。

もらったEメールは、昨日で785通だった。

きっとまりこあたりに言えば
「気持ち悪い!暇人?」
で終わってしまうんだろう。

存在よりも、私達の間にある言葉を残したい。
私は常にそれを願う。
いつか、私達がなんの関係も無い人同士になっても、
雪のように積み重なった言葉だけは残したい。


From: 成田
Subject:
さちのバトン、僕は胸がいっぱいです。
世界で一番私に優しいの
優しいって難しいよね。どういうことなんだろう?思いやりかな


Subject:
To: 成田
思いやりとか親切とかとは違う意味。どっちかっていうと、感触?
優しい感じっていうの?難しいね。
いいの。私が優しいって言ったら優しいの。


From: 成田
Subject:
感触かぁ、いい言葉使うよね さち いつも。


その晩のうちに、律儀なノム君が、律儀にバトンをやった。


ノムさんの日記
2007年07月04日23:07
さちちゃんからのバトン

●どこに惹かれた?
素直で優しいところ。

●恋だと確信したのはどんなとき?
会って、ドキドキして、勇気を振り絞って
「付き合って 」って言ったとき(笑)

●好きな人と今一番したいことは?
旅行に行きたい

●その人への思いの大きさを言葉で表すと?
言葉では言い表せない!

●好きな人のことなんて呼びたい?
名前プラスちゃん

●なんて呼ばれたい?
名前でいいや

●2人の大事なデート、どこへでかけたい?
どこでも。

●好きな人からプレゼントされてうれしいものは?
ケーキ。

●プレゼントしたいものは?
プリン。

●その人へ一言。
これからもよろしくね

●今しているのは愛、恋、どっち?
恋と愛??

●回す人
やりたい方どーぞ。



Subject:
To: 成田
私言語感覚しか取り柄ないから。
でもそれでもうまく言えない。柔らかくて心地いい感じ?
それを優しいと表現しました
あっ、ノム君のバトンあがったよ!
ちょー適当にかわしちゃってる
でも彼なりに頑張ってる。モニタ見てニヤニヤしちゃった


From: 成田
Subject: Re:
もうノム君は
ミナちゃんが呼びたいように呼ばれるしかないのだ・・・


Subject: Re:
To: 成田
もうサトシでもタケシでもなんでもいいょね。
だけで2人が仲良くなるって目的は達成できたよ?
ミナちゃん、ノム君のバトン見たら泣いちゃうょ
愛がさぁ、伝わるょね~


帰宅したタカキがリビングに入ってくる。

「さち、飯どうした?」
愛と恋の世界にいた私を呼ぶ。
その声は虚ろで、テレビの向こうで人が喋っているような、
そんな感じがした。

「ご飯?さっきパン食べたよ」
私は携帯の画面から目を離さずに言う。
別に集中していたわけではないのだけれど、
タカキとは向かい合えない。もうずっと。

タカキは、大きなため息をついた。

「毎日パン食べて、それでいいわけないでしょ。
そうやって、年がら年中携帯いじって、幸乃、
まるっきりグレた中学生だよ」

私はちらっとタカキを見る。

怒ってはいない。困っているだけ。

タカキの顔を見るのが嫌なのは、怒られるのが怖いからじゃない。
自分の中の罪悪感、ここまできても存在しているタカキへの依存、
そんなモノたちが怖いだけ。

この人を、理由も無く恨んでいかなくてはいかない。

私は、携帯を片手に寝室へ移動した。


.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・


翌日の午前中、ミクシィトップページに赤い字。
「新着メッセージが1件あります!」


差出人 : 炎の男      
日 付 : 2007年07月05日 11時45分   
件 名 : 恋の境界線バトン 

●どこに惹かれた?
積極的なレース運び。
かもし出す雰囲気。佇まいが良い。でもいろんな表情する。
あぁ~もぅ

●恋だと確信したのはどんなとき?
僕が言おうとしたことを、1文字も変わらないで言ってくれたとき。

●好きな人と今一番したいことは?
美術館めぐりとか。

●その人への思いの大きさを言葉で表すと?
物で表すと
そびえたつ摩天楼

数値で表すと
レースの上がりが3F 33.0なのに勝ち馬は4角13番手

言葉で表すと
残念ながら僕の知っている言葉の中にはおさまりきらないな

●好きな人のことなんて呼びたい?
名前をね

●なんて呼ばれたい?
名前をね

●2人の大事なデート、どこへでかけたい?
小岩だな

●好きな人からプレゼントされてうれしいものは?
チェルシー?

●プレゼントしたいものは?
当たり馬券(万馬券ね)

●その人へ一言。
いつもありがとう。あたたかくして身体を冷やさないようにしてね。

●今しているのは愛、恋、どっち?
両方かな

●回す人
二人mixiですから



成田さんはバトンをやらないのかなぁ、と、
気にしつつ、朝から何度もミクシィログインをしていた。

なのに、突然ミクメッセ。

成田さんからミクメッセが来るのは、初めて会った頃以来。

不穏な予感はしていた。
やらないんじゃないかな?バトン、と。

実は、前から薄々感じていたんだ。
成田さんの彼女、彼のマイミクにいるって。

HN、花魚。

たくさんいる、成田さんのマイミクの一人。
あっさりしたプロフィールには、年齢も移住地も無し。
わかるのは女性、職業事務職、動物好き。その程度。
成田さんと、あと1人しかマイミクがいなくて、
招待状を出したのが成田さんだとしか思えない。

たまに、成田さんの日記につくコメントが、丁寧な言葉を使いつつ、
何か他の人にわからない、2人だけの話、のようなものを
語っているのがありありで、
気にも留めないようにして、随分前から確信していた。実は。

HNからして、もうただごとじゃないし。

だから、「バトンをやって!」と言いつつ、
やらないかなぁと本当は思っていた。

ミクメッセのタイトルが「恋の境界線バトン」になっていた時、
咄嗟に全てを理解し悲しくなった。

私だけにバトンを送り、誤魔化そうとしているんだと。


でも、それはそれで仕方ない。
こんなことをやり始めた以上、
自らを追い詰めるようなことになるのは見えていたから。

「私に送ってもしかたないじゃない」
とメールをしたら、すぐに返信が来た。


From: 成田
Subject: 
まわすのは別に作るんだよ。さちだけに先に作ったの。
僕はさちが入院していたときの二人ミクシィに感動してるの
たまにはいいでしょう


成田さんのバトンは、迷いなく私への愛に溢れ、
私はそれで充分幸せだったけれど、
違う誰かを対象にした、同じバトンを
みんなに公開するのかと思うと心は沈む。

それでもやっぱり、中学生的であり、恋に夢中な私は、
何度も何度も成田さんのメッセを読み返す。
そこに存在する気持ちを、一片も見逃すものかというように。

 
 
 
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☆第3章 バラの名前☆  第19話


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2008年某日

約束なんて一つもしなかった。
先のことなんて一度も話したことはない。
要求なんて何もしてくれなかった。

「さちさんはさちさんらしくいてください。」

「書いてください。」

あの人が私に願ったことはその2つだけだった。

だから私は、今、私らしく、書くしかない。
今日も、歯をくいしばりながら、キーボードを打ち続ける。


.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・


さちの日記
2007年07月02日12:50
ご錯乱?

著しく評判の悪い分析シリーズ。

恋とか愛にたいする動詞は「落ちる」が一般的ですね。
まぁ、「する」っていうのも普通だけど、
これは多用途なのでおいといて。

っていうか、ホントに落ちてるのか?

周りの人達の話を聞くと、「恋に落ちた」らしいんだけど
決してとっぴょうしもないところには落ちないんですよ。

例えば、30歳独身OLのKちゃんが
「好きな人ができた」と騒ぎます。
相手の人は、33歳の外資系企業勤務。彼女なし。
年収は600万円オーバーで、見た目は可もなく不可もなく。
Kちゃんの彼を好きな気持ちは本当なんですよ。
Kちゃん的には大恋愛。それは否定しようもない。
でも、Kちゃんは恋に「落ちた」のか?

仮にKちゃんの彼が、60歳だったら?
既婚者だったら?年収が300万円台だったら?
多分、この中のどれか一つでも当てはまれば、
Kちゃんにとって彼は
「人生の中ですれ違う男の人の一人」
なんです。

人間っていうのは、無意識に自分が恋愛すべき相手というのを察して、
そこから大きく外れた人に恋をしたりすることはあんまりないみたい。
人それぞれにハードルがあって、
そのハードルを越えた人を初めて恋愛対象とし、
「恋に落ちた」とおっしゃいます。
人間のすごいところは、これを無意識でやるのだ。
「こいつは3個目のハードル越えたからOK。」
とか、そういうことは考えず、本能で選別し恋に落ちる。
防御本能?人間の本能、凄すぎ( ̄◇ ̄;)

つまり、みんな恋に「落ちてる」んじゃなくて、
自ずから「飛び込んでる」のね。
飛び込み台の上から、下に見えるプールを眺めて
「よし、ここは安全。」と確認してから、 飛びこんでる。
ざぶーん♪とね。

本当に「落ちる」時は、 普通に町の中を歩いていて、
いきなり足元の地面が自分のところだけ消え、 そのままストーンと落下する。
もう何が起きたか、自分でもしばらく把握できない。
落ちた先がお花畑なのか、夜の海なのか、それはそれ。

今してる恋、落ちました?飛び込みました?


.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・


From: 成田
Subject: Re:ガンバレ
素晴らしい文章です\(^▽^\)♪
さちならでは。で感服いたしました
 

Subject: Re:仕事ばか
To: 成田
今思ったんだけど、
どうして日本語は愛と恋があるのかね?
私、あれ書いてて思ったよ。
日本人に生まれてよかった。
愛と恋がある言語を使える。


小難しい日記を書くと、
マイミク達が遠巻きに引いていくことを知ってたから
あまり乗り気はしなかった。

でも、成田さんが「書いてください」と言ったから。

愛と恋がある国に生まれて、
その中でも、何故か東京に生まれて、生き、
あの人に恋をした。

運命という言葉をつい使いたくなる。

でも、これは運命なんかじゃない。
運命の出会いなんて中学生の妄想。
36にもなって運命なんて許せない。

イクノディクタスが宝塚記念で2着に着たから
私はこうしてタカキと暮らし、
サンツェッペリンがダービーで勝たなかったから
今もダラダラと成田さんと切れずにいる。

運命なんて青臭いものとは全く関係無い話。

これを運命なんて呼ぶやつ、ぶん殴ってやる。

でも大丈夫。成田さんは運命なんて、口が裂けても言わないから。
あの人の辞書に運命という単語はありそうだけど、
運命の出会いは1回きりと厳しい決まりがあるだろう。
これを運命と認めてしまえば、1度目は運命じゃなかったわけで
あの人の運命認定試験の採点基準にブレが出る。
それはきっとあっちゃいけないこと。


.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・



愛と恋がある国に生まれた私達は、
愛と恋を日々追い続ける。


Subject: Re:お疲れ様です
To: 成田
バトンできてない。思い付かない。
バラバラに見える質問を一貫させてテーマ性を持たすのは難しいよね


From: 成田
Subject: Re:お疲れ様です
愛する人になんと呼ばれたいですか?
愛する人をなんと呼びたいですか?
を中心に肉付け?


Subject: Re:おかえりなさい?
To: 成田
そうなんだけど。
他の質問難しいよね。
愛の大きさを言葉で表現するなら?
ってのはどう?今思い付いたんだけど


From: 成田
Subject: Re:ただいま 
いいの出来そう
愛の大きさを言葉で、愛の深さを言葉で、
愛の色、愛の香り、愛の形、
んーもうなんかピンク色。


「愛と恋の境界線」
何かの代替え行為であるかのように、私達はのめりこむ。
客観的な世界の上では、私達も制限無く言葉を使え、未来を考えられる。

もはや、ミナちゃんのためとか、そんな次元の話ではないね。

バトンを作って、みんなに回す。
そのバトンがいつまでもいつまでも、ミクシィの中を回り続けたら・・・
と子供じみた夢想をする。
私達の発した愛と恋の言葉は残り続けるとしたら、

たとえそれこそ幼稚だと言われても、その希望に縋ってみたくもなる。

私は、成田さんを失う以上に、
私達の間に存在した言葉が消えてしまうことが怖かった。

夜遅くまで、互いに質問内容を上げ合う。


Subject: Re:おかえり
To: 成田
好きな人のことなんて呼びたい?
なんて呼ばれたい?
その人のどこに惹かれた?恋だと確信したのはどんな時?
その人と今一番したいこと何?
その人への思いの大きさを言葉であらわすと?
今してるのは恋、愛どっち?
一応ここまで考えた。
あと2問くらい。
もうっ!こんなの必死に考えてたら頭おかしくなってきちゃった


From: 成田
Subject: Re:あま~い
貴方の愛と相手の愛、
シーソーに乗せたらどちらがさがる?
相手からプレゼントされてうれしいものは?
んーなんて難しいんだ


Subject: Re:あま~い
To: 成田
いっこめもボツ。普通、自分って答えるよ
2個目はいいかな?ついでにプレゼントしたい物も入れておく?
なんか恥ずかしくなっちゃうよ


From: 成田
Subject: Re:あま~い
二人の大事なデート、どこに出かけたい?
ならいいかな


質問が一通り揃い、おやすみを言ってメールをやめてから、
パソコンを立ち上げ、
「離婚」とそれに関わるキーワードで検索をかけた。
タカキに離婚をして欲しいと言っても、頭から無視される。
どうしたら、離婚をすることができるのか?

私はなにも知らない。

当然のことながら、理由がなくては離婚の話し合いすらできない。
でも、私が離婚したい理由は、

「好きな人ができた」
「ただのさちで生きたい」

それだけ。

子供じゃあるまいし、こんなの誰が聞いても呆れ返るだろう。

不貞行為すら存在しない。
もちろんあったとしても、それはタカキから希望した場合の離婚理由で、
私からそれを理由に離婚を希望できるものではないのだけれど。

“不貞行為とは「性的関係」があることで、キスをする、手をつなぐ、
愛の告白をする、ラブレターのやりとりをするなどのプラトニックな関係は
「不貞」とはされず、民法770条1項(不貞行為)による離婚は認められません。“

心より体。
法律ではっきりと定義されているんだ。

私と成田さんの間にあるものは、
法律からすらも「他愛のない、取るに足らない関係」と
認定されたようなもの。

理由を作らなくてはいけない。

性格の不一致?

私は心の中で、タカキの嫌なところを上げてみる。
一緒に暮らしていけない理由にまで広げられそうなほつれを探す。
誰にだってほつれはある。

そんなことをしていたら、悲しくなった。

タカキは私を誰よりも愛してくれる。
私が幸せでいられるように尽力してくれている。
そんなタカキの小さなほつれを探す行為が悲しい。
そんなことに一生懸命になる自分が情けない。

タカキに悪いところはひとつもない。
全ては私のわがままです。
正々堂々とそう言って、婚姻関係を解消することはできない。

どうしたってできない。

それが結婚というものであり、社会というもので、
大人であるということらしい。

離婚を成立させるためには、
タカキを憎み続ける努力を延々続けなくてはいけない。

無理だ。どうしたってそんなことは無理だ。

だけど、今、こうして見つけてしまった無数の気持ちを抱えて
タカキと暮らしていくことはとうていできない。

深夜、PCの前で、私は泣いた。

子供のように、ひっくり返って駄々をこねたい。
でも、ふと気付けば、両手両足は泥のような「大人たるもの」
という物質で覆われ身動きができない。

私は、あまりにも無力で子供だ。

 
 
 
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☆第3章 バラの名前☆  第18話



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寝室から出てこないタカキを避け、
ずっとリビングでPCに向かっていた。

「書いてください」

さっき成田さんがメールで言った。

10代、20代の頃の私の夢、
ずっと忘れていたけれど小説家になりたかった。
いつか、目先のお金を稼げるスキルや資格に目を奪われ、
物を書くことなんてほとんどなくなってしまったけれど、
口語ではなく、文章で表す自分がきっと本物の自分。

あの人はそれを見抜いている。

成田さんはいつも私に「本当のさち」を突きつけて来る。
自分でも忘れていたり、忘れようとしている自分。
それを私に次から次へと教える。

だから、私はこんなに成田さんを求め、成田さんを愛する。

私が作った私は、気楽で、快楽主義で、
難しいことを考えない、楽しい女だった。

いつも気楽に飼っておける男が欲しいだけ。
適度にチヤホヤしてくれて、
生活に支障をきたさない程度にかまってくれて、
多少贅沢させてくれたりしたらそれで十分。

そう、今となってみれば神谷君みたいな人、
そういう彼氏がいたらよかったのに。
あんなにもてあました神谷君は、今の生活の中では私の理想。
やはり、リスクと責任はフィフティーフィフティーじゃないといけないの。

表向きだけの愛情、執着で充分だった。
本物なんて重いだけ。私にはいらない。

着飾らされて、甘やかせて、貪る。
人に紹介する時は「俺の彼女」と意味ありげに笑ったり、
「お姉ちゃん」と小指をたてられて呼ばれたり、
そういうことがわりと嫌いじゃないと思っていた。
家庭に入ることよりも、外車の助手席が似合う女。
年をとればとるほどハクがついていいよね。

「結婚、してるよ」
そう言うと、むしろ群がってくる男たち。

生活感なし、そこそこ小奇麗。
恋愛っぽいかけひき、楽しませてくれる程度には頭が回る。
でも、将来に結婚を見据える必要無し。

そんなおもちゃはなかなか無いらしい。
私がした場合の結婚指輪は、むしろ蜜。
だから、しなくなった。
してもしなくても同じなんだけど。

結婚前と変わらずちやほやされて、可愛がられて、
何も変わらないと思っていた。思いこんでいた。

だから、結婚しても私は私。

それが最後のアイデンティティだったのかもしれない。

結婚した直後から、胸の奥に蔓延る思い。
自分が自分でなくなる不安感。

まわりが私を違う物に変えていく。

所詮、私は生涯子供なのだと思う。家庭を持つことや、
結婚制度に従って生きることはできない。

だから私には、女というアイデンティティが必要だった。

成田さんに拒否されて、初めて気が付いた。
どんなに大きな感情や、欲望でも超えられない壁の向うに自分がいること。
それがまっとうな考え方であり、道徳と言う物であることを。

手に入らない物があって、初めて自分のいる場所に気が付いた。

そうしたら、今まで認めることのできなかった不安感、
憤りの正体が一気に頭の中で爆発した。

タカキとは、あんなに長く一緒にいたから、
だから結婚することで何も変わらないと思っていたんだ。

紙切れ一枚の話だと思い込んでいた。

でも現実は違った。
私達2人だけの話ではなく、
第三者が次々介入してきては“私”という存在を別の物に変えようとする。

「よくできた奥さん」を3ヶ月で放棄した後、
毎晩家ではトーストしか食べなくなったのは
別にトーストしか作れないわけでも、
トーストが食べたかったわけでもなくて、
私じゃない何かには絶対ならないという、小さな抵抗だったんだ。
あまりに小さすぎて自分でも気が付かなかったけれども。

名前が変わったことを今でも受け入れられない。
病院にいる間、浜本さんと呼ばれるたびに感じた嫌悪感。
私は私なのに。なぜそんな名前で呼ばれるのか。私が壊される。

周りの人の距離感がどんどん変わっていく。

タカキのお父さんがどうして私を「さち」と呼び捨てにするんだろう?
タカキのお姉さんはどうして私を「さっちゃん」と
勝手な呼び方で呼ぶんだろう?
どうして私の妹がタカキを「お兄さん」と呼ぶ?
私のお母さんが、私からどんどん離れていくのはどうして?
タカキのお母さんは、他人が入って欲しくない境界線を
どんどん越えてくるよ。

「赤ちゃんはまだできないの?」
顔を合わせば親戚はそう言う。
セックスしてないのに子供ができたら大変です。

「奥さん」と呼ばれる。
私にはさちという名前があります。

私は私です。私は私です。私は私です。
みんながどんどん私から私を奪っていく。

周りにいる男達は私を「女」としてしか見ない。
妻だったとしても、たとえ母だったとしてもそれはスパイスに過ぎず。
私は私で存在できる。それで保っていたバランス。

性の部分でだけ要求される私であることは心地良い。
一人の女である限り、私の周りの空気は私に優しい。

それで充分だと思っていた。

なのに、成田さんは私を一人の人間として愛してくれた。

女性のさちさん、子供のさちさん、友達のさちさん、ニセモノのさちさん
様々なさちさんが僕の前に存在する。

彼はそう言った。

全部の私を受け入れて、その上で私を拒否した。
そんな理由で拒否されることなんてあるわけないと思っていた。
私が男の人に、受け入れられないことなんてあるわけないと。

愛された故に拒否された。

私はまた、性だけの自分になり、
その場しのぎの快楽や欲情を楽しんで生きていけばいい?
自分の居場所を知ってしまったのに、それでもごまかしながら生きていく?
「うっざい男にひっかかっちゃってさぁ。大変だったよぉ」
と、男友達に愚痴る?

タカキは怒らせなければ何の不満もない。どうでもいい男友達には
「終電の時間までに帰らせてよ。」
と横柄に言えるし、それで楽しくやっていけるんじゃないのかな。

でももう戻れない。
ニセモノのさちは楽しくて、魅力的な存在だったけれど
誰にも愛されていない。
成田さんが見つけてくれた、ただのさち。
それを見失ってしまうことはもうできない。

離婚をしなくちゃいけないと思う。

まわりはみんなバカだと言う。
あんなよくできた旦那さんがいて、
なんの不満もない生活をしていて、それでも満足しない私を。

でももうそれしかないんだ。
私が私であるために。
ただのさちに戻るために。

タカキは絶対に受け入れてくれない。
きっとたくさん傷つけてしまうだろう。
周りの人もみんな離れていってしまう。傷ついてしまう。
お母さんには勘当されちゃうかも。
一人で生きていくことになるかもしれない。

でも、私はただのさちでいたい。

目的は成田さんと一緒になることではない。
さちがさち戻ること。
だから成田さんには内緒にしていようと決めた。

全部、切り捨てて、ただのさちになった私を見せてあげたい。

 
 
 
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☆第3章 バラの名前☆  第17話


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From: 成田
Subject: Re:おはようさち
バトン作り頑張って。
恋の境界線、僕も見ることができるかしら


Subject: Re:おはよう
To: 成田
おはよう\(#⌒0⌒#)/
恋の境界線?見たじゃん


From: 成田
Subject: Re:おはよう 
僕が見たのは
愛の境界線だよ
ひゃー、恥かしいや( ̄◇ ̄;)


Subject: Re:
To: 成田
じゃあ、さちのも愛だね。
恋の境界線やめて、愛の境界線にしようかな?


From: 成田
Subject: Re:
昼のドロドロのドラマのタイトルみたい。
だめだよ、名前で呼ぶためのものなんでしょ?


この中途半端な雰囲気を、ごまかすネタができたとばかり、
私達はバトン作りに縋る。

流れだけで決まったバトンのタイトル。
「恋の境界線」
センチメンタルすぎて、気恥ずかしい。

中学生的カップルの恋を応援する為に、中学生的私達は盛り上がっていた。
武器は必殺交換日記。

ほとんどの人の恋のルーツは中学生にあると思う。
生まれたのが0歳なら、
恋する人として生まれるのは中学生。

誰かに夢中になればなる程、成長分は無視され、ルーツである中学生へ。

星の数にも届きそうな、無数のメールを送り合い、語り合い、
仕事をして、競馬をして、眠る。

私と成田さんの間は、不安になるくらい変わっていない。
あれ以来、保留になっている話のことも出ない。


From: 成田
Subject: Re
さちはやさしいね。それぞれが相手を名前で呼びたい…と


Subject: Re:
To: 成田
優しくないょ。もうそんなの勝手に呼んでろって
おもしろがってるだけ
でも、なぜかタイトルが恋の境界線になっちゃったから
それっぽい質問作らなきゃ



From: 成田
Subject: Re:
明日はブラックバースピンでいきます。
走る姿が美しいため、JRAのCMに起用されたそうです。
スタンドのお客さんに一番近い大外から魅了しますか。
月曜になって新聞見ると、
アンバー函館ジャックとか書いてありそうな気も。


.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・



☆函館スプリントS


今日から7月だ。
入院生活と退院、お誕生日。
全てが成田さんで明け暮れた、私の6月がやっと終わった。

無我夢中で毎日を過ごしている内に、季節はすっかり夏。

でも、梅雨入りした東京は、雨と雲と湿気にまみれている。
何もかも、照らし尽くすような、攻撃的な夏が待ち遠しい。
圧倒的な日の下に引きずりだされれば、
私の中の何かが変わるかもしれない。

自転車で走る。

夏競馬。
私は夏のローカル開催が大好きだ。
神谷君を待ち、一人で馬券を買い始めたのは夏だった。
成田さんと友達になったのも、去年の夏。
「夏競馬楽しいですね」って話した。

横十間川を渡ると、今日も追い抜いていく赤いスクーター
あっ、と思ったら。やっぱり不安定な姿勢で踵を触っていた。
嬉しくて、自転車を思いっきりこぐ。

少し汗ばんでしまったTシャツを気にしながら、
WINS西館の2階へ上がった。

全部のテレビ画面は「音声テスト中」と表示され、
いつものあの歌が流れる。

まだ人がまばらのフロアーで私は成田さんを探す。

いた。

今日はなぜか、中央のテーブルの横にしゃがみこんで、
真剣そうに考え込んでいた。

「具合悪いの?」
背後に立ち、聞いてみる。

成田さんはゆっくり振り返って笑った。“おはよう”って。
「ちがうよ。新聞の下の方見れないでしょ。」
目の前の馬柱を指差す。

確かに、狭いテーブルの上に新聞を置いても、
馬柱の下の方はたれさがってしまう。

「違う視点で見れば、この当らない予想の打開策も見つかるかな?とね」

とぼけたように言って、立ち上がった成田さんは、
いつも通り缶コーヒーを渡してくれる。

「ブラックバースピン?」
私は見上げて聞いてみた。昨日のメールの感じでは、
それが本命かな?と。

「うん。狙います。相手は牝馬かな?やっぱり夏の牝馬ね」
「福島は?」
「・・・クランエンブレム。人気通りだね」
「好きだね。手塚厩舎」
「確かに。偶然なんだけどね」

話ながら新聞を眺め、マークシートを塗る。
「今日は当るよ」
私の方を向き、親指を立てた。
「当る?」
「うん。当りそうな予感がする。日記にもみんな乗れって書かなくちゃね」
「私はもう絶対当らないような気がしてきたよ」
自分の塗ったマークシートを眺める。
もうこんなもの買わない方がいいような気がしてきた。

「大丈夫。当ったら、焼肉。外れたらポンデダブルショコラね」
成田さんは笑って言った。

それから、当たり前のようにもう1枚マークシートを取る。

1-6-9の3連複と6-1-9の3連単。

「まだ買うの?」
お誕生日はもうとっくに終わってしまったのに。
「買うよ。買わなくなって来たら嫌じゃない。当るまで買うよ」


.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・
 

Subject: Re:かすった?
To: 成田
函館は角田だ。やっぱり牝馬だね
まぁいいや。いい加減負けるのにも慣れちゃった。
美容院にいってきます。


From: 成田
Subject: Re:
函館、押さえのワイドがあたりました。
300円( ̄◇ ̄;)
 

Subject: Re: :かすった
To: 成田
2-16ワイド910円×300円?
焼肉は無理だねー、オムライスご馳走してください。
美容院は9時頃終わります。


落ちかけたパーマが気になって、美容院へ行くことにした。

髪をいじられている間、手持ち無沙汰に携帯メールを打っていて、
なんとなく誘ってみた。
仕事中だから、頻繁には返事が来ない。
返事がないのは受諾。


この間、保留にした話の結果は出ていないから、
誘っても断られるかと少しは思ったし、
会ったところで行き場もなく、爆発しそうな今の感じから、
そう気安く声をかけていいものかと、若干は迷ったけれど、
気安く、「競馬当ったからご馳走してよ」みたいなノリが気に入り、
それほど躊躇もなかった。

「出かけるから、髪の毛かわいくしてね」
機嫌がよくなった私は、私は顔なじみの美容師に笑顔で言った。


.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・


美容院の帰り道、成田さんが車で拾ってくれた。
錦糸町のオリナスへ行くことにする。

オムライスが売りのレストラン。
席について、オーダーして、
話すことはやっぱり恋の境界線。

ミナちゃんとノム君の今までの経緯を軽く話す。
入院中に、初デートの話はしていたから、
“ああ、あの子達ね”と成田さんはすぐに思い出してくれる。

「順調なんだ。よかったじゃない」
「うん」
「どうしたの?なんか面白くないわけ?」
「うーん・・・なんとなくね。安易な感じがする。」
私はふと、2人の出会った頃から今までを思い返してみる。
なにか腑に落ちないものが常にあった。

料理が来る。
私はオーソドックスなオムライス。
成田さんはハンバーグとオムライスのセット。

成田さんが、ハンバーグを3分の1くらい切って私の皿に載せてくれる。
「さち、ハンバーグいらないよ」
「食べなさい。そんだけじゃ栄養偏るでしょ」
わざと怒った顔を作って言う成田さん。
私は口とは裏腹に、ニコニコしながらハンバーグを見る。
こんなふうに叱られるのは大好き。

「で?なにが安易なの?さちさん的には」
「別にいいんだけどさぁ・・・あの2人って知り合った時、
 同じ年、独身同士、生きてきた環境も割と似ていてね」
“独身同士”と口にして、チラッと成田さんの目を見てしまう。
別段変わりもないことに安心し、続ける。
「お膳立てが先に出来ているところで、
 型に嵌るように好きになり合った感じがする」

「うーん・・・」
成田さんは、1度フォークとナイフを置き、両腕を組んで上を向いた。

「わかる?言ってる意味。」
「わかるよ。条件のいい相手だから
 好きになったんじゃないかってことでしょ?」
「そう。別にいいんだけどね。
 それが嘘の恋愛だとか言ってるわけじゃないんだけどね」

「うーん・・・」
また、上を向く。しばらくそうしていて、それから成田さんは言った。

「実際、ほとんどがそうなんじゃないの?」
「条件から?」
「お互いの生きている環境とか、年とか、そういうことも含めて恋愛してるんじゃないの?皆さんは」
「かもね。まぁ、そうなんだと私は思うけどさ。」
フォークを動かす手を止めて、私も少し考え込み、
頭に浮かんだ疑問を口にしてみる。

「恋って、落ちる?」

食事を再開しかけていた成田さんは、苦笑いする。
「落ちる?・・・そう唐突に聞かれてもなぁ」
「私は落ちるって思うんだけど、
 じゃあみんながしている恋は落ちてないよね?」
「・・・落ちてはいないねぇ」

自分が難解な疑問ばかりを投げかけていることに気づき、
これじゃ食事がすすまないと、とりあえず流してまとめにかかる。

「まぁ、なんにしろあの2人はもううまくいくよ。
 多分結婚するんじゃん?」
アイスコーヒーのストローをぐるぐるまわす。
この間、ミナちゃんがアイスティーのストローを
ぐるぐるまわしていたことを思い出しながら。

また、食事の手を止めて成田さんが私の目を見て言った。
「今、頭がすっごい勢いで回ったでしょ?」
「なんでわかるの?」
「顔で。」
「そうかなぁ?私がまだ、2人をからかう作戦でもたてて?」
「違う。自分のこと、何か考えたでしょ?」
「そうかなぁ?」
空気が少しおかしくなって、適当にごまかす。

考えたね、今。
確かにものすごい速さだった。

彼らの延長線上にあって、私達の延長線上にないものについ